第221話 ●「神かそれとも……」

 どこでもない場所、ただそこに空間としてある場所。

 

 そこには一人の老人が座る。

 いや、見た目は老人だが、実際に老人かと言われると疑問である。

 

 エルが『神』と呼ぶ存在。この物語の観察者にして創作者。

 目が眩みそうになるほどどこまでも続く何もない空間に彼はいる。

 

「……このままでは予定していたよりもかなり早くに滅亡を回避してしまうのぉ」


 神は一人呟くと右手を軽く払うように動かす。

 その右手の動きに合わさるかのように空中に文字が浮かび上がる。


 ・王国歴三百六年二月 エスカリア王国、ベルカリア連邦に宣戦布告。

 ・王国歴三百六年六月 エスカリア王国イグルス第三王子、ベルカリア連邦との戦争中に暗殺未遂発生。意識不明の重体となる。

 ・王国歴三百六年八月 ファウント公爵からベルティリア第二王子派、マインズ子爵が犯人であると公表

 ・同月 ウォーレン公爵がファウント公爵の発言を真っ向から否定すると同時に批難。

  水面下での抗争であった次男派と三男派の対立が表面化する。

 ・王国歴三百六年十一月 ルーザス第一王子が秘密裏に帝国と協定を結ぶ。

 ・王国歴三百七年四月 ルーザリア第一王女が秘密裏にベルカリア連邦と協定を結ぶ。

 ・王国歴三百十一年二月 長年、意識不明状態であったイグルス第三王子死去。

  それによりファウント公爵を筆頭に多くの貴族はエリザベート第二王女を擁立。

 ・王国歴三百十三年二月 ウォーレン公爵領『ロンベルク』にて突如として魔物の大群が発生。十万人を誇る一つの町が全滅する。

  事件後の調査の結果、禁呪聖遺物『湧き上がる悪夢』が使用されたことによる事件だと発覚。だが使用者は最後まで不明であった。

 ・王国歴三百十四年四月 ウォーレン公爵、第二王女派のべストーリア伯爵が先の事件の関係者であると発表するとともにクレーム。

  事実無根と訴えるべストーリアの要請を受けファウント公爵が援軍を発表。国を分割する内乱の兆候を見せる。

 ・王国歴三百十四年五月 キスリング宰相の取り成しにより軍事衝突は回避。だが対立が決定的となる。

 …………

 

 それは過去から少し未来のの歴史。百年後の人類滅亡のシナリオの一端。

 だが、現実の歴史とは大きく変わっている。

 

 いまだ薄氷の上とはいえ、王国は対外的には強固な勢力を維持したまま。分裂の兆しは未だ見せていない。


「ふむ、まさかこんな奴がトリガーとはの」


 神はそうつぶやくと空中に浮かんだ文字の一部――イグルス第三王子の名を指で弾く。

 今までほぼ全ての被験者のモニタリングでイグルスは暗殺者の毒により死を迎えていたのだ。


 それはそうだろう。

 イグルスが暗殺に遭遇するのは三百六年、つまりは被験者達は十四歳の学生なのだ。

 多くの被験者は上級貴族、さらに言えばファウント公爵との繋がりさえできてはいない頃となる。


 イグルスは前年の三百五年に発見された解毒方法が不明な新毒によって長き昏睡の末に死ぬはずだったのだ。

 そしてその死を切っ掛けに国内対立が深刻なものとなり、さらに三百十三年に発生する『湧き上がる悪夢』を使用した町の壊滅で国家分裂は決定的となる。


 もちろん国家分裂は被験者たちの前の世界でもたびたび繰り返されてきた歴史。

 核戦争でもない限り人類滅亡に直接的に繋がる出来事ではないがそれでも人類の勢力を非常に弱める原因の一つではあったのだ。


 ところがである。エルによって大きく歴史は改変されたのである。

 

