第40話 お縄なあいつは冤罪中
扉の向こうで私たちを待ち受けていたのは、先ほどスクリーン上に映し出されていたのと寸分たがわぬ光景だった。
「神聖な儀式の場へようこそ、警察の皆さん」
私たちの正面には磔にされた紗央里が、その左手には小型のボウガンを思わせる武器を携えた幸人がいた。矢の狙いは紗央里に向けられ、私たちが少しでも不審な動きを見せれば恐ろしい結末が待っていることを匂わせていた。
幸人が私たちから説教台の後ろのマリア像に目線を移すと、マリア像の顔がくるりと裏返って髑髏の顔になった。同時にモーターの作動音が聞こえ、水平に動いたマリア像の陰から扉のついた箱が現れた。
エレベーターだ、そう気づくのとほぼ同時に中から黒づくめの人物――ガスブージンが姿を現した。
ガスブージンの手にはフラスコに二本のパイプを繋げたような器具が携えられていた。フラスコの内部は透明な液体で満たされており、ガスブージンは磔台に歩み寄ると、フラスコから出ているパイプの一本を紗央里の唇に挿し入れた。
「ではこれより『儀式』を始める」
ガスブージンの地の底から響くような声を聞いた途端、私は思わずその場から飛びだしそうになった。が、幸人の構える弓の先が機先を制するように動き、思いとどまった。
「冥界の呼気を吹きこまれた者は『亡者』となる。苦しみたくなければ抵抗せぬことだ」
ガスブージンは厳かに言い放つと、フラスコから出ているもう一方のパイプを咥えた。
ガスブージンがフラスコを見つめると中の液体が黒く濁り、無表情だった紗央里の顔が苦し気に歪められた。
――このままじゃ、紗央里さんが『亡者』にされてしまう!……でも私たちが動けば紗央里さんは殺されてしまう。どうすればいいの?
私が絶望的な思いで磔の紗央里を見た、その時だった。『儀式』に突然、変化が現れた。
ガスブージンが目をかっと見開いたかと思うと、口からパイプを離して激しく咳き込み始めたのだった。
「……この者は『花嫁』にはできぬ!お前たちはどこに目をつけておるのだ!」
ガスブージンは激昂すると、幸人と警備員たちを睨みつけた。
「もうよい、『儀式』は中止する。『花嫁』探しは一からやり直しだ、よいな!」
「……ガスブージン様、この者たちの処分はどうのようにすればよいのでしょうか」
事態の急変にそれまでの冷静さを失ったのか、幸人がか細い声で問いを放った。
「……お前たちに任せる」
ガスブージンは咳き込みながら怒りを露わにすると、身を翻してエレベータ―の方に引き返していった。扉が閉まり、箱が上昇を始めると幸人が血走った目で私たちの方を見た。
「……そうだ、警察の中にも女性がいたのだ。この際、致し方ない」
幸人は私を見据えて不気味に言い放つと、警備員に「『花嫁』を入れ替えろ」と命じた。
「ちょっと、本気なの?……私は亡者になんかならないわよ」
私は必死の抵抗を試みたが、有無を言わさぬ力で磔台の前まで連れていかれた。
「古い『花嫁』を解放してその女を磔にしろ。急げ!」
幸人が一括すると、紗央里の戒めがあっと言う間に外された。紗央里の身体が部屋の隅に運ばれると、今度は私が後ろ手に手錠をかけられたまま、磔台に押しつけられた。
「よし、括り付けろ」
幸人の顔を睨みつけたその時、私はふいにあることに気づいた。幸人の頭上になぜか箱型の大きな物体が浮かんでいたのだった。
――あれは!
