カルミアのせい


 ~ 二月二十日(水) 3=32 ~


 カルミアの花言葉 にぎやかな家庭



 昨日、卒業制作宣言をしてからというもの。

 一日中、どこかをほっつき歩いて。

 授業も受けていないこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、頭のてっぺんでお団子にして。

 それを白とピンクのカルミアで埋め尽くしているのですが。


 これは、あれですね。

 穂咲のおばあちゃんのところで見た、ドアの取っ手にかぶせられたカバーに見えるのです。


「昨日からずっと、どこをほっつき歩いているのです?」

「卒業制作なの」

「答えになっていませんが」

「そんな中でね? みょうちくりんなものを入手したの」


 ええとねえなどとつぶやきながら。

 大きなショッパーをがさがさとあさっている穂咲ですが。


 横からちらっと覗き込むと。

 まるで、部屋のいらないものをまとめた袋のよう。


「ガラクタ袋? 一体、それは何です?」

「あったの! ねえ道久君。これ、なに?」


 俺の質問には耳も貸さず。

 穂咲が袋から取り出したものは。


 鼻の先端に穴の開いた。

 天狗のお面なのです。


「…………なにと言われましても。お面じゃないですか」

「鼻、壊れてるの?」


 なるほど、言われてみれば。

 ちゃんと加工してありますし。

 壊れてできた穴には見えないですね。


 俺が、お面を顔に当てて。

 穂咲が、長い鼻の先端に開いた穴に、指先を突っ込んでいたら。


 すぐ後ろの席から、博識な王子。

 岸谷君が声をかけてきたのです。


「おやおや、これは珍しいものをお持ちじゃないですか」

「え? これ、何なのかご存知なのですか?」

「ええ。それは盃ですよ」


 え?

 いやいや、待ってください。


「ここにお酒を入れるのですか?」

「全部、もっちゃうの」


 そう、これを器にしたら。

 鼻の先から零れてしまいますよ?


 俺は、お面を器に見立てて持って。

 上から、鼻の部分を覗き込みますが。


 やっぱり、足下が丸見えなのです。


「その穴を手で塞ぐのですよ。注がれたお酒を飲み干すまで、器を手から離せないという訳です」

「……え? それじゃあ、罰ゲームみたいじゃないですか。お酒って、飲みたいから飲むものなのではないのですか?」

「その疑問には僕も共感ですな。ですが、飲酒を強要するという文化は世界各地、至る所にあるものですよ」


 言われてみれば。

 テレビでよく見かけますね。


 ……だとすると。

 これ、ひどい強要とは思いますが。

 洒落としてのセンスはずば抜けているのです。


「なるほど、面白いのです。青汁とかだと可哀そうですが、ただの水でも注げばちょっとしたいたずらになりそうです」

「それは良いアイデアですな。でも、二年間も君たちを間近で見ている僕からの忠告ですが、そのようなことを口走ってはいけないのでは?」


 そう言いながら、神尾さんにウインクなどする岸谷君。

 神尾さんはそれを見て、苦笑いなどされていますが。


 ……どういう意味です?

 などと、首をひねる間もなく。


 俺は言葉の意味を思い知らされることになりました。


「え? なにこれつめたっ……、うわわわわわ!」


 このバカ!

 ペットボトルから水を注ぎこむなんて!


「……道久君、反射神経無いの」

「そういうゲームじゃありませんよ! 今の説明聞いてました!? それにこんな不意打ち、反応できるわけ無いのです!」


 ああもう!

 塞ぐ間もなく、穴から水が全部零れて。

 ズボンがびしょびしょですよ!


 やっぱりね、などと言わんばかりの表情で。

 俺たちを見つめる岸谷君と神尾さんですが。


 分かっているなら、穂咲を止めて欲しかったのです。


「今日は体育も無いですし、着替えなど無いのですが……」

「あ、丁度いいの。着替えなら持ってるの」

「は?」


 突飛な行動に続いて。

 意味の分からないことを言い出して。


 ……最後には。

 バカなものを持ち出しました。


「なんです? でかい布?」

「お着換え用のカーテンなの」


 言うが早いか、穂咲は近所の皆さんにさっと目配せをすると。

 悪ふざけが好きな連中が、寄ってたかって俺をすっぽりと丸い枠からつり下がったカーテンで隠します。


 ああ、テレビとかでよく見るやつ。

 この中で着替えれば、確かに誰にも見られませんね。


「じゃなくて! なんでここで着替える必要が!? トイレに行ってきますから、着替えとやらを渡してください!」


 あと、カーテンを持ってる皆さん。

 そうして、首の高さで持っていたら。

 君たちには丸見えになるのですけど?


 みんな、バカなのかな?


「問答無用なの」

「ちょっと待って!? カーテンから手を突っ込むとか反則です、逃げ場が無いのです! あと、宇佐美さん! 冷静な表情で覗き込まないで!」

「ケチケチするな。……ちょっと、興味がある」

「ウソですよね!?」

「ちょこまかと逃げないで欲しいの」

「ほんとやめて!? それに誰か! 神尾さんが何かを妄想して鼻血出してるから拭いてあげて!」


 クラス中から巻き起こる黄色い悲鳴。

 それが、穂咲がズボンをカーテンから引きずり出した瞬間に最高潮。


 ほんとこのクラスは!

 まともな人、どこにもいないの!?


「じゃあ、乾燥させてくるの」

「うおい穂咲! 着替えは……」


 行っちまいやがった!

 ああもう!

 ほんとにもう!


 大パニックの中、なにやら女子が群がってパンダの檻を覗こうとしていますが。

 カーテンを体に巻き付けてガードです、ガード。


「わ、渡さん! へるぷ! へーるぷ!」

「はいはい。……みんな、一旦離れて」

「助かったのです。さすが良識派……」

「秋山のパンツ姿なら、この間旅行に行った時に写真に撮ったのを回覧してあげるから」

「良識は!?」


 誰も、なにも信じられない!

 でも目先の危機回避のために、俺は妥協することに決めました。


「もう、それでいいのです。穂咲が着替えを持っていると言っていたので、出してもらえませんか?」

「面倒ね。そのカーテンでいいじゃない」

「いいわけあるかい!」


 俺が涙目で訴えると。

 渋々と言わんばかりに、渡さんが穂咲の真ん丸な鞄を漁ります。


「えっと……、これね」


 そして、手にした服を掲げると。

 クラス中が、平成最大と思えるほどの笑いに包まれたのでした。


「……なんです? そのぴちぴちのワンピース」

「ボディコンって言うらしいわ。昔、流行ったらしいわよ?」


 ……ボディコン?

 昨日、似たような単語を聞いたのですが。


「さすがに、これじゃないわよね……」

「いえ。それは穂咲が俺に持って来た着替えに相違ありません」

「え」


 クラスを埋め尽くしていた笑い声が。

 俺の言葉でぴたりと止まります。


「まさか……、秋山、これ着る気? 丸見えになるわよ?」


 さっきまでの笑い顔が。

 あっという間に、変態を見る目に早変わり。


 でも、穂咲が善意で持って来た服なので。

 無下にできるはずも……。


「いや、さすがに無理です」


 こうして。

 俺はカーテンを体に巻き付けて穂咲の後を追いました。



 ……その日、校内の学級日誌には。

 古代ローマ人の目撃情報が多数書かれていたとのことです。


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