第144話 ●「ルーティント解放戦争4」

 王国歴三百九年六月三十日


 初夏を迎え、より草花の色を濃くしたカモイ大平原

 普段はルーティント伯のモレス要塞とカモイの町を行き来する商人達の姿を望むことが出来る地は異様な雰囲気に包まれていた。


 西側にはミスティアの花と三日月が刺繍された旗――バルクス伯旗を掲げた兵が総勢六千三百。

 東側には狼と二振りの手斧が刺繍された旗――ルーティント伯旗を掲げた兵が総勢二万六千。


 比にして約一対四という両軍が集結していた。


 両軍共に既に陣形は構築済み。

 頻繁に動いているのは伝令のための騎馬が数騎。

 それが間もなく開戦することを予兆させていた。


 ――――


「おいおい、何だあの陣形は?

 最前面に数百の小軍を置くとは。気でも狂ったのか?」


 カモイ大平原の東部にある小高い丘に陣取ったルーティント軍本陣は両軍の陣形を見通せる好位置である。

 そこからバルクス伯側の陣形を見たラズリア・ルーティント・エスト伯爵は馬鹿にしたかのように呟く。


「まったく、陣形構築の基本すら知らんのか?

 あの赤毛の女も所詮、机上でのお遊戯しか力を発揮出来んらしい。

 万が一に備えてモレス要塞にルーディアスを残してきたが杞憂きゆうに終わりそうだな」

「いやはや、全くもってその通りでございますな。伯爵閣下」


 ラズリアの言葉に愛想よく男――ルーティント第二騎士団長 ルプルギアが答える。

 元々は下級貴族の出であったが、前年の後継者争いの際、ラズリアの傍に付き従った。

 その褒美として終結後に前任者が引退したことで空席となった第二騎士団長という席に座っている。


 つまりは実力でその席に座ったわけではない。

 それは第二騎士団に不協和音をもたらしていたが、奇しくも今回の戦争が何とか部隊としての体裁を保つことになっていた。


 騎士団の多くは副団長に従っていたが、ルプルギアにとってそれは不快でしかない。

 ルプルギア自身も今回の戦争で手柄を立てて自分の地位を固めようという野心がある。


 ラズリアにおもねるルプルギアとは異なり第一騎士団長のボルドーには、バルクス軍側の陣形の意図が読めないことに不安感を募らせていた。


 先頭にいる一個中隊ほどの部隊の旗印は不明ではあるが、その後ろにはバルクス伯の第二・第三騎士団の旗印が確認できる。

 つまりは、かの第三騎士団長ルッツ・ヘイマーも参戦しているはずだ。


 かの老練なる騎士がいるにも関わらず、このような奇妙な陣形を受け入れたという事実が目の前には広がっているのだ。

 だが、この違和感をラズリアに報告することは躊躇われた。


 彼自身もこの違和感の理由が分からないというのもあるが、ラズリアがネガティブな報告に対して耳を閉ざすことを理解していたからだ。


 だからこそ、ラズリアの周りには彼を持て囃すやからばかりになっていた。

 ボルドー自身、この戦争が終われば何らかの責を作り出されてこの座を追われることになるという予感があった。


(ま、最後の奉公というには何の恩も無いがな)


