第198話 ●「正室の暗躍1」

 年が明けて出産予定まで三か月となったクリスにとって可及的速やかに進めなければいけないことがあった。


 それはエルの側室の充実である。

 正室であるクリスがある意味、エルを巡ってのライバルを増やすというのは矛盾をはらんでいるように感じるが、貴族社会においてはそこまで珍しい話ではない。


 この世界は魔法の発展の弊害として医学技術が未発達である。

 貴族であればお抱えの治癒士を雇うことが出来るが、平民であればそうはいかない。


 そのため、子供が成人である十五歳を迎えることが出来る確率は五割にも満たない。

 多くが、栄養失調や病気によって死を迎える。


 ならば病気に対しての対抗策をとればいいとなるのだが、そもそもが基礎医学が未発達というのが致命的である。

 さらに言えば、お抱えの治癒士のおかげで病気とは無縁である貴族にとっては医学という成果が分かりにくい物に資金を投入する意味が無いと考えるのだ。


 その中でもバルクスは、レインフォードの時代から定期的に騎士団内の治癒士によって平民に対して無料の治癒活動を行っていただけ、王国内でも進んでいる――他の貴族からは奇異の目を向けられていたが――といえた。


 そういう事もあって王国の平民・貴族を問わず共通認識としては『多くの子を作れ』が占めている。

 けれど一人の女性から生まれてくる子供の数は知れている。


 であれば、どうするか?

