第35話 構えるあいつは箱の中
私たちはゴミ処理室を出ると、ガミィになった雷郷を先頭に、廊下を進んでいった。
「幸いこのあたりの警備は手薄みたいですね」
レオンが絵里名の向こう側から首をもたげるようにして言った。
「問題はこの先よね。ロビーには絶対、警備員がいるわ。何か策はある?」
「ええ、一応。階段を上り切ったところでいったん止まって準備をしましょう」
私たちは突き当りの階段を一列になって上ると、ロビーに出るドアの前で動きを止めた。
「これからみなさんに「癇癪玉」を配ります。ドアを開けたら雷郷さんから順に、中に放ってください」
レオンはリュックからリンゴほどの大きさの黒い球体を人数分取りだすと、全員に配った。球体には髑髏の絵が描かれており、導火線らしきものが伸びていた。
「この「癇癪玉」が爆発すると、筋弛緩効果のあるガスが広がります。ロビーに侵入する際は、これを顔に着けてください」
レオンは私たちに縁日で売っているお面に似たマスクを配った。雷郷が狸、レオンがひょっとこ、私がおかめで絵里名が狐だ。
「さあ、行きますよ。雷郷さん、ドアを開けてください」
「ではいくとするか。そうれ、いち、にの、さーん」
雷郷が火のついた球体をロビーに放りこむと、それに倣って私たちも黒い球体を放った。
ドアを閉め、息を殺して様子をうかがっているとやがてドア越しに「ぐっ」という呻き声と複数の人間が倒れる音が聞こえた。
「よし、いくとするか」
狸の面の雷郷が真っ先に飛びだすと、私たちも白く煙ったロビーに飛び込んでいった。
煙の充満した広い空間の中央にぼんやりと二基のエスカレーターが見え、その周囲に四、五人の警備員らしき人影が倒れていた。
「一気に四階まで駆けあがりましょう」
レオンの言葉を合図に私たちはまっすぐエスカレーターを目指した。通電していないエスカレーターは階段と同じだったが、雷郷を先頭に私たちは一列になって駆けあがった。
先頭の雷郷が二階まであと少し、というところまで来た時だった。ふいにしんがりの私の後ろで、別の足音が聞こえた。振り返ると下の方で警備員がこちらに向けて銃を構えているのが見えた。
「みんな、伏せて!」
私が前にいる仲間たちに警告を発した直後、突然、先頭の雷郷が姿を消した。同時に背後で「ぎゃっ」という声が聞こえ、振り向くと警備員の上半身にしがみついているずんぐりした人影が見えた。
「む……むぐうっ」
人影――雷郷の姿は、私の側から見ると警備員の顔に自分の顔を押しつけているように見えた。
――な、何をしているの、ガミィ?
私が思わず身をのけぞらせると、二つのシルエットの周りから黄色い煙が立ち上り、警備員が「ぐえっ」とえずきながら崩れ落ちるのが見えた。
「ガミィ、何をしたの?」
私が問いを放つと、雷郷――ガミィはこちらを向いて赤い目でにやりと笑った。
「……なに、口から直接『屍臭息』を吹きこんでやったのだ。これであと三十分は起き上がれまいて」
雷郷――ガミィは間延びした口調で言うと「ふんっ」と唸って腰を落とした。次の瞬間、雷郷の身体は私たちの頭上を飛び越え、再び先頭の位置に戻っていた。
「さて、もう少し上らねばならん」
私は「今のは一体……?」と言いたげにこちらを見ている狐の面に「気にしないで」と声をかけ、再びエスカレーターを上り始めた。
「ここか、『主の間』とやらがある階は」
四階にたどり着き、ひと足先にエスカレーターを降りた雷郷が言った。ワンフロアをぶち抜いたと思しき広い空間は、ブルーシートで覆われたいくつもの小部屋に仕切られ、その隙間が通路のようになっていた。
「なんだか、迷路みたいですね」
正面の通路を進みながら、レオンが言った。後方から追っ手が来ないか私が振り返ったその時だった。ひゅんと空気の鳴る音がして、同時に目の前を長い物体が覆った。
