追い風に吹かれて


「ついた。遠かったなぁ~…腰が腰が…」


「だからいいって言ったのに。」


 否定は最初言ってはいけないと思ったのだが、結局言ってしまった。


「いやいや、彼女が彼氏に送られず電車の中でずっと立っているのは見てられない。」


 彼は真剣な表情で自身の意思を貫いた。好きな人のために妥協しない人は嫌いじゃない。


「そう…。あ、でもありがとう。すごい助かったよ。」


 明るい言葉は基本苦手だが、今まで多くの人に助けられた分感謝の言葉は言い慣れている。しかし、この感謝だけは言い出すのが難しかった。

 顔、赤くなってないかな。


「うん。また、連絡して。」


「分かったそれじゃあ、またね。」


「うん。また。」


 また。あるんだ。こういう時が。場所とか物とかじゃなくて、人とこうして心を一緒にすることが。

 彼の車が消えて見えなくなるまで手を振り続けた。

家に入ったら家族に驚かれるかな。引きこもって心療内科のカウンセリングに通うまでは全然喋らなくて連絡アプリの友達人数は家族しかいない僕が誰かの家に泊まった。

 男同士でお付き合いしてるなんて言えないけどね。


「ただいま。」


 昼の明かりのついていない玄関に光が差し込んだ。僕は帰ってきたんだ。たったの一泊。周りの雰囲気によって、自分が浦島太郎のように見えてしまう。


「おかえり…」


 案の定母は驚いていた。

 僕は何を聞かれるかなんて分かっていた。こういうのは煩わしいので早めに答えておく。


「料理を作ってむこうんちで寝て帰って来た。」


「そう…あっ。カウンセリング次もいかないとね。」


 母はすぐに調子を立て直し、予定を遠回しに聞いてくる。


「いや。それはもういいよ。」


「え…でも…」


 始まったこの優柔不断な反応。はっきり断ったのだからはっきり了承してほしい。


「でも何?」


 僕はこういう融通が効かないのは本当に嫌いなんだ。わがままなんだろうけど。どうしてもね…。


「分かった。」


 母も僕の性格が大体分かってきていた。いつもならさらに長く話が続いたんだ。

 もうそろそろ僕は自分の部屋へと戻るよ。昨日の夜中まで苦しんでいた場所に。ベッドの位置でも変えようか。


ーーーーーーーーーーーーー


「あら、藤原先生?秀秋のことなんですが、本人がカウンセリングはもういいとの事で。」


「あれっ!危険ですよ最近まであんなに容姿が酷く荒れていたんですから…」


「その事なんですが、あの子、最近知り合った人の家で一泊して帰ってきたんです。そしたら今までふらついている様だったのに、今は真っ直ぐ歩いているんです。カウンセリングを断った時もはっきり述べてました。」


 私としては医者として見た目が元に戻っていても見過ごせないのだが、本人と保護者が言っているようではできなかった。だが、確認だけはしておきたい。


「ご本人に、代わることは可能ですか?」


 母は了承したのち、暫しの保留音を入れる。


「先生。」


「おっ。林くん。カウンセリングはもういいって聞いたんだけど、本当?」


「乗り越えられはしないし、治らないのは事実だけど、生きていくことはできそうです。」


 秀秋のその言葉を聞いて、多くのものごとを察した。これは病院へ行くと過去の価値観を思い出し、順調だったものが崩れ落ちてしまう状態だろう。


「…そうか。もしかしたら君は、人生を紡ぎだしたのかもしれないね…。」


「いきなりなんですか先生。」


 秀秋は少し柔らかい声をしていた。以前は萎えた弱々しい声だったのに、今となっては普通の声だ。一体、秀秋くんの目の前に現れた男はどんな人間なのだろうか。不思議でたまらない。

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