 そしてたどり着いたのが、側室を多く持ち多くの子を成す。であった。


 それは生活基盤がより安定した――つまりは領主である貴族により求められる風潮がある。

 そしてその側室を増やす事を仕事の一つにしていたのが、第一婦人……つまり正妻である。

 もちろん多くの場合、後継者として男子を産み、継承を確固たるものにした後となる。


 そういった意味では、自分の子供が男女どちらか分からない内から動き出したクリスは珍しいといえるだろう。

 だが、彼女の中にはこの子は男子だという確固たる自信があった。だからこそ早めの行動なのだ。


 正妻が側室を増やす事は違和感があることだが、貴族社会においてはあまり問題視はされていない。

 そもそもが、貴族社会においては当主と正室が恋愛結婚である可能性は極めて低いのである。

 恋愛結婚であるレインフォード義父様とエリザベート義母様が珍しいのだ。


 多くの場合が政略結婚、中には結婚する三日前に初めて顔を合わせたという話も少なくはない。

 つまり長く過ごすことで育まれることもあるが、恋愛感情はお互いともに希薄と言えた。


 当主にとっては、子を成し、自家の家格を上げるための対象として。

 正室にとっては、両親の家格を守るための対象としての関係でしかないのである。


 エルとクリスであっても対外的にはバルクス辺境候を王家の外戚とするための政略結婚となっているのだから。


 エルの側室を増やす事に心の片隅ではモヤっとしたものを感じるのは、自分がエルとの対外的な事は無視して恋愛結婚だったからこそだ。

 本来、クリスにとっては叶うことは無いと諦めていたことが叶ったといえる。

 存外なご褒美をもらったといってもいいだろう。


 それに比べれば、側室の一人や二人……十人くらいどうってことない。……と自分を納得させていた。

 そして、側室にするならばどこの馬の骨ともわからないのよりは近しい友人という事である。


 ベルについては、先月、念願かなって告白に成功した。

 アリスについても条件付きだが良き返事がもらえたと言ってもいいだろう。


 ユスティに関しては少し突けばあっさりと告白する性格だ……いや、今までよくしなかったと逆に感心すらする。

 であれば残るは二人……リスティとメイリアである。


 ここに戻ってきて約一年。

 クリスなりにその二人について観察もしてきたが、側室として問題は全くないと言える。


 むしろクリスの想像の中では、今の友人関係の延長線上で側室としてエルを支えている風景が見えそうですらある。


「さてと、先ずはリスティだけれど……彼女の場合、正攻法がいいわよね」


 本来のクリスはどちらかと言えば、搦め手から攻めるのを得意としている。

 けれど相手は、戦略においていまだに騎士団内でも無敗を誇る天才である。


 本来のクリスの得意技では逆に警戒心を抱かせてしまうことになるだろう。

 であれば、こちらも素直な気持ちをぶつけて彼女の本心を聞き出すほうが得策と言えるだろう。


 ――――


「こんにちは、リスティ。少し時間があるかしら?」

「クリス? 珍しいですね。歩き回っても大丈夫なのですか?」

「ええ、胎教の事を考えると少しは動かないとね」


 軍令部でいつものようにバインズ先生と軍の体制を考えていたらしいリスティに声をかける。

 リスティはクリスにとっても幼き頃の剣の師であるバインズ先生の長女である。


 母親譲りの赤毛に赤と黒のオッドアイと非常に珍しい特徴を持つ。

 その珍しさゆえに子供の頃はからかわれていたからコンプレックスになっているらしいが、クリスにとっては凛とした美女である彼女の容姿にさらにアクセントを加えて唯一無二の個性として羨ましくもある。

 クリスの風貌は金髪に青眼と、この王国では非常にありふれた物故の羨望もある。


「んじゃリスティ。少し休憩にするか。クリス、しばらく俺は席を外すからゆっくりしていけ」

「ありがとうございます。バインズ先生」


 クリスの頭をポンと軽く叩いて席を外すバインズ先生にクリスは感謝とともに頭を下げる。

 自分を元王女としてでは無く一人の元生徒としていまだに接してくれるバインズ先生には感謝してもしきれない。

 そんな尊敬すべき師の唯一といってもいい心残りが、リスティの将来である事をクリスも知っている。


 将来といっても今後の軍令部での活躍についてではない。

 一人の女性としての将来だ。


 そして、バインズ先生自身も夫にするのであればエルにと思っていることも聞き知っている。

 故に私がここに来た理由を何となく察知したのだろう。


 こうしてリスティと二人きりになるようにお膳立てをしてくれたのだ。


「とりあえず、立っているのもつらいでしょ。こちらの席にどうぞ」


 リスティは、自分のそばにあった椅子をクリスに勧める。

 木だけで出来た武骨な椅子ではなく。羽毛を詰めて作られた柔らかい椅子を勧めてくれたのはクリスへの気遣いであろう。


「ありがとう。リスティ」


 クリスが椅子に座るのを見た後、壁際の机の上に置かれたティーセットから二つカップを準備して紅茶を注ぐ。

 

