第41話 怖がるあいつは墜落中


 私を含む三人の刑事たちと救出した二人の女性、それに希志幸人の五人が凄まじい密度のエレベーターを降りると、ひんやりした夜気が頬を撫でるコンクリートの屋上に出た。


「ロープで降りるなら、正面玄関の方向がいいと思います」


 レオンはそう言うと、屋上の一角を指で示した。


「玄関の上には確か、庇があったはずです。その上に降りれば、庇から地面までは三メートル程度ですから、なんとか飛び降りられるでしょう」


 私たちはすっかり陽の落ちた屋上を、レオンの提案に従って移動し始めた。奇妙な音が私たちの頭上から響いてきたのは、その直後だった。


「……なに?」


 思わず天を仰ぐと、空中でヘリコプターがローター音を轟かせているのが見えた。ヘリコプターは徐々に高度を下げ、屋上のゴミが一斉に舞いあがった。私たちが身を屈め、顔を手で覆うのと同時にコンクリートの上に何か黒っぽい物体が落下し、大きな音を立てた。


「……何を落としたの?」


 私はもう一度、頭上のヘリに目をやった。すると垂れ下がった縄梯子と、そこにつかまって飛び降りる機会をうかがっている人影が見えた。


「屋上に出れば逃げおおせると思ったら大間違いだ、刑事さん」


 威嚇するような太い声が響いたと思った瞬間、黒い物体の傍らに巨大な影が降り立った。


「……イワノフ!」


「まさか空から現れるとは思わなかったろう。ここが貴様たちの墓場だ。観念するがいい」


 イワノフは不敵に言い放つと、床に落ちている黒い物体――長い鎖のついたギロチンに手を伸ばした。


「月明かりの下で殉職なんて風流じゃないか、ええ?」


 イワノフは鎖を手繰り寄せると、ギロチンに近い部分を握り締めた。


「みなさん、下がっていて下さい、できれば何か突起物の後ろに隠れていて」


 そう言って前に進み出たのは、レオンだった。


「イワノフ。お前の相手は僕がする」


「……ほう、誰かと思ったら、あの時の坊ちゃんじゃないか。随分久しぶりだが、右手を奪われた仕返しをしようってわけか?」


 イワノフの言葉に、私は思わず耳を疑った。ニジンスキーの幻の中で腕を失って苦しんでいた少年――あれが過去のレオンだとしたら、右手を奪ったのはこのイワノフだということか。一体、二人の間にどのような因縁があったのだろう。


「復讐だとか、そう言うつもりは一切無い。ただこのままお前を野放しにすれば、また不幸な被害者が出かねない。これ以上、僕のような悲しい犠牲者を出さないためにも、この場でお前を逮捕しなければならないんだ」


 レオンが毅然とした態度で言い放つと、イワノフは残忍な笑みを浮かべた。


「そういうことなら、もう一方の手も失うのだな」


 イワノフは鎖に勢いをつけると、巨大なギロチンを頭上で振り回し始めた。


 不気味な唸りが屋上の空気を震わせ、私は思わず「レオン、逃げて!」と叫んでいた。


「……行くぞ!」


イワノフのギロチンがレオンに向けて放たれ、同時に爆音と白い煙が広がった。ギロチンの刃が煙を切り裂いた瞬間、空中に出現したレオンがイワノフに向けて何かを撃った。


「……ぐっ」


 ギロチンがコンクリートの上に投げだされ、イワノフが肩を押さえて蹲ると、その正面にコートを脱いだレオンが立ちはだかった。レオンの腰には小型のジェットエンジンを思わせる円筒が何本もくくりつけられ、下向きのノズルから出ている煙が風になびいていた。


「あの時『墓守卿』に助けられなかったら、僕は死んでいた。この命を無駄にはしない」


 レオンは義手からせり出している細い筒を見つめながら言った。イワノフの肩には数本の矢が突き刺さっており、どうやらレオンが攻撃を避けながら撃ちこんだらしかった。


「麻酔薬入りの矢とはな……ふざけた小細工をしおって」


 レオンが近づいていくと、ふいにイワノフががくりと頭を垂れ、背後から白いもやのようなものが立ち上った。再び前を向いたイワノフの目が赤く輝いているの見た私は、白いもやが『死神』であることを確信した。


「レオン、逃げて!たとえ身体が麻痺していても、『死神』は脳と関係なく身体を操れるわ」


 私は以前、ガミィから聞かされた『死神』の性質を思い出し、レオンに警告を放った。


「……その通りだ、死ね小僧!」


 死神に乗っ取られたイワノフの身体がふわりと動き、石のような拳がレオンに向けて繰りだされた。次の瞬間、があんという音と共にレオンの身体が後方に吹っ飛び、貯水タンクの鉄骨に激突した。


 力なく蹲っているレオンに目を向けると、折れ曲がった義手の手首から先が失われ、火花を散らしているのが見えた。


「くくく……どうやら義手だけでなく、貴様の肉体も耐用年数が来たようだな」


 レオンの前に立ちはだかったイワノフの肩から矢が抜け落ち、赤く光る目がいたぶるようにレオンを見つめた。イワノフはゆっくりと大ぶりのナイフを抜くと、レオンの左腕につきつけた。


