第219話 ■「華燭の典1」
王国歴三百十二年九月二日。
夏を過ぎ徐々に涼しさを取り戻しつつあるバルクス辺境候主都エルスリードに馬車の一団が到着した。
「ファンナさん遠路はるばるお疲れ様です。それにランドさんとルーク君も」
「いいえエル様。このような喜ばしきこと、疲れてなぞいられませんから」
そうファンナさんは微笑む。僕にとってもう一人の母親の様な……いや、実際にこれからは母となるのだ。
「それにクイとマリーも」
「エル兄さんにとっておめでたいことに参加する事が出来るのが嬉しいです」
「だってお姉さまが一気に五人も増えるなんてすごく嬉しいもん」
ファンナさんとともに帰郷したクイとマリーは僕の両腕にそれぞれくっ付きながらも笑顔で言う。
王都ガイエスブルクにいる五人がわざわざ片道二ヶ月の旅をして戻ってきたのは、ベル・ユスティ・リスティ・メイリア・アリスと僕の合同結婚式に参加するためだ。
従来、正室とは異なり側室との結婚の際には、結婚式を実施することは非常に稀だ。
実施するとしても貴族の権威を見せ付けるため――高位の貴族同士の政略結婚の事が多い。
一方、シュタリア家は侯爵と形的には高位貴族だけれど他の皆は男爵や平民。
貴族的な発想で言えば鼻で笑うような侯爵家に何の旨味もない結婚、式をやる価値すらないだろう。
クリスの時も思ったのだけれど、この世界の結婚式自体は宣誓だけで終了と非常にシンプルだ。
平民同士の結婚式であれば、月一回の教会にお祈りしたついでに結婚なんて事もあるらしい。
バルクス領なんて無宗教の領民が大部分だから教会も殆ど無い。町の集会場で簡単にというのが大多数だそうだ。
実際、別に式はやらなくてもという消極派のほうが多かった。それでも絶対に式をやるべきと強硬だったのはクリスだった。
その熱意に押される形で五人との合同結婚式を行うことが決まった。
とはいえ本当に参加者は身内だけの質素なもの。式後のパーティーも侯爵家の食堂で何時もより少し豪華な夕食をとる程度。
それでもクリスはその決定を喜んだ。
後日、クリスに聞いたところ『皆と差を出来るだけ付けたくなかった』だそうだ。
詳しくは分からないけれど、彼女なりの譲れない何かがあったのだろう。
ということで身内であるファンナさんやクイたちが戻ってくるタイミングに合わせることにしたのである。
身内だけであるから準備もそんなに必要ないだろう……という僕の予想は大きく外れた。
式をやる事が決まったなら。とクリスだけではなく母さんもやる気になり全員分の衣装作成もファンナさんたちが帰郷するまでの二ヶ月間全力で行われることになった。
そして今回もクリスの時と同じく式当日までのお預けとして僕が参加することは固く禁止された。
終わりが近づいてきた頃の縫製担当のメイド達が廊下の椅子に崩れ落ちて爆睡する様は……うん、見なかったことにしよう。
――――
「この機会にエルスリードに戻ってくる……ということですか?」
「えぇ、エル様、その通りです」
帰郷したクイやマリー達は、姉であるアリシャとリリィに会うためルーク君とともに農試の畑へと外出。
ランドさんも旧友に会うため席を辞し、僕はファンナさんと応接室でお茶を飲みながら話をしていた。
その中でファンナさんからメル一家がエルスリードに戻ってくるという話になったのである。
「ルークは今は十三歳、まだ行こうと思えば五年ほど貴族学校に通う事もできますが、ベルがエル様に嫁ぐと聞いたことでどうもホームシックになったようで……」
「ルーク君は、お姉ちゃん子ですもんね」
僕の返しにファンナさんは笑う。
「ルーク自身の身勝手な夢……になるのですがどうやら教師になりたいと考えているようなのです」
「へぇ、教師か。素敵な夢じゃないですか」
「ただ実際に教師になるとすると多くの場合が中央の貴族学校でしか成りようがありません。それで悩んでいたようなのです」
「たしかに学校と呼べるものは中央に集中しているもんね」
そもそも学校と呼ばれるところは貴族向けに開校された場所だ。
貴族の子息について、学校に入学することは人材確保の面も持っているからどうしても人口が多い中央に学校が集中することになる。
「ですが、中央ではないところにも学校がある状況になった」
「……なるほど、バルクスの平民向けの学校か」
それにファンナさんは頷く。確かにバルクスでは絶賛平民向けの学校――僕は寺子屋と呼んでいるが――の開校をかなりのペースで進めていたりする。
そういった意味では教師になりたいルーク君にとっても家族のすぐそばで就職できることは嬉しいのだろう。
「でもさ、ルーク君はピアンツ男爵家の正当な跡継ぎになるわけだよね?」
「そもそもピアンツ男爵家に封じられたのは、ベルが貴族学校で勉学できるようにエリザベート様が配慮してくださった事。
