第34話 戻ったあいつは加勢中
「悪い物を取り除いています。身体の力を抜いて、楽にしてください……」
祈祷師のような言葉を発しつつ、絵里名の頭部を撫でているのはレオンだった。
当初は無反応だった絵里名もやがて、何かに抗うように苦し気な唸り声を上げ始めた。
「やめて……私を暗い場所に連れて行かないで……生きたい、家に帰りたい」
絵里名の喉から迸る苦悶の呻きが次第に大きさを増し、やがて「ぐっ」とくぐもった声を上げて身体を二つ折りにしたかと思うと、ぐったりと動かなくなった。
「ふう……とりあえず『生ける屍』状態からは解放されたようです。死神がつきにくい体質だったことが幸いしたのかもしれません」
レオンは疲れ切った表情でそう言うと、床の上にへたり込んだ。
「ねえ、どうしたらいいと思う?誰か一人が彼女をいったん建物の外に連れだして、潜入は二人で続ける?」
「それしかないだろうね。二人って言うのは心もとないけど、彼女は救出される方の人間なんだし、連れて行くわけにはいかないよ」
雷郷が珍しくまっとうな意見を述べ、具体的な話し合いに移ろうとした、その時だった。
「私も……一緒にいきます」
ふいに響いた女性の声に振り向くと、絵里名が焦点の合った目で私たちを見つめていた。
「絵里名さん……正気に戻ったんですね」
私か呼びかけるとと絵里名は頷き「警察の方ですよね?」と問いを放った。
「私がここに捕らえられていた間、何があったのかは知りません。でも、きっと希志さんたちは次の『花嫁』を探しているに決まっています。皆さん、希志さんを逮捕して下さい」
絵里名はそう言うとふらつきながら立ちあがり、顔を入ってきたドアの方に向けた。
「薬でぼんやりとはしていましたが、ここの造りはある程度わかります。行きましょう」
毅然とした絵里名の態度に圧倒されながら、私は捜査の現状を改めて口にした。
「絵里名さん、今回の潜入には三つ目的があるの。一つは希志幸人の逮捕、もう一つは最初の『花嫁』……つまりあなたの救出、そして最後の一つは新たな『花嫁』候補の救出よ」
「新たな『花嫁』ですって?……じゃあ私以外にもここに攫われてきた人がいるんですか」
私が頷くと絵里名は「信じられない」という表情になった。
「それならなおのこと、私だけ逃げるわけにはいきません。何があっても後悔はしません、できるだけあなた方の足手まといにならないよう頑張りますから、連れて行ってください」
絵里名の思い詰めたような眼差しに気圧され、私は思わず雷郷の方を見た。雷郷はレオンを、そしてレオンの目線が私の方に戻ってきた。
「どうやら離脱を希望する者がいないようだね。……それじゃあ急いでここから出よう」
雷郷が前向きな意見を、どこか緊張感の欠けた口調で私たちに言った。
※
「『花嫁』は館に連れてこられるとすぐ、 四階にある『主の間』で館の主人――ガスブージンに面通しをさせられます。その後、三階の元パーティールームだった『告白の間』で死神を憑かせるための術をかけられます」
「死神を憑かせる……それが『花嫁』になる条件なの?」
「そうです。適性があれば一日で『死神憑き』になるようですが、私はなりませんでした」
「それで『生きる屍』にされた?」
「はい。ですが「術」をかけられた時の記憶は僅かに残っています。黒いもやのような物が覆い被さってきて、身体の中を駆け巡るんです。そして私の心の深いところに向けて「汝は死の国の花嫁となることを誓うか」と呼びかけるんです」
「あなたはその呼びかけに応じなかったのね」
「そうです。黒いもやは悔しそうに身体の中を這いずり回った挙句、出ていきました。それから地下に連れていかれて『生きる屍』にされる薬を飲まされました。その後はずっと闇の中で身動きできずに過ごしていました。
……たった一度、砂上さんが来てくれた時だけ、意識が目覚めたのですが、身体を動かすことはできませんでした。私は心の中で「助けて」と「早く逃げて」を同時に叫んでいた気がします」
「わかったわ。それじゃ新しい『花嫁』は四階の『主の間』か、三階の『告白の間』にいる可能性が高いのね」
「攫われてまだ時間が経っていないのであれば、その可能性が高いと思います。私と同じように適性がないと判断されれば、地下の『霊廟』に運ばれてしまったかもしれません」
「よし、じゃあまず一階のロビーにいる警備員を倒して四階に行こう。うまくいけばガスブージンを倒して『花嫁』を取り戻し、さらに希志幸人の身柄も確保できるかもしれない」
雷郷が意気込んだ口調で言い、私はどこか調子が狂うのを感じつつ、頷いた。
「それじゃ、ちょっと行儀が悪いけど、そこの壁に積んであるコンテナで横になるかな」
「横になるって、ちょっと雷郷さん」
雷郷は壁際まで歩いてゆくと、私が問い質そうとするのを無視して、コンテナの上にごろりと横たわった。やがて聞きなれた寝息が響き渡り、私は非常識な先輩を睨みつけた。
「……むう。なんというものぐさな男だ。よくこんな硬い箱の上で寝られるな」
突然、聞き覚えのあるしわがれ声が聞こえたかと思うと、たった今横になったばかりの雷郷がむくりと起き上がった。
「雷郷さん……じゃない、ひょっとして、ガミィ?」
「ふむ、だいぶ適応が早くなったな」
赤い目をした雷郷――死神はそう言うと面倒臭そうにコンテナの上に腰かけた。
「……こやつのリュックにあんパンと牛乳が入っておるであろう。それを出してくれんか」
「ちょっと、それどころじゃないでしょ。私たち、これから敵の中に乗りこんでいくのよ」
「わかっておる。腹が減っては戦もできまい。文句があるならこやつの身体に言うのだな」
死神はそう言うと私が渋々、雷郷のリュックから出した「朝食」を満足そうに平らげた。
〈第三十五回に続く〉
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