第218話 ●「北方の火種2」

 ローエングリン・ベルカ。


 それが青年の名前であったが、通常生活を送るための偽名である。


 ローエングリン・ブロッケン・オーベル。


 それこそが本来の名前である。

 その名が示すようにオーベル帝国皇帝の血縁――現皇帝の甥である。


 だが、彼の名は帝国の公式文書では既に死者として記載されている。

 つまり彼の生存は、帝国にとって非常に都合が悪いと言っても良いだろう。


 彼の父親はミルヒライヒ・ブロッケン・オーベル。

 現皇帝レイモンドの兄にして第一位帝位継承権を持っていた。


 父親は、非常に優れた才ゆえに次期皇帝として非常に嘱望されていた人物であった。

 そして長子にローエングリンが生まれた事で、帝国の血脈は確固たるものになったとして更なる期待を集めることになる。


 その中で父親は皇太子時代から虐げられていた先住民達の権利を向上させるという思想の持ち主だった。

 その思想は、貴族階級の者達からすれば眉をひそめる物であったが、絶対権力を誇る彼の父親である第七代皇帝に異議を唱えられる者はいなかった。


 そしてその思想ゆえにウィアン族といった四等級帝国民として虐げられた先住民達からの人気は高く、ミルヒライヒが次期皇帝となった時、自分達の名誉は回復すると期待する声も多かった。


 しかしその期待は二十四年前突如として絶たれる。


 帝国領内視察中の逗留先であったオルグ地方で刺客に襲われ殺害されたのである。

 その際に生後間もない皇孫――つまりはローエングリンも行方不明となった。

 懸命の捜索が行われたが発見されることは無く事件から二年後に死亡扱いとなる。


 刺客も事件後、全員自害したことで黒幕へと続く手掛かりは絶え真相は闇の中となった。


 息子の死による失意の内に第七代皇帝はその三年後に死去、第一位帝位継承権を持つミルヒライヒは死去。

 第二位帝位継承権をもつローエングリンも死亡扱いとなったため、次男で第三位帝位継承権を持つレイモンドが第八代皇帝となったのである。


 レイモンドは兄とは異なり、先住民達に対してより強硬な圧力をかける。

 その政策により貴族達からの信認をより強固なものとしていくのである。


 だが、実際にはローエングリンは生きていた。いや、名乗り出るわけにはいかなかったと言うほうが正しいだろう。

 ローエングリンを助け出した従者は聞いたのだ。刺客が『レイモンド様』と呟くのを……


 従者はローエングリンを匿いながら西へ西へと逃避する。そしてその命が尽きようとする寸前にたどり着いたのがガゼル地方であった。

 従者は知己であったウィアン族の長に赤子を託し、黒幕と思われる人物の名を告げその命を散らした。


 その後、ウィアン族の長はわが子同然にその赤子を育て……二十四年の歳月が経った。


 ウィアン族達の帝国への恨み、そして父親を殺した黒幕への恨みを背負いながらもそれをプラスの糧としてその子は成長を遂げる。


 そして幼馴染で帝国により故郷を占領され四等級帝国民となった故国グルス王国の子孫であるアスターテを妻に娶り、混血として帝国民から蔑みを受け続けたベルセリトを無二の友として、打倒帝国を旗印にこれまで過ごしてきたのである。


 もちろん彼らだって彼我との戦力差は十分に理解している。

 けれど彼らにとって福音となったのは『青魔銀』の特徴を偶然とはいえ発見したことであった。


 帝国では魔道士一人で帝国兵百人に匹敵すると言われている。

 さらに魔道士の魔力が高ければ高いほどその比較人数は倍々に増えていく。


 帝国には騎士という考えが無い。多くが農民兵を徴兵することによって『帝国兵』と呼ばれるが結局は雑兵だ。

 帝国は号令二百万を徴兵できると謳っているが、食料や消耗品の備蓄を考えれば一度に動員できるのは五十万が限界であろう。


 つまり単純計算では魔道士が五千人いれば帝国軍と対等に戦えると言うことだ。

 もちろん、それだけの魔道士を揃えることは不可能で夢物語に近いのだが、ウィアン族の魔力適正と『青魔銀』の存在によりそれも夢ではないという現実が目の前に現れたのである。