「……ゆくぞ、小僧!」


 イワノフが怒号と共にナイフを振りかざした、その時だった。突然、イワノフが「ぐっ」という呻きと共に全身を震わせ、その場に膝をついた。電撃だ、そう思ってよく見るとイワノフの肩をレオンの義手が掴んでおり、イワノフが動きを止めると、義手は小さなローターを回転させてふわりと浮き上がった。


「まさか空からくるとは思ってなかったでしょう、イワノフさん。ゲームセットです」


 レオンは立ちあがって飛んできた義手を受け止めると、イワノフに向けて言い放った。


「雷郷さん、すみませんがこの人に手錠をかけてください」


 レオンが手首の欠けた義手で合図を送ると、雷郷が面倒臭そうに手錠を取り出した。レオンが蹲っているイワノフの手首を取ろうと、左手を伸ばしたその時だった、突然、イワノフが立ちあがって身を翻し、駆け出した。


「イワノフ!」


 あっと言う間に屋上の縁にたどり着いたイワノフは、追いすがるレオンをあざ笑うかのように床を蹴り、虚空に身を躍らせた。


「……イワノフ」


 雷郷が呆然と立ちすくむレオンに歩み寄り「なに、あいつが死ぬわけないさ」と言った。


「次の敵が現れないうちに、ロープで下に降りようぜ。ここじゃ腹ごしらえもできない」


 雷郷の呑気な口調に危機が去ったことを皆が実感した、その時だった。突然、轟音とともに衝撃がコンクリートの床を揺さぶった。


「な、何……これ?」


「まずい、どうやら敵は逃亡の前にここを破壊する気のようです。急いで逃げましょう」


 レオンは長いロープを取りだすと、一方の端を手際よく鉄骨に結わえた。私たちは不気味な揺れが続く垂直な壁を、雷郷を先頭に一列になって降り始めた。


「……うわあ、怖いよう。……桜城さん、代わってくれない?」


 しんがりの私は、遥か下方で情けない声を上げている雷郷に「そんな事言ってる暇に降りちゃってよ」と冷たい言葉を投げつけた。実際、さほど長くない距離とはいえ、自分の身体を腕の力だけで支えていられる時間は僅かなように思われた。


「……ああ、やっと玄関の庇が見えてきた。うまく飛び降り……うわっ」


 再び建物を大きな揺れが襲い、雷郷の悲鳴と共にロープがたわんだ。やがてどすんという鈍い音と、がさっという乾いた音とが立て続けに聞こえてきた。


「雷郷さん、大丈夫?……雷郷さん!」


 私が呼びかけても、雷郷の無事を示す反応は一切、返ってこなかった。


「どうやら庇にぶつかった後、敷地の植え込みに突っ込んだみたいです、桜城さん。僕が急いで降りてみるので、みなさんは後から慎重に来てください」


 レオンが早口で告げた、その時だった。どこからともなくブレーキの音が聞こえ、真下から聞き覚えのある声が飛んできた。


「みんな、この車の上に飛び降りなさい。全員で脱出するよ!」


 思わず下を向くと、玄関の脇にトレーラー付きのキャンピングカーが止まっているのが見えた。さらに目を凝らすと、運転席から顔を覗かせているビッグ・ママの姿が見えた。


「……ママ!助かったわ」


 私たちは玄関の庇の上に相次いで降り立つと、トレーラーの屋根に飛び降りた。


「全員回収できるよう、ちょっと大きめの車を調達しといたよ。さあ早く乗って」


 地上に降り立った私たちを、ママが運転席から急かした。私たちは女性二人と幸人をトレーラーに乗せ、ママに雷郷が途中で墜落したことを説明した。


「僕は雷郷さんを探しにいきます。皆さんは一足先に脱出して下さい」


 レオンがそう告げると、ママは眉をひそめて頷いた。


「仕方ないわね。二人とも、充分に気をつけて逃げるのよ」


 頷いて車体から離れようとするレオンを、私は「ちょっと待って」と制した。訝しむような表情で振り返ったレオンに、私はある決心を口にした。


「雷郷さんは、私が探しにいきます。今までずっと足手まといになってきたのに、ここで逃げたら何のために刑事になったかわからないわ。……お願い、私に行かせて」


 私はレオンの目を覗きこんで、訴えた。しばしの沈黙の後、レオンが根負けしたように「わかりました」と言った。


「でもいいですか、敷地を出るまではくれぐれも注意して下さい。後で合流しましょう」


「わかったわ。みんなも気をつけて」


 私はママたちの車に背を向けると、雷郷が落下したと思しき植え込みに向かって駆け出した。近づくと、雷郷の姿は思いのほか早く発見することができた。丸い植え込みの一つから、雷郷の物と思しき短い手足が露出していたからだ。


「雷郷さん!」


 私が腕を掴んで引っ張り出すと、虚ろな表情の雷郷が「ううん」と呻いて姿を現した。


「雷郷さん、他の皆はママの車で脱出したわ。私たちも早くここから脱出しましょう」


「脱出……って、走ってってこと?自信ないなあ。なんなら君、先に逃げてもいいよ」


 どこまでも呑気な雷郷の反応に、私は頭のどこかがぷつりと切れるのを意識した。


「いい加減にして。侵入した場所の近くにバイクがあるはずだから、それで逃げましょう」


「ええっ、二人乗りかい。怖いなあ。身体がはみ出して、落っこちゃうんじゃないかなあ」


 私はこの期に及んでぶつくさ不平を垂れる雷郷を急かすと、月明かりの下を駆け出した。


             〈第四十二回に続く〉

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