リナリアのせい


 ~ 三月五日(火) ~

   2=181 1=76 ~


 リナリアの花言葉 幻想



 昨晩、自分しか立っていない土俵に大金が降って来たと大はしゃぎしたおばさんに連れられて。

 夜中だというのにお寿司屋へ行き、たらふく食べて来たと。

 皮算用にもほどがあることを話す猟師の片割れは藍川あいかわ穂咲ほさき


 ……二人で一万円分も食べたと言っていましたけど。

 優勝したら、もう一度行くのと息巻いていらっしゃいますけれど。


 都合。

 賞金が十八万円になってしまいました。



 そんな能天気な穂咲さん。

 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、頭のてっぺんでお団子にして。

 赤と黄色のリナリアを五本揺らしています。


 久しぶりに。

 丸一日、バカに見えました。


 とは言え。

 そのバカの元をこうしてすぽんと抜けば。

 まあそれなり普通に見えますし。


 こうして髪をとかしてやれば。

 なかなかどうして。


 普通に見えます。



 …………普通です。


 ほんとに。

 それ以上ではありません。



「しっかし二十万円とか、なんて棚ぼた! よし、ほっちゃん! こうなったら東大の医学部とか入っちゃう?」

「まかしとくの。史上初、東大卒の目玉焼き職人になるの」

「目玉焼き職人自体が史上初でしょうよ。それに、赤い門の方と海辺に建ってる方とを間違える子は東大に入れません」

「失礼なの。そんな初歩的なミスはしないの」

「じゃあ、赤い門の東大はどこにあるでしょうか?」

「奈良公園の左の方」


 ああなるほど。

 そうやって、おばさんがおなかを抱えて笑いながら正解と叫ぶものだから。

 君の知識がおかしなことになるのですね?