 ベルカリア連邦との戦争が三年前倒しになったことで新毒は無く、解毒の入手が困難ではあるものの対応可能な毒へと変わった。

 国家分裂を決定的とさせる魔物の襲撃の原因となる『湧き上がる悪夢』はそれよりも先に使用され、魔力を失い、今や王城で厳重に管理されている。


 本来は王国歴三百二十年に邂逅するはずであったファウント公爵とは、十歳にして面識を持つことになった。


 その全てが『レイーネの森襲撃事件』が切っ掛けである。

 そして事件の発端はラズリア・ルーティント・エスト伯爵公子との対立が原因である。


 他の被験者の場合もラズリアと対立することは避けて通ることは出来ない。

 だが殆どにおいては、学生時代は言い合いに終始し、バルクス伯に帰郷後に本格的に対立するという形となった。


 しかしエルに関しては、ラズリアは憎悪を魔人の一人『蟲毒』ルーディアス・ベルツに利用される形で事件を起こすことになった。

 そもそもルーディアス・ベルツは三百十一年頃から、三百十三年の事件の為に大きく動き出すはずだった。


 ラズリアを凶行に走らせたのはエルだけではなくリスティア・アルク・ルードの存在も大きかった。

 同じ伯爵であるエルに訓練で負けた事は、多少は彼のプライドを傷つけた――それにより後に対立するのだが――が学生時代にそこまでの憎悪を生み出すことは無かっただろう。


 だが自分より劣る男爵家のリスティアに完膚なきまでに負けた事。そしてリスティアがエルの派閥であった事が憎悪を蓄積させることになった。


 本来のリスティアは、優秀ではあるがそれでも平均を少し上回る程度の同級生……言ってしまえばモブである。

 他の被験者がバインズ・アルク・ルードと知己を得なかったことで、それほど深い関係を持つこともなく王国歴三百三十五年に流行り病によって病没する運命であった。


 だが、エルが望んだ『ギフト』により彼女の運命は大きく変わることになった。

 そして、その運命により歴史がこうも改変されたのである。


 そして、もう一つ大きく歴史を変えた出来事があった。


「クラリス・エスカリア・バレントン……か」


 先日、エルはクリスとの出会いが神によって作り出されたものでないかと心配していたが無用の心配なのだ。


 なぜならばクリスは七歳の時、刺客の手にかかって命を落とす運命だったのだから。

 クリスに出会わなかった被験者の場合、そのまま王都に居続けた時。

 クリスに出会った被験者の場合、一時的にバルクスから王都に戻った時に。


 それは抵抗する手段を持たぬひ弱な少女の逃れようもない運命となるはずだった。

 だがエルの場合、自身が先生となりクリスに魔法を教えた。


 それによりクリスは魔法によって供を殺されながらも救援が来るまでの時を稼ぐことに成功したのである。

 そして今、エルの傍で彼を支える存在として、さらには王家との微かな繋がりとなっている。


「ふむ、さすがにこのままではつまらんのぉ」


 神としても歴史の改変はモニタリングとして大いに期待していたものである。けれどエルの改変は少々行き過ぎ――

 いや、エンターテインメントとしてはつまらないといえる。

 かつて被験者の最短での滅亡回避は六十二年二か月。それも十分早かったがそれすらも大幅に短縮しかねない。

 神の目算では恐らく後二十年ももたないかもしれない。それではあまりにも面白くない。

 

「やはり、北西の種のみでは即効性が薄いかのぉ」


 だからこそ人類種の現状を崩すために北西――帝国の反乱分子に『青魔銀』を見つけさせたのだ。

 いやはや帝国と反乱軍が長き騒乱に突入するためのさじ加減がなかなか難しかったが、予想通り泥沼化しそうで大変結構である。

 ローエングリン・ベルカ……本来はその野心と現実のギャップの前に挙兵する時を遅きに失した……英雄の成り損ない。


 いくら神とはいえ魔人と同様に直接的に介入することはできない。

 やつらは介入すれば神たちの尖兵により滅ぼされることが分かっているから、一方こちらはあくまでもルールだからという制約ではあるが。


 なので神としては福音という形での間接的な介入――チート物質の発見や英雄の創造――でより面白くする術を考える。

 英雄の創造はギフトと同じく生み出すことからになるので即効性は低い。

 この動乱の中では英雄の成り損ないが数多く存在する。それを上手く使う方が有効であろう。


「ふむ、やはりここらでそれなりの数を間引く必要があるかのぉ。まぁそこまで減らせなくても混乱はさせねばの」


 神は、神を信じる者たちがいれば耳を疑うような言葉をつぶやく。

 神は人類種への直接な関与はできない。ならば……人類種以外であれば?


「やはり、いつまでも番犬に頼っておってはいけまいて……」


 そして神は嬉しそうに呟く。


 ……そう、彼は神であり破壊神でもある。神には人が平穏に生きたいという感情を理解はできない。

 いや、人に対して何かをおもんばかるという感情が欠落しているのだ。


 神にとっては人は自分たちを楽しませる道具。

 そして混乱と悲観の先に人は神に祈る……それこそが神の力となるのだ。


 道具たちがより激しく動くさまを見るため、いくつかの福音を実行するのであった…………

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