第38話 惑わすあいつは説得中
「希志さん?……あの利用者の希志さん?」
「そう。どうしても私じゃないと打ち明けられないことがあるからって」
「だめよ、利用者とボランティアは必要以上に関わらない決まりでしょ」
「うん、わかってる。……でも施設の中ではどうしても話せないって言うし、なんだか切羽つまった雰囲気だったから……」
ボランティアをしている施設近くのカフェの前で、私は絵里名と他愛の無い会話を交わしていた。……でも、私はボランティアなどしていただろうか。絵里名と親しくなったきっかけは?喉に物が詰まったような違和感を持て余しつつ、私はカフェのドアをくぐった。
「あ、もう来てる……桜城さん、悪いけど近くの席で私たちの話を聞いててくれない?」
「ちょっと、困るなあ、そういうの。規則違反に加担しろってことでしょ?」
「だって。他の人には話せないって頼みこまれたんですもの。お願い」
返答を渋る私を尻目に、絵里名は希志の待つ奥の席へと消えていった。私は仕方なく近くの席に陣取ると、オーダーを適当にすませた。
落ち着かない気分のままぼんやりしていると、ふと見えない力が身体全体を揺さぶるような感覚を覚えた。気がつくと私は宙に置き、向き合って座っている希志幸人と絵里名の姿を見下ろしていた。
「あなたにしかできないんです、この仕事は」
「そんな事言われても困ります。私の立場も考えてください」
「人にもって生まれた宿命があります。あなたには『花嫁』になる素質があるのです」
「だからって、得体の知れない人に会うのは怖いです」
「大丈夫、会えばわかるはずです『冥界の王』がいかに慈悲深い人物か。……とにかく会うだけでも会ってください。さあ」
希志は有無を言わさぬ勢いで畳みかけると、絵里名をうながした。
――絵里名さん、行っちゃ駄目。行ったら『花嫁』か『生ける屍』にされてしまう
私が声にならない叫びを上げた瞬間、目の前で強い光が瞬いた。気がつくと私は異変の前と同じように席に一人で収まっていた。頭の中のもやが晴れるにつれ、私はあることに気づいた。店内の装飾や雰囲気が異変の前とどことなく違っているのだ。
――今のは夢?希志さんと絵里名さんは?
私が腰を浮かせ、店内を見回したその時だった。カフェのドアを開けて一組の男女が入ってくる様子が目に入った。二人の風貌を見た瞬間、私ははっとした。一方は先ほど希志幸人と語らっていた絵里名で、もう一方は砂上だった。
絵里名の服装は先ほどのパンツ姿とは異なり、ピンクのワンピース姿だった。私がそっと身体の位置をずらすと、二人がすぐ傍を通って近くの席におちつく気配があった。私は息を殺すと、聴覚に全神経を集中させた。やがて二人の緊張した会話が漏れ伝わってきた。
「もう会うのは終わりにしたいの」
「なぜなんだ、僕のことが嫌いになったのか」
「違うわ。私は自分の『使命』に気づいたのよ。『花嫁』になるというね」
「なんだって?どういうことなんだ、それは。『花嫁』って、一体何なんだ」
「もう私のことは忘れて。幸せになってね、砂上さん」
近くで絵里名が席を立つ気配があり、私は小さくなって気配を殺した。やがてドアに向かう絵里名と、その後を追おうとする砂上の動きが伝わってきた。
私は思わず席を立つと、二人の後を追って外に飛び出した。往来に出て周囲を見回すと二人の姿はどこにもなく、濃い霧のような物があたり一帯に立ちこめていた。やがて視界が白一色に埋め尽くされ、私は軽いめまいを覚えた。
何かが変だ、そう思っていると唐突に霧が晴れ、私はカフェの前ではなく、なぜかバス待ちの列の中にいた。
――ここはどこ?
不審がられるのも構わずあたりをうかがうと、突然、列の中に見覚えのある顔が覗いた。
――美咲さん?
私の少し先でバスを待っていたのは、生きているうちは会うことのなかった被害者、北条美咲だった。美咲は知人でも見つけたのか急に表情を崩すと、私の後方に手招きをした。
美咲が合図をした相手は私の横を過ぎると、美咲の横に並んだ。その顔を見て、私ははっとした。美咲と落ち合った人物は、希志幸人だった。
――これは、美咲さんが殺害された日の記憶だわ。……いけない、美咲さん!その人と一緒に行ってはだめ!
ほどなくやってきたバスに二人が連れだって乗りこむと、私は迷わず同じ車両に乗り込んだ。私は二人の車中での挙動を離れた席から伺い、二人が降りたバス停で気づくのに遅れたふりをして一緒に降車した。
二人は私もかつて捜査で訪れた雑居ビルに向かい、事件の経緯をなぞるように中へと姿を消した。まずい。私は後を追うべく雑居ビルに入ろうとドアに飛びついた。……が、なぜかドアは固く閉ざされ、いかに力を込めようともびくともしなかった。
――このままでは、美咲さんは希志幸人に殺されてしまう!
私はビルへの侵入を諦め、美咲の殺害現場と目されている路地に通じる隙間へと回りこんだ。侵入防止の鉄柵をよじ登り、路地の奥をうかがった私はそこで、思いがけぬ光景を目の当たりにした。
路地には希志幸人の姿も美咲の姿もなく、一人の青年が蹲って血の海の中で呻いていたのだ。私は鉄柵の向こう側に降りると、少年に向かって近づいていった。
「……どうしたんです?大丈夫ですか?」
私がおずおずと声をかけると、青年がふいにこちらを向いた。その顔を見て、私ははっとした。青年はレオンだった。私が知っている姿よりも五、六歳は若いであろうレオンは、右腕が切断され、大量の血を流しているのだった。
「レオン……あなたレオンね?どうしてこんなところに?」
私が狼狽し、何からすればいいか思考を整理していると、ふいにエンジン音が聞こえ、路地の外から一台のバイクが侵入してくるのが見えた。よく見ると、バイクを運転しているのは『墓守卿』だった。『墓守卿』は私たちの手前でバイクを止めると「ふむ」と唸った。
「どうやら間にあったようだな。……どれ、手当てをしてやるとするか」
「あなたは『墓守卿』……どうしてここに?」
「おまえさんがこの場所から脱出するのを手助けしに来たのだ。このバイクで霧の途切れる場所まで走るといい。幻を振り切ることができるはずだ」
「脱出?何のこと?」
「いいから乗るのだ。私はこの子を治す」
私は『墓守卿』にうながされるままバイクに乗ると、エンジンをかけた。
「行け、正義に殉ずる者よ。捕らえるべき敵が待っている」
私は事態が飲みこめぬまま頷くと路地を飛びだし、霧の薄くなっている方角に向けてバイクを走らせた。
〈第三十九回に続く〉
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