第36話 隠れるあいつは罠の中
どうすればいいの、ガミィ。何か策はないの?私は心の中で繰り返した。
「畏れを知らぬ愚かな輩よ。冥界にすむものたちの餌食となるがよい」
ガスブージンが押し殺した声でそう告げると、突然、床下から地鳴りのような揺れが伝わってきた。思わず足元を見た瞬間、細長い物体が床板を突き破ってうねりながら姿を現わした。
「……ああっ」
植物の蔓を思わせる物体は両脚に絡みつきながら這い上り、瞬く間に私の自由を奪っていった。私が戒めから逃れようともがいていると、近くで「なんて力だっ」というレオンの声が響いた。
――そうだ、ガミィはどうなった?四人全員がやられてしまったら、万事休すだ。
私は雷郷の様子をうかがおうと首をねじ曲げた。すでに両腕も自由を失い、動かせる部分は首から上だけだった。視界の隅ではすでに絵里名とレオンが全身を「蔓」に支配され、緑色の柱に変わりつつあった。雷郷に至っては中央が膨らんだ蔓植物の塊にしか見えず、生死すら判然としなかった。
「……ガミィ!」
私が思わず叫んだ瞬間、雷郷の体を覆っていた「蔓」から変色した繊維がはじけ飛び、内側から茶色い液体が溢れだした。やがて雷郷が入っていた「蔓」全体がぐしゃりと潰れ、床に広がった。
「ガミィ……雷郷さん、そんな、まさか!」
私は思わず絶望の声を上げた。何もできないもどかしさで体中が煮えたぎるようだった。
「ガスブージン!私たちが消えても、あなたはきっと殺人罪で逮捕されるわ!」
残った気力を振り絞り、私が叫んだその時だった。突然、ガスブージンの足元が軋んだかと思うと、床板を破って二本の手が現れた。手はガスブージンの足首を探り当てると、逃がさぬとでもいうかのようにしっかりと掴んだ。
「……ぬっ?」
床から出ている手を振りほどこうとガスブージンが身をよじった瞬間、どこからともなくしわがれた高笑いが聞こえてきた。
「ふはははは、油断したな、冥界の王よ」
「……ガミィ!」
姿こそ見えなかったが、響いている声は紛れもなく死神――ガミィの物だった。
「おのれ……床下に潜っておったとは」
「わしたちをおびき寄せたまでは良かったが、罠にかかったと思って気を緩めたのが間違いの元。館だ主だと踏んぞり返っているようじゃが、なに、こと悪知恵に関してはわしの方が一枚上手ということよ」
――ガミィ、刑事の身体に憑依してるくせに、何てことを言うのよ。
「ところでお前さん、ガスブージンではないな?父親の面など着けて、ご苦労なことじゃ」
「面ですって?……じゃああなた、アレクセイ?」
私が狼狽しているガスブージンに向かって質した、その時だった。ふいに天井の一角がめりめりという不穏な音と共に大きくたわんだかと思うと、次の瞬間、貯水タンクらしき物体がガスブージンの頭上に落下した。
「……兄さん!」
悲痛な叫びがこだまし、私は思わず声のした方を見た。視界を塞いでいるタンクの陰から現れたのは、なんと捕われて横たわっていたはずの紗央里だった。
「兄さんって……まさかあなた」
「やってくれたわね、ポンコツ刑事ども。ここから生きては帰さないわ」
そう言うと、紗央里は顔の変装をむしり取った。下から現れた顔は、ガスブージンの長女、アナスタシアのそれだった。
「アナスタシア……じゃあ紗央里さんは最初からここにはいなかったのね」
「当たり前でしょ。あなたたちがこの部屋を目指してやって来ることなんかわかりきってたわ。馬鹿みたいに本物を用意して待っているとでも思う?」
「本物の紗央里さんはどこ?」
「私が正直に教えるわけないでしょ。……死神刑事!『花嫁』の居場所を知りたければ、今すぐこいつをどけて兄さんを助けなさい」
アナスタシアが自分の足元の床に向かって呼びかけると、くっくっという含み笑いがどこからともなく響いてきた。
「そんなことより自分の足元を心配した方がいいんじゃないかね、お嬢さん」
「なんですって?」
「お前さんたちが床下で飼いならしていた冥界の植物は、元をただせば一個の株から枝分かれしたもの。わしが大元の株を見つけて『超屍臭息』を吹きかけてやったら、たちまち萎んでしまいおったわ。そんなわけで今、お前さんの足元はすかすかの空洞ってわけじゃ」
「空洞……?」
アナスタシアの目に動揺の色が浮かんだ、その時だった。みしみしという不吉な響きが部屋全体に響き渡り、貯水タンクの周囲から床が沈み始めた。危機を察知した私が反射的に身を引いた瞬間、轟音とともに一気にフロアの床全体が崩落した。
「きゃあああっ!」
アナスタシアの悲鳴がこだまし、私の視界は崩壊した床の瓦礫と埃に埋め尽くされた。
〈第三十七回に続く〉
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