 大人のこういった反応は。

 子供に悪影響があるのでやめた方がいいのです。


 そんな、東大寺と東大と灯台の区別もつかない穂咲が。

 こたつに足を突っ込みながらミカンの皮をむいて。

 缶ビールを傾ける、ご機嫌なおばさんに手渡すと。

 白いエレエレが綺麗に取れて戻ってきます。


 のどかな親子のキャッチボール。

 そんな風景の中。

 俺は、穂咲の髪を梳いているのですけれど。


 なんでこんなことをしているのかというと。


「それじゃ、耳の上あたりで左右五本ずつ、細長い三つ編みを作ってみて?」

「はい」

「その後、同じ高さで後頭部に八本の三つ編み作って」

「合計十八本!? 何時間もかかっちゃいますよ!」

「ほら、そう思うんだったら口を動かさないで。てきぱきやる!」


 昨日、皆さんにはっぱをかけられて。

 おばさんと一緒に。

 ヘアスタイリング大会へ参加することになった俺なのですが。


 これを機に、ヘアアレンジについて教わろうと。

 スーパーの袋いっぱいに詰めたミカンを手土産に。

 藍川家にお邪魔しています。


 勉強もしないとですけど。

 せっかくやる気になったところですし。

 いい機会ですし。


 ヘアスタイリングの基礎とやらを。

 存分に学びましょう。


「……急にやる気になったわね、道久君」

「そうですね。ここのところ、やる気モードです」

「少しずつ慣れなさいな。大人になったら、普段はいつでもそのモードなんだから」


 おお、なるほど。

 言われてみればその通り。


 テスト期間中だけ一生懸命になる俺や穂咲と違って。

 大人は毎日が試験のようなものと言いますし。


 少しずつ、準備をはじめないと。


 知識と。

 心構えと。



 改めてやる気をみなぎらせる俺に。

 おばさんが、遅いわねえと文句をつけながら手を出してきたのですが。


「まあ素早い事」

「当然!」


 しかも、編み目の綺麗な事。

 改めておばさんの凄さを体感です。


 おっと、見惚れていないで。

 俺も集中しないと。


 そう思っていたのに。

 この人、圧倒的なスピードで穂咲の髪を編みながら。

 普通に話しかけてくるのです。


「……道久君も、自分で学費を貯めてるのよね?」

「ええと……、ええ、はい」

「曖昧な返事ね」

「いえ、細い三つ編みに集中しているので……。貯めてますよ、毎月二万円」


 おかげでお小遣いはかつかつですが。

 でも、それなり立派な金額が貯まりました。


「穂咲の真似ですけど」

「ふふっ。たまあにお役に立てて良かったわ」

「はい。たまあにですが、いいこと教わるのです」

「むう! 二人して失礼なの!」


 こら、モデルさん。

 暴れなさんな。


「道久君、もうちょっと細かいピッチで編んで。それがたて糸になるから」

「たて糸ねえ。まあ、確かに編み物みたいな作りになっているようでしたけど。……それよりすいません、お仕事忙しいのに、こんなお時間取っていただいて」


 俺が、作業の手は休めずにお礼を言うと。

 おばさんは、あっという間に最後の一本を編み上げて。

 缶ビールを口にしながらからからと笑います。


「覚えておくといいわ。誰だって、自分の拠り所としているものを頼られると苦痛だなんて思わないものよ?」

「そんなものでしょうか」

「少なくとも私は嬉しいわよ?」

「でしたら良かったのですけど……、よっと。こんなもんでどうでしょう」

「…………四十点」


 おお。

 こいつは手厳しい。


 そしておばさんが、細長い三つ編みを器用に格子状に編んでいくと。

 あっという間にいつもの鉢植えの形になり始めたのですが。


 今更ですが。

 これはスタイリングというより。

 竹細工の領域なのです。


「このまま縦紐と横紐が交互になるように編んでいくのよ。分かる?」

「分かりたくない俺がいるのですけど、でも、よく分かります」


 そう言いながら、俺も手を出して。

 不器用に続きを作っている間に。


 おばさんは、余った髪で三本の三つ編みを作って。

 それを複雑に編み上げて。

 鉢植えの縁に、見事なハトをこさえてしまったのです。


「……間近で見ると、そのでたらめな技術がなおさら信じられなくなるのです」

「ほっちゃんの髪だからできるんだけどね。適度な弾力。長いのに一辺倒な髪質」

「なるほど。穂咲の髪以外は滅多にいじらないから、あまり気にしたこと無かったのです」


 俺が感心しながら、ハトの構造をつぶさに観察していると。

 おばさんは、手をぱんぱんとはたいて、おこたへ潜ってしまいました。


「そうだ。道久君、モデルはどうするの?」

「ああ、そうですよね。穂咲はおばさんのモデルになるわけですし」


 クラスの友達にでも頼んでみましょうか。

 でも、果たしてモデルになってくれる方などいますかね?


「……モデル、他に思い当たる方がいなかったりするのです」

「やれやれなの。やっぱ、あたしがいないとダメな道久君なの」


 おや。

 今まで黙々とミカンを頬張っていた穂咲が。

 偉そうなことを言ってきましたが。


 そこまで言われては。

 弱気なことなんか言えません。


「いえ、なんとかします。モデルさんも見つけて、しっかり練習して。やるからには、おばさんを越えるくらいのつもりで行きますとも」


 俺が決意に燃えた宣言をすると。

 穂咲は、なにやら頬を膨らませて見上げてきました。


 ははあ、そういうことですか。

 何も言わなくても分かりますとも。


「ご安心なさい。俺が賞金を貰っても、君の学資としてプレゼントしますから」

「……ママ。こんな念仁なんかこてんぱんにしちゃうの」

「そうね。コテンパンにしましょう」


 いやいや。

 そんなに気合を入れなくとも。

 コテンパンにされるのは明白なのです。


「そして、賞金はママと山分けなの」

「君が五割貰うのはおかしいでしょう」

「ふふっ。結果、十割ほっちゃんのものだけどね。あんたも入学金貯金してるんでしょ? ブタさんの中に入れといてくれればいいわよ」


 おばさんが優しい言葉をかけるなり。

 穂咲の頭に留まったハトが。

 ぴくっと体を強張らせたのですが。


 ……なんて分かりやすい。


 俺はおばさんと顔を見合わせて。

 やれやれとため息をつきました。


「……そう言えば。チョコ騒動の時には無限の資金力を誇ってましたもんね」

「うう」

「ぶっちゃけ、いくら入ってるの?」

「き、昨日お給料出たから、一万円入れたから……」

「全部でいくら入っているか聞いてるのよ」

「…………九千円」

「既に千円使っとる!」


 呆れた!


 偉そうなことを言っておいて。

 それの、どこが貯金ですか。


「やれやれ。俺も優勝目指して頑張りますので、君もおばさんと一緒に一生懸命頑張るのです」

「うう、そうすることにするの。不本意だけど」

「こら。不本意とは何事ですか」


 おばさんに失礼です。

 俺は、穂咲の頬を両側に引っ張りましたが。


 おばさんは。

 意外にも、ゴメンねと謝りながらため息をつくのです。


 ……一緒に出場するのが不本意と言われて。

 なぜ謝るのです?


「まあ、そういう訳だから。道久君にはコテンパンに負けてもらいます」

「はあ。……じゃなかった、勝つ気で立ち向かいますとも。こんなに一生懸命スタイリングを教えていただいているし」


 そう言いながら、ハトの頭をうにうに撫でていると。

 おばさんは、呆れ顔で言いました。


「……スタイリング?」

「え?」

「それがスタイリングに見える?」



 はっ!?



 俺はどうやら。

 大道芸を教わっていたようです。


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