「ベルのように美味しくは入れることはできませんが、どうぞ」


 そう、薄く笑いながらクリスの手元の小さな机の上にカップを一つ置く。


「そこまでの贅沢は言わないわよ……あら、美味しい」


 クリスが一口含むと、口の中にかすかに果実の匂いが広がる。


「でもこの匂いって……」

「はい、エルの好きなお茶を少し分けてもらいまして。

 ベルに美味しく入れるコツも教えてもらったので、気に入っていただけて良かったです」


 なるほど紅茶党のエルは、色々な銘柄の紅茶をたしなんでいる。

 それでも最終的にたどり着いたのが、このアウトリア産の紅茶である。


 商品として品質は最高級であるのだが、生産量が少ないことがネックで他領への有効な商品になっていないことをエル自身も残念がっている。

 まぁ、どうやら大量生産の方法を考えてはいるみたいだが……


「それで、今日はどういったご用事で? まぁ、大体想像はつきますけど」


 リスティも自身の椅子に座り、紅茶を一口飲みながらクリスに尋ねる。

 ……やはり、彼女には遠回しなやり取りは不要なようだ。


 とはいえ、幾度となく皆にエルの側室にならない? と言ってきて下地が出来ているからではあるが。


「単刀直入に言うわ。リスティはエルの事は好きかしら?」

「本当に単刀直入ですね」


 リスティは苦笑いすると、もう一度紅茶を口に含む。


「好きか嫌いかで言えば、勿論、好きです。

 ただ、この感情がクリスやベルのように恋愛感情なのか? が分からないのです」


 そう続けるリスティの言葉を、クリスは黙ったまま聞き続ける。

 まずは、リスティの口から言葉にさせることで整理させようと考えたのである。

 それを感じ取ったのかリスティは続ける。


「私は、お父様が好きです。アインツ君も好きです。

 けれどエルへ向ける好きという感情とは別物……それは分かっているのです。

 ですが、それは恋愛感情ではなく、主君に対しての敬愛なのではないか? そう思ってしまうんです」


 リスティは感情よりもまずは理論を持って考えてしまう傾向がある。

 勿論、持って生まれた『ギフト』の存在によって頑固に理詰めに走るということは無いが、それでもやはり先ずは理論なのだ。


 そういった意味では恋愛感情はリスティにとっては不確定要素以外の何物でもないのだろう。

 他人の恋愛感情であれば、戦略のカードとして躊躇なく計画の一部にする事がリスティには出来るだろう。


 けれどそれが自分自身となった時、瞬く間に彼女の中では難解な問題になってしまうのだ。

 今もリスティの中ではエルへの恋愛感情が堂々巡りしているようにクリスには感じられた。


 であれば、簡単だ。リスティには方向を示してあげれば良い。


 それだけで聡い彼女であれば、自分の中で結論をつけることが出来るだろう。

 だから、クリスはリスティに微笑む。


「なんだ、とっても簡単な事じゃない」

「簡単……ですか?」


「えぇ、リスティア・アルク・ルードは、どうしようもなくエルスティア・バルクス・シュタリアに惚れている。ただそれだけよ?」

「……なっ! ほ、ほ、ほ、惚れっ!」


 クリスの言葉をリスティが理解した途端、顔を真っ赤にしてどもる。

 そんな彼女を見て、『あ、こんな可愛い表情もするんだ』とクリスは一つ楽しい発見をする。


「そうよ、なんだかんだ色々言いながら結局、バインズ先生やアインツ君とは別の好感情をエルに抱いているっていう認識はあるんでしょ?」

「それは……その…………はぃ……」


 リスティは次第に声を落としながらも肯定する。


「それが主君に向けた感情? そんなわけないじゃない。エルに対してリスティが向ける表情は、恋する乙女そのものよ?」

「えっ、そうなんですか!」


 ……もちろん、嘘である。

 むしろリスティが色恋におぼれている顔をすることが想像できない。


 ただ、それでもリスティがエルに向ける顔は穏やかであることは嘘ではない。

 それは相手に対する信頼・親愛の証。


 自分自身の思いを整理させるのは嘘の中にちょっとした真実を含めることが肝要なのだ。

 現に自分のエルに対する気持ちに方向性――クリスが上手く誘導したのだが――が見えつつあるのだろう。

 もしリスティの中にエルに対しての恋愛感情が全くないのであれば、今時点で心が拒絶しているはずである。


「そう、ですか……これが恋愛感情なのですか……

 心の機微は、戦略を考える上でも重要な要素なので、自分ではかなり分かっていたつもりでしたが……

 自分の事となるとこうも分からなくなるのですね」

「えぇ、人を好きになるって素敵なことだけど、色々とぐちゃぐちゃになっちゃうから」


 体験の先駆者であるクリスはそう苦笑いで返す。


「ですが、エルは私なんかを好きになってくれるのでしょうか?」

「どういうこと?」


「御覧のように私は、赤毛でオッドアイです。世間的にはオッドアイの人間は不幸の象徴とも言われています。そんな私をエルは……」


 そう顔を暗くするリスティにクリスは返す。


「あら? それは私の夫に対する侮辱かしら?」

「え?」

「私の最愛の夫が、門地もんちや容姿で差別するような人だと思われているなんて最大の侮辱ね」


 クリスの厳しい言葉とは裏腹に、顔は笑顔のまま。

 ゆえにリスティもクリスの伝えたい真意を理解する。


 そうだった、エルが人を見た目で判断しないことなど分かってたことではないか。

 学生の頃、このオッドアイを『宝石みたいで奇麗だね』と何気なく褒めてくれた事もあったではないか。


「申し訳ありません。クラリス・バルクス・シュタリア殿。私の非礼をお許しください」


 だからこそリスティは仰々しく謝罪する。


「うむ、許す」


 それにクリスも仰々しく返す。


 そしてお互いの顔を見合って……二人は笑いあう。

 一頻り笑いあった後、リスティはクリスに返す。


「ありがとう、クリス。自分の気持ちに何となく気づけたよ。

 けれどもう少しだけ、自分の気持ちの整理をさせてもらえないかな?」

「えぇ、もちろんよ。リスティから色よい返事がもらえる事を期待しているわ」


 そうクリスは、微笑みながら返すのであった。

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