なんだ?そう思う間もなくがつんと大きな音が聞こえ、頭の上で「ぬっ」というレオンの声が聞こえた。
「どうしたの、レオン」
私が尋ねると目の前を覆っていた物体がすっと離れ、形が認められるようになった。
「これ……矢だわ!」
私の視界を覆っていたのは、レオンの義手だった。レオンはアルミフレームの腕に刺さっている矢を抜くと「洋弓のようですね。どこからか我々を狙っています」と言った。
「洋弓……?」
私は周囲を見回すと、反射的に身がまえた。おそらくブルーシートで覆われている「個室」のどれかに敵が潜んでいて、内側から狙いをつけているのに違いない。
「どこにいるかわかりません。とりあえず身を低くしてください」
全員がレオンの忠告に倣って身体の重心を下げた、その時だった。ふいに雷郷――ガミィが「このままでは埒が開かぬ。どれ、わしの部下を偵察にやるとしよう」と言った。
「部下ですって?」
思わず私が小声で返した瞬間、私たちの足元を何か小さなものが駆け抜けた。
「……きゃっ」
近くの「個室」に潜りこんでいった物体を見て、狐の面を外した絵里名が悲鳴を上げた。
「ガミィ、あれって鼠……」
私がそこまで言いかけた時、どこかで「うわあっ」という悲鳴が上がった。
「ふむ、あのあたりじゃな」
雷郷が立ちあがって指で示したのは、私の視線の延長線上にある「個室」だった。
「僕が行って見てきます。みなさんはここにいて下さい」
レオンがそういい置くと、私の傍らをすり抜けて雷郷が示した「個室」に向かった。
「個室」に消えたレオンの動向をはらはらしながら見守っているとやがて、ブルーシートが大きくめくれ、レオンが姿を現した。
「いました。……やはり洋弓だったみたいです」
そう言って目線を下げたレオンの足元に、大きな弓を携えた警備員が横たわっていた。警備員の傍らには玩具の鼠が転がっており、どうやらそれが警備員を倒したようだった。
「ガミィ、あれってさっき、本物の鼠に見えたんだけど……」
私が訝しむと、「そう見えたのなら、そうだったのだ」と、とぼけた答えが返ってきた。
「さあ、『主の間』へ急ぎましょう。この奥に入り口があるはずです」
レオンに促され、私たちは迷路のようなフロアを進んでいった。やがて先頭の雷郷の前に「プライベートルーム」という札が掲げられた扉が現れ、私たちは扉の前に集まった。
「うむ、ここだな、『主の間』は」
そう言うと、雷郷はためらうことなくドアを開け放った。室内は暗く、私たちはおそるおそる足を踏み入れると、闇の中でいったん動きを止めた。
「とにかく照明を探しましょう。これじゃなにがなんだか……」
私が困惑して足を踏みだそうとした、その時だった。ふいに室内が光で満たされ、私たちの前に黒っぽい人影が立ちはだかるのが見えた。
「……あなたは」
「まさかここまでたどり着くとはな。任務に忠実なのも善し悪しだぞ、警察の諸君」
私たちにそう呼びかけたのは、「鉄爺」の工場で見た敵の首領――ガスブージンだった。
「ひさしぶりだな、ガスブージン」
雷郷――ガミィがそう言うと、ガスブージンは「ふん」と鼻を鳴らし「わしに出会った今日が、お前たちにとっては最後の日だ。あれを見るがいい」
ガスブージンが指で示した方向に目をやった私は、思わずはっと息を呑んだ。部屋の隅にあるベッドの上に横たわっているのは、ニジンスキーに連れ去られた紗央里だった。
「お前たちが少しでもおかしな素振りを見せれば、あの娘は死ぬ。……さあどうする?」
せせら笑うガスブージンを前に私たちは身じろぎすらできず、その場に立ち尽くした。
〈第三十六回に続く〉
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