第213話 ■「次世代」
王国歴三百十二年四月二十日
僕とクリスが結婚して丁度一年となる日。
そんな幸せを噛み締める、世間的に見ればなんでもない日。
けれど僕にとって人生で最も長い一日になる。
――――
朝七時、時計が奏でる音と共に僕とクリスは何時ものように目を覚まし、毎日と変わらない朝の挨拶をする。
そして起き上がり身支度を始める。一人で準備するのが大変だから三人のメイドがクリスの着替えを手伝う。
最初はクリスを囲む三人のメイドという光景に違和感があったが、今では慣れたものである。
よく考えればクリスは元王女だから王宮では当たり前の風景だったのかもしれない。
クリスの場合、自分が出来ることは自分でやるというのがモットーだけど逆に珍しいのかもね。
身支度を整えた後、食堂に二人で向かう。
僕たちより早く来ている父さんと母さんに挨拶をし、何時もの席に座る。
少し遅れて隣の寮で一人暮らしをしているベル、メイリア、アリスも挨拶をして席へと座る。
最初は自分達の寮で食事を取るからと言っていた三人も母さんの脅は……説得に押し切られる形で毎食を共にする。
それに少し遅れて早朝の畑の見回りから帰ってきたアリィとリリィも元気に挨拶をして席に着く。
そのタイミングに合わせるように、朝食が担当のメイドたちによって配膳されていく。
少し離れた席には、配膳担当外のメイド達が座り僕たちと同じ食事を一緒に取る。
それは昔から変わらぬシュタリア家のルール。
多くの貴族はメイドが主と同じ食事なぞありえないと考えるだろう。
けれど我が家はメイドも家族なのだ。家族ならば同じ時間、同じ食事は当たり前という考えだ。
このルールは母さんが小さい頃に僕にとっての祖父に意見してから始まったらしいが、僕もこのルールには賛成である。
主とメイドである以上、もちろん時と場合により分別は必要だ。
けれど食事の時は、『家族』として食事し、会話をする。
そしてもうすぐこの『家族』の団欒に三人加わることになるだろうから……
朝九時、クリスに見送られて仕事へと向かう……ま、距離にして三十メートルも無いけどね。
まず最初に行うのは重要案件の進捗確認や当主の判断が必要な資料の確認。
執務官や補佐が増員されたおかげで最初の頃のように書類の山が二つ出来上がる……ということは少なくなったが、それでもやるべきことは沢山ある。
それらをこなしながら日が暮れる十七時くらいまで働く……はずだった。
――――
「エルさん! 失礼しますっ!」
「んわっ! ビックリしたー」
何時もの仕事を突如として壊したのはベルだった。
ベルにしては非常に珍しいことにノックすることも無く、息を切らしながら執務室に飛び込んできた。
一緒に執務を行っていたアリス達執務官も普段とは違うベルの行動に驚き手を止めている。
それにベルも気づいているだろうが、それでも続ける。
「お仕事中なのにごめんなさい。けれどクリスがっ!」
その言葉に僕は無意識に立ち上がると部屋を飛び出す。僕の行動を予想していたのだろう、ベルも僕に並走する。
「ベル! クリスはどこに?」
「お部屋の方にいます。先ほど産気づきました」
距離にすればたった百数十メートル。それすらも僕にとっては余りにも遠い。
部屋にたどり着いた僕の目に母さんの微笑みが見える。
「母さん! クリスはっ!」
「エル、落ち着きなさい」
その母さんの優しくも力強い言葉に僕は冷静さを取り戻す。そして僕は一度深呼吸する。
「ごめん、ありがとう母さん。それでクリスの容体は?」
「今はミーザが様子を見てくれているわ。ミーザはお産の経験も多いから大丈夫よ」
「そっか、ミーザなら安心か」
ミーザはシュタリア家の古くからのメイドで実際に僕だけでなく弟妹の産婆もしてくれている。
出産に関して言えば我が家でも一番の経験者だ。
「エル、後は母さんやミーザに任せておきなさい。……ベル、手伝ってくれるかしら」
「はい、勿論」
「ありがとう」
そう言うと母さんとベルは部屋に入っていく。
この世界では出産の際に男子が立ち会う事は禁忌と言う風習がある。
だからどれだけ心配だとしてもこの部屋に僕が入ることが出来るのは、出産後でなければいけない。
「ほんと、こういう時って男って無力だね」
僕はそう苦笑いとともに吐露するのだった。
――――
「こういう時は俺達には何もできないんだな」
「まったくだね」
僕の右隣に座るアインツの言葉に僕は苦笑いする。
あの後、遅れてやってきたリスティやユスティたちは部屋の中に入り部屋から出ては戻ると大忙しにしているなかで僕やアインツ、父さんやバインズ先生は何もすることもできずに部屋の外に椅子を持ってきて座っている。
あれから六時間ほど経つが僕にとってはもう一週間くらい待っているかのような感覚だ。
「……父さんも僕たちが生まれる時、こんな気持ちだったの?」
「あぁ、ただ無事に生まれてくる事、母さんも無事である事、それだけを祈っていた」
「経験者の言葉は至言だね」
僕の左隣に座る父さんは僕の背中に優しく手を置く。
「エル、お前はただ信じればいいクリスと子供が無事であることを」
「うん、ありがとう父さん」
そう父さんと笑いあう僕の耳に一つの音が聞こえてくる。
それは
そして、男性の侵入を拒み続けた扉が静かに開かれる。
「エル、まずは一人でいらっしゃい。最初はあなたが見なければいけないから」
扉から姿を見せた母さんのその言葉に導かれるように僕は部屋の中へと進む。
僕とクリスのいつもの寝室の中には、汗をかきながらも笑顔のミーザ、アリシャ、リリィ、リスティ、ユスティ、アリス、メイリアがいる。
そしてベッドの横にはベルが何かを抱きかかえて僕へと微笑みを向ける。
「エルさん、おめでとうございます。エルさんとクリスによく似た男の子です」
そのベルの言葉に、自然と目から涙がこぼれる。
ゆっくりと僕はベルへと近づいていく。そしてベルが抱きかかえるものに視線を向ける。
それは純白の布に包まれた小さな命。薄っすらと生えた髪は金色に輝く。
泣き疲れたのか静かに寝息を立てている。……僕とクリスの子供。
震える指で頬を触るとくすぐったそうにする。指から伝わる高い体温に僕は驚く。
「ねぇ、エル、私頑張ったでしょ?」
ベルの横のベッドに横たわるクリスは髪を汗で額に付けながらも誇らしげに笑う。
僕はベッドに座り、クリスの額に付いた髪を指で丁寧に梳く。
「うん、よく……よく頑張ったね。クリス。これほどまでに嬉しいと思ったことはそうは無いよ」
「うん、わたしもこれほどまでに嬉しいことは無いわ」
そう僕たちは笑いあう。
「エルさん、どうぞこの子を抱いてあげてください」
「う、うん。そうだね。緊張するなぁ」
ベルはそう言うと僕に子供を差し出す。僕はおっかなびっくり我が子を抱きかかえる。
それは僕の予想以上に重く、そして温かい。それは命の重み・命のぬくもり。
「産まれてきてくれてありがとう。これからよろしくね」
そう僕は新たなる家族に問いかけるのだった。
――――
王国歴三百十二年四月二十日十六時二十分
エルスティア・バルクス・シュタリア辺境候が長子アルフレッド・バルクス・シュタリア誕生
父親と母親の才能を余すことなく継いだとされ、後に誕生する多くの弟妹からも敬愛される英雄はここに生を受けたのであった。
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