次の瞬間、轟音とともに箱型の物体――オルガンが幸人に激突した。同時に私はすぐ傍にいた警備員を肘で突き、体勢を崩したところに回し蹴りを入れた。
警備員は横ざまに吹っ飛び、説教台に頭を打って動かなくなった。それと前後して入り口の方から呻き声と、人の倒れる音とが聞こえてきた。見ると雷郷たちを見張っていた警備員たちが、やはり床の上に伸びて動かなくなっていた。
「こっちも片付きました。桜城さん、その人を逮捕して下さい」
レオンが雑用でも頼むように言い、私は頷くと壊れたオルガンの下敷きになっている幸人に歩み寄った。
「形勢逆転ね。『冥界の王子』こと希志幸人。北条美咲殺害の容疑で逮捕します」
私はそう言うと幸人の手を取り、手錠をかけた。ぐったりとした幸人を手錠をはめたまま横たえると、雷郷たちが集まって来た。
「ガミィ、助けてくれてありがとう。オルガンを落としたのは、あなたね?」
私が視線を向けると雷郷はふふんと鼻を鳴らし、砕け散ったオルガンの残骸を見た。
「まあ、そうかもしれんな……む?」
磔台の脇でぐったりしている紗央里の前を通りがかった瞬間、突然、雷郷が顔を歪めた。
「どうかしたの、ガミィ?」
「苦手なものがおる。……悪いがわしはこやつの中に戻らせてもらう。後はよろしく頼む」
「え、どういうこと?何かあったの?」
私が問いを発した時にはすでに遅く、雷郷は目をふっと閉じるとその場に倒れこんだ。
「どうしよう……雷郷さんがいないと、これからどうすればいいかわからないわ」
「起こしましょう。『花嫁』候補だった女性二人は無事に救出できたし、希志幸人の身柄も拘束できました。この際、ガスブージン一家は無視して脱出するのが賢明だと思います」
レオンが提案し、私は頷いた。そうだ、脱出するにしてもとにかく雷郷を起こさねば。
「雷郷さん……雷郷さん、起きて。紗央里さんと絵里名さんは救出したし、北条美咲殺しの真犯人、希志幸人も逮捕したわ。任務完了よ。早く脱出しましょう」
私が言い放つと、すぐそばで項垂れたままの幸人が細い声で「……違う」と異を唱えた。
「違う?……何が違うの?」
「僕は……北条君を殺していない」
「今さら否認しても無駄よ。殺害現場のビルにあなたと美咲さんが入っていったことはわかっているのよ」
「確かにそうだ……でもその直後に「やっぱり帰って」と突き放された……だからその日は諦めて、一人で帰った」
「そんな……じゃあ一体、誰が美咲さんを殺したって言うの?」
「知らない……でも僕じゃない。僕には『花嫁』を殺す理由がない」
私は愕然とした。じゃあ私たちが今までの捜査で掴んだ証拠は、なんだったの?
希志幸人さえ逮捕すれば、未解決事件は終結する……そう信じていたのに、ここまで来て真犯人が別人だったなんて。
私が困惑していると、突然、雷郷が目を開けた。
「……ん?ここはどこだい?うまく『花嫁』は見つけられたの?」
欠伸を交えながら呑気に尋ねる雷郷に、私はこれまでの経緯をかいつまんで説明した。
「ねえ、どう思う?希志幸人が犯人じゃないなんて」
「さあ、わかんないな。とにかく容疑者であることに変わりはないし、同行という名目で連れていったらいいんじゃないの」
全身から力が抜けるような雷郷の言葉が逆に私の迷いを消し、ふっ切らせた。
「そうね。とにかく今は脱出が先決だわ。……危険の少ないルートがあるといいんだけど」
「正面玄関を目指すのは危険です。……ここはいったん、屋上を目指しましょう」
しばらく何やら思案していたレオンが、唐突に口を開いた。
「屋上ですって?かえって脱出しづらくなるんじゃない?」
「あそこにあるエレベーターはたぶん、屋上直通です。下手に建物内をうろうろするより、屋上に出てロープで地上に降りた方が手っ取り早く脱出できます」
レオンはそう言うと、ガスブージンが移動に使っていた隠しエレベーターを目で示した。
「僕もそれしかないと思うな。……ちょっと狭そうだけど、あれに乗って屋上に行こう」
雷郷はそう言い放つと、起きたばかりとは思えぬ身のこなしで私たちの先を歩き始めた。
〈第四十一回に続く〉
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