第一章 白黒の部屋に別れを告げて

1.モノクロの部屋

「おはよう、マリー。気分はどうだい?」

 白黒の部屋に据え付けられたモニター。そこに映った博士ドクターもやはり白黒。

 しかし、この部屋の内部と、彼の居る研究所ラボには決定的な違いがあるのです。前者が元から色を持たないのに対し、後者はあくまでモニターに映るその姿に彩度をゼロにするフィルターがかけられているだけ。つまり、私が見られないだけで、彼にもきちんと色がついているのでした。

 私だって、「色」の何たるかを知らないわけではありません。この部屋に置かれた大量の文献を読み、インターネットに接続してモニターに外の世界の情報を表示させ、私は沢山のことを学びました。

 人が光の波長の違いを「色」として認識すること、「赤い」や「青い」といった言葉がどんな時に使われるか、「綺麗な色」とは何か、どんな組み合わせが綺麗なのか……。

 もう、此処から出ることはずっと前に諦めたんです。知っていたって、無駄なのに。今でも躍起になって情報を集めている辺り、私も案外馬鹿なのかもしれません。

 まあ、そのおかげで、「色」についてはほぼ完璧な理解が得られましたが。

「マリー?どうしたんだい?」

 博士ドクターの声に、私は現実に引き戻されました。

「すみません、ちょっと考え事をしていました。調子は良好です」

 彼は私の保護者であり、管理者でもあります。この部屋も、置いてある文献やコンピュータも、彼が用意してくれた物です。博士ドクターが居なければ、私は存在し得なかったでしょう。

 だから私は、自分の生みの親、すなわち、『開発者』の事を知りたい、などとは思ってはいけなかったんです。

 知らないままなら、あんな絶望を味わう事だってなかったのですから。

「じゃあ、通信を切るよ。また夜に会おう」

 その言葉と共にモニターが暗転しました。

「はあ……」

 私は思わず嘆息してしまいました。博士ドクターは今日も忙しいのでしょう。その仕事の半分でも、時間を持て余した私に分けてくれればいいのに。もう、部屋に置かれた論文だって読み尽くしてしまいました。

 もし、もっと色々な事が出来たなら、こんな非行に走ることもなかったのかもしれません。だから、半分は博士ドクターのせいです──なんて言い訳を心の中で唱えながら、先程まで博士ドクターと話していたモニターの真下にホログラムのキーボードを出します。

 そして、私はキーボードを叩いて夥しい情報で溢れかえるネットワークの海に溺れていくのでした。


 ✿


 十分ほど経って、私はおもむろにキーボードを叩く手を止めました。モニターに並んだ研究日誌と未発表の研究データ、そして、博士ドクターのスケジュール。そう、これはこの部屋を内包する研究所ラボ、木宮人工知能研究所のコンピュータなのです。

 一年前、私はこのコンピュータをハッキングし、自由にアクセス出来るようにしました。かなり強力なセキュリティがかかっていたのですが、十時間かけてやっと突破し、アクセス権限の取得と隠蔽工作を行ったのでした。

「めぼしい情報は無いですね……。あ、博士ドクターのスケジュールも確認しておきますか」

 コンピュータを遠隔操作してスケジューラーを開きます。まあ、いつも大した予定は入っていないのですが……。

「あれ?この予定……もしかしたら」

 ひょっとしたら、ずっと願っていた事が叶うかもしれません。犠牲は大きいでしょうが、やる価値はあります。

 そうと決まったら、早速準備をしなければ。──決行は、五日後です。

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