そのおかげでルークも学校で勉学を習い、教師になりたいという夢を持つこともできました。
ルークに子供が生まれたらというのも考えますが、私の一代限りで終わるでもいいのではないかと」
「……そっか、それもありかもしれないね」
そう言って僕は一口紅茶を口に含む。
「後、エル様にとっては私が王都にいることで中央の情報を入手しやすかったですが、私が帰ってくるとなると」
「あー、そっか、王都の情報が入手しにくくなるのか」
「そこでエリザベート様と相談して感応相手を王都に残るメイドに変更させていただきましたので、引き続き中央の情報入手は可能となります」
あ、精神感応って対象相手の変更って出来るんだ。……ま、そりゃそうだよね。
「僕としては大助かりだよ。どうしても二ヶ月っていう距離の壁は色々な意味で障害になるからね」
そう返す僕の言葉にファンナさんは微笑む。
「それじゃルーク君の話は、しばらくの間はエルスリードにある学校の教師付き補佐と言う形で教師になる勉強をするって事でどうかな?」
「エル様、ご無理をお聞きいただきありがとうございます。ルークも喜びます。」
「構わないよ。貴族学校で勉学を習ってきた貴重な人材を遊ばせておくだけの余裕はバルクスには無いからね」
僕の言葉にファンナさんは苦笑いする。僕の話は半分嘘だ。
人材を求めてはいるけれど、危急な状態と言うわけではない。
単純にファンナさんの話を聞いてルーク君に職を与えるでは、僕の職権乱用、縁故採用でしかない。
ゆえに貴重な人材を求めているからルーク君に職を与えたのだという体にしたのだ。
何事にも言い訳は必要なのだ、それをファンナさんも分かっているからこそ苦笑いしたのだから。
――――
その日の夜。侯爵家の横にある寮でのこと。
侯爵家に引っ越すために部屋の荷物の殆どが無くなった部屋でベルの家族はささやかな宴を催す。
参加するのはベル、ファンナ、ランドの三人。
ルークは長旅の疲れが出たのか……いや、シュタリア家の四姉妹のパワフルさに圧倒されたのだろう、すでに爆睡していた。
この家族も考えてみればかなり波乱万丈な人生を今まで送ってきたと言えるだろう。
元々少しだけ裕福だった平民の家の出であるファンナは十五歳の時、中央にて貴賓の護衛役として入隊した。
それから約七年。その間に夫ランドと出会い結婚、出産を経て二十二歳の時に軍を退役した。
そしてランドの故郷であるバルクスへと幼いベルを伴って移住したのだ。
二十三歳の時に御者の職についたランドの伝手でバルクス伯爵家でメイドとして働くことになったときは、そのまま年老いるまで平穏にメイド生活を送るつもりだった。
だが自分の特殊能力と元軍人の経験からバルクス家の子息のお目付け役に任命されたことで大きく人生を変える事になった。
バルクス夫人の鶴の一声で伯爵家の空席であったピアンツ男爵に封じられた事で一夜にして貴族の仲間入りをする。
そして貴族の責務としてベルを貴族学校に入学させることになったのである。
ベルについては元々ファンナの後任としてエルの傍付きとして中央にいく予定ではあったが、立場が変わったということになる。
そして学生時代もこうして領主として戻ってきた後も常にエルの傍で尽くしてきたベルが、側室とはいえエルの妻――侯爵夫人となるのだ。
王国の長き歴史の中でも平民から侯爵家夫人となったものがどれだけいただろうか?
「しかし、本当に大丈夫なのかベル。父さんは心配だよ」
「もぅ、大丈夫だって何回も言ってるよ。お父さん」
父親のランドの言葉に苦笑いしながらもベルは話す。
「ただの平民だったベルが貴族になっただけでも衝撃だったのにさらに侯爵夫人だろ?
しかもエルスティア様の正室は元王女殿下だ。いじめられたりとか……」
「クリスとは子供の頃からの親友だよ。そんなことあるわけないよ」
心配するのも分かるが、思考がマイナス方向に飛躍しすぎだなとベルは思う。
確かに傍付きメイドだったファンナやベルに比べて、ランドはエルとの交流が深いわけではない。
ゆえに心配の種がどんどん膨らむのだろう。
「しかしなぁ……」
「ランド、あなたは自慢の娘が選んだ夫を信用できないのかしら?
それともベルの目が節穴だとでも思っているのかしら?」
なおも不安を口にしようとするランドにファンナがやんわりとだが釘をさす。
それにランドは続く言葉を失う。それにファンナは優しく微笑みかける。
「最愛の娘の事を信じてあげましょうよ。大丈夫、あのエル様だもの、絶対に幸せになれるはずなのだから」
「お母さんありがとう。お父さん大丈夫だよ。今までもこれからもエルさんの傍で幸せになってみせるから」
ファンナの言葉に背中を押されるように、ベルはそう力強く答えるのだった。
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