 ローエングリン達が帝国に気付かれることなく集めることが出来たのは、一般兵二千と魔道士二百。

 普通に考えれば、帝国側は一笑に付すだろう。


 けれど一般兵も含めて全てに『青魔銀』を使用した鎧が配備されたことで話は大きく変わる。

 一般兵であっても低級魔法を十数回使用できるだけの魔力が備わったのだ。


 もちろん一戦すれば青魔銀に蓄えられた魔力は枯渇し再度の蓄積に時間を要するだろうが、使用タイミングを間違えなければローエングリンは魔道士二千と上級魔道士二百を保有しているに等しい。


 そして彼の知恵袋であるベルセリトは帝国の冬を利用することで十分な勝機があると読んだ。

 だからこそこうして彼らは集まったのだ。


「帝国に対する戦い、十分に勝機はある。けれど不確定要素が大きい」

「南方のエスカリア王国の介入よね?」


 アスターテの答えにベルセリトは頷く。


「だからこそ、王国にも外を構っていられない状況を作り出す」

「どうやって?」


「王国の西側中央にエウシャント領と言う場所がある。そこに対して五年ほど前から隣領となるベーチュン領を始めとした周辺貴族同士に軋轢を生むように仕掛けてきた。

 あの辺りは広範囲にわたって次期王支持派閥が複雑に絡み合っている。例えるならば可燃性の燃料庫と言えるだろう」

「……そこに火種を放り込む……ってわけか?」


 ローエングリンの言葉にベルセリトは静かに頷く。


「面白いじゃねぇか。ベルセリト、それでいつ実行する?」

「こちらの反乱も数年単位の話だ。すぐさま実行する必要はないだろう。

 それにこの火種は出来るだけ温存しておきたい。それに……」


 ベルセリトにしては歯切れの悪い返しにローエングリンは引っかかりを感じる。


「どうした? 何か懸念することでもあるのか?」

「……いや、気にしすぎだとは思うのだがな、エウシャントよりもさらに南方にバルクス領という場所がある。

 そこの動きがどうにも読めなくてな。立地的に魔稜の大森林からの魔物の対応のために動けんとは思うんだが……」

「バルクス……そこの領主の名前はなんていうんだ?」


「確かエルシ……エルスティア辺境候と言ったかな? すまん、あまりに遠方過ぎて十分な情報が揃ってなくてな」

「エルスティア……、まぁ私たちが帝国を併呑するまで王国には内乱で遊んでいてもらえば十分だ。

 そこまで気にする必要も無いだろう」

「……あぁ、そうだな」


 ローエングリンとベルセリトは口にすることで自分達を納得させようとする。

 現実問題として辺境であるガゼル地方でこれ以上の王国の情報を手に入れるのは不可能である。

 そこに人手を割くのであれば帝国全土に人手を使ったほうが現実的であろう。


 ローエングリンもベルセリトも予感……というのだろうか何かモヤモヤするものを感じながらも目の前にある打倒帝国に向けて加速を始めるのである。


 王国歴三百十二年九月十五日、帝国暦百十八年九月十五日。


 帝国領西方のガゼル地方において反乱が勃発する。

 それはあまりにも脆弱な規模の反乱。帝国にとっては取るに足らぬ――帝国の歴史上の僅かばかりの汚点として、春になる頃には終わると考えられた反乱。


 けれどその当初の思惑とは大きくずれ、七年の長きに渡り北方は動乱の時期へと突入していくことになる。


 ローエングリン・ブロッケン・オーベル。

 エルスティア・バルクス・シュタリア。


 今はお互いの名前も知ることの無い二人が邂逅するのはかなりの時間を要することになるのである。

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