 その事にボルドーは自嘲する。


「まぁいい、ルプルギア! 黒騎兵隊を持って敵陣を瓦解させて来い!」

「はっ! お任せください。ルーティントに黒騎兵ありをご覧に入れて見せましょう」


 ラズリアの言葉にルプルギアはうやうやしく頭をたれる。

 ルプルギアの中では戦力は圧倒的。自身の身の危険も少ないからこそ前線に立ち功績を誇ろうとしているのだろう。

 ボルドーにとっては騎士の風上に置けぬ発想であるが、これからのルーティント伯ではそういった者たちが上層部を固めていくだろう。



 戦争の時は刻一刻と近づいていた。



 ――――


 王国の内部の戦争については幾つかのしきたりが存在する。

 今回のように両軍が陣形を構えての場合、それぞれの代表者もしくは代理人が中央に集まりそれぞれの言い分を声高に宣言する。


 そこでどちらかの言い分を受け入れれば戦争は回避されるが、そんなことは有史以来一度も存在しない。


 交渉が決裂した後は、進軍を開始する日時を宣告して代表者は自陣へと戻る。

 宣告した日時より前に動くことはマナー違反として他の貴族の笑いものになる。


 ここまでであればスポーツのセレモニーのようだ。

 だが、スポーツのように生易しいものではない、この後大量の血が流れることになるのだから。


 この時、両軍が宣言した日時はしくも同時刻、六月三十日十三時であった。


 正午、両軍は合戦前の最後の昼食を取る。その風景は後一時間後に血なまぐさい戦いが始まるとは信じられない光景であった。

 その時、両軍共に負ける未来を見出せていなかったからかもしれない。


 ルーティント側は、圧倒的な兵力を背景に、バルクス側は最新装備への信頼を背景に。

 その思い描いた未来通りに行くのはどちらなのか。誰もまだ知らない……


 ――――


「ルプルギア団長、定刻となりました」


 横に控えていた騎士がルプルギアに合戦の開始時刻が来た事を告げる。


「うむ、敵の動きは?」

「動き……無しです」

「ふん、さすがに無知な奴らでも大軍に突撃するという無謀は避けたらしいな」

「……はっ、そのようです」


 心の中で『貴様が戦術を語るなよ』とその騎士は思ったが、もちろん言葉に出すことは無い。

 彼がすべきはこの素人戦術家が無謀なことをしないように諌めること。


 もちろん、ご機嫌を損なわないようにする必要がある。

 まったく、貧乏くじを引かされたものだ。


 ルプルギアが率いるは、ルーティント伯屈指の精鋭『黒騎兵隊』である。

 この戦場には二千も動員されている。


 騎兵一騎は歩兵五人に相当するという指標がある位、歩兵にとっては脅威となる。

 騎兵の突進攻撃を防ぐために用いられるのは馬防柵や槍衾やりぶすまといった集団防御。


 しかし、この大平原においては機能的な馬防柵の設置は難しい。

 また、槍衾も敵が全軍入れてもルーティント黒騎兵の三倍程度しかいない時点で効果的に対応することも難しいだろう。


 バルクス側の先頭にいる数百の部隊からかなり離れたところに何個か馬防柵が設置されている。


 だが、時間もしくは人手が足りなかったのか未設置の空間のほうが圧倒的に広い。

 また、部隊からの距離を考えると馬防柵を超えてから突撃体制に入っても全く問題が無い。

 馬防柵の意味を成していないのだ。


 それらの幾つかの粗が、よりルプルギアに圧勝のイメージしか湧かせなくなる。


 歴戦の騎士達の何人かはその粗こそが不安要素であるが、進言するだけの根拠が無い。

 そんなモヤモヤ感を抱いていた。


「よし、全軍突撃。前方の小軍など蹴散らしてしまえ」


 ルプルギアが指示を出す。


「お待ちください、敵の陣構築の粗が不気味です。何か罠があるのかもしれません。

 まずは千騎で様子を見るべきです」


 隣に控える騎士からの進言に……ルプルギアは顔を紅潮させる。


「ふざけるな! たかが数百の部隊に何が出来る!

 罠があったとて黒騎兵隊であれば噛み切れるわ!

 ……まさか、貴様、敵のスパイではあるまいな?」

「いえ、そのような事は……了解しました。全軍による突撃で忠誠のほどをお見せいたします」


 前任の騎士団長であれば一考してくれたであろう進言をしただけで謀反人扱いされるなどたまったものではない。

 自分自身にも罠があるという確実な根拠があるわけではない騎士はルプルギアの命令に従う他無かった。


 ――――


 バルクス伯鉄竜騎士団


 今回の戦争が初めての実戦になるにも関わらず張り詰めた緊張感は無い。

 いや、もちろん緊張してはいるが、適度な緊張感に包まれていた。


「ま、敵は二千の騎兵隊。普通に考えればなーんの抵抗も出来ないまま戦死だな」

「そうだねー、こっちが普通であれば……だけどね」


 その緊張を緩和させているのは双子の兄妹。

 戦場、しかも騎兵隊が徐々に近づいてきているにも関わらず、その口調は普段どおり。


 ちなみに騎兵隊による突撃というけれど、自陣から敵陣までを常に全力で突進してくるわけではない。

 当たり前だ、そんなことをすれば敵陣に着く頃には馬がばててしまう。


 敵陣に近づくにつれ、速足はやあし駈足かけあし襲歩しゅうほへとスピードを上げていくことになる。

 競馬用語で言えば、トロット、キャンター、ギャロップといったところか?


 今は、まだ遠いから速足といったところだろう。

 それでも徐々に近づいてくる騎馬二千の威圧感は計り知れない。


「敵騎兵、目標地まであと三百」

「よっし、全員戦闘態勢! いいか! 練習通りにやれば絶対に負けることは無い!

 練習を思い出せ!」


 観測班からの伝令に、いままで雰囲気から一変。

 団員全員に聞こえるほどの大声で双子の兄――アインツからの指示が飛ぶ。


 その声に誰一人遅れることなく全員所定の位置に着く。

 それは百五十人ずつが前後二列に並んだ陣形。


 従来の戦術家が見れば失笑するだろう意図不明な陣形。

 だが、その従来の戦術を真っ向から否定する日になる事になる。


「敵騎兵、目標地まであと五十……四十……三十……」


 観測班によるカウントダウンが始まる。

 目標地……それはルプルギアが馬鹿にした中途半端な位置に構築された馬防柵。

 その距離、九百m。三百丁製造された『エンフィールド』の有効射程距離。


 そして……死の距離。


「……敵騎兵、目標地到達!」

「よしっ! 撃てぇー!!」


 王国歴三百九年六月三十日十三時十一分二十六秒


 歴史書において日時まで正確に記載された銃による世界初の射撃により『カモイの戦い』は幕を開けるのである。

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