僕は私
ぼんやりと意識が戻ると私は仰向けに寝ており、身体は温かく、意識が戻ってから一面しか見ていないがこの部屋が暗いことは分かった。ここまでまだ瞼が数ミリしか開いていなければ音も立てていない。
すぐに目は暗さに慣れてきて少しだけだが視界が調整されてきた。それから目を泳がすと、右に阿部さんの顔があった。顔は非常に近く、私の右頬に唇が当たる寸前だった。
当然私は驚き、目をパチリと開いて口から吐息を小刻みに流した。彼も驚いて顔をすぐに離した。更に私は、彼が自身の右手を私の左脇腹に添えていた事が分かった。
「な…何ですか!!」
私は普段では出せない声量を出し、身体の節々を曲げて小さくなる。
「驚かせてすまない…。本当はこんなつもりじゃなかった。こういう事をしても嫌われるだけだと分かっていたはずなのに…。」
彼は珍しく心細く小さなぼそぼそとした声で答えた。その時の彼の表情は薄暗くてよく見えなかったが、眉間に少々シワが寄って後悔しているような、あるいは辛そうな顔をしていた。
「どういう意味ですか…それ…。」
「初めて君に会ったとき、俺は君のことが気になって仕方がなかった。この感情は一度経験した事があったが、あの時よりも強く感じた。」
「君がどんな人なのかどういう事をしているのか、とにかく気になった。」
「誰かのものになると考えたら無性にイライラが募った。悔しくて苦しくて辛くて。」
彼は次々に自身の本心を溢していく…。同時に私は自身に対する価値を考え始めた。
私が人を求めることはあっても、私は人から求められてこなかった。あの初恋だってそうだ。見向きもされなかったじゃないか。
ずっと小さい頃から人の都合に利用されてきたじゃないか。身の回りは自分が世話をしたいだけ、自分が教えたいだけの人達ばかりだった。
しかし、彼が私を、この私を求めるのは、本当の私を…
それって…
「俺は林くんのことが…好きなんだ…。」
辛そうな彼から出てきたその一文は、私を僕にした。
-僕は、人から愛を受け取ったんだ。-
今まで愛を手に入れようと必死に自分を偽ってもがいていたのに、全く考えられない方向から、私の知らない所から愛が来た。
たった今、私は僕になったんだ。
そのままじゃない、ずっと僕の中は私だった。でも、私は愛を手に入れるために初恋のためにずっとずっと嘘をついて作った僕だったんだ。
「なんで…なんで…僕も…。消えちゃうのかな…」
僕は胸が張り裂ける思いから、震えた声で綴るように気持ちを放つ。
「消えないよ。俺が消えさせないから。」
彼の手のひらは僕の頬を優しく包んだ。彼の左手は彼の右手と同じくらい温かい。
そうか、彼が温かいんだ。
「僕…ずっとずっと、あの人が好きだったのに…全く相手にもしてもらえなくて…!!男だから…!?それだけじゃないよね…。歳も離れてるし…そもそも僕が女でも、同い歳でもあの人とは釣り合わないよね…どうして…どうして僕は産まれてきたの…」
僕は号泣して彼に頬を優しく包まれながらも、その上に手首を乗せて母指球や手のひらでこれから零れ落ちるであろう目元に伝う涙の雫を潰して引きずり回していく。
彼は私の額にそっと唇を押し当てた。ふんわりとした感覚が私の中に直接入り込んでくる。
「君の心は俺が預かった。」
その一言が僕を安心させた。抱え込んだジレンマも、心の足枷も元々無かったかのように捨てる。いや、捨てなければならなかった。これを受け入れれば、僕の空白と真っ黒ながらくたで埋められた人生は革まる。全ての苦しみや悲しみは彼に辿り着くための物語として。
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