第33話 不精なあいつは穴の中


 十五分割された画面の中に、壁や塀の一部が不安定に揺れながら映し出されていた。


 私は宅配便の制服を着て小型バイクに乗っていた。この画面に映っている映像がすべて黒く塗りつぶされた時が、敵の本拠地にのりこむ合図となる。

 今、『亡者の館』の敷地に侵入した十五台のマイクロドローンが、壁や塀に取りつけられた監視カメラに侵入しようとして宙を舞っているのだった。


 なおもタブレットの画面を眺めていると、突然、映像の一つがブラックアウトした。それが合図だったかのように、他の画面も次々と黒く塗りつぶされ、最後の一つが終わると画面全体に『GO』の文字が現れた。


 ――よし、すべてのカメラが撮影不能になった。行こう。


 私はヘルメットを被りなおすと、『亡者の館』の裏門へと向かった。


「すみません、宅配便です」


 門の前に立っている黒づくめの警備員に、私はバイクを止めて声をかけた。


「IDカードを」


 求めに応じて偽造カードをかざすと、警備員はあっさりと門を解錠した。私は警備員に「来週から配達時間が変わるので、読んでおいてください」とチラシを手渡した。開け放たれた門から敷地内に侵入した直後、背後で人が倒れる鈍い音がした。チラシに染み込ませた麻酔薬が気化したのだ。


 私は『墓守卿』から得た情報を元に、かつて使われていたゴミ収集口を目指した。


 走りだしてほどなく、巨大な建物の一角に小さな金属の扉と、警備員の姿が見えた。


 私は収集口の少し手前で荷物を抱えてバイクを下りると、これ見よがしにIDカードを掲げてみせた。警備員が頷いたことを確認すると、私は荷物を手に収集口に近づいた。


「ご苦労様です」


 警備員がサインを終えると、私は荷物を手渡してバイクに跨った。背後で宅配便を放りこむための扉を解錠する音が聞こえ、私はバイクにキーを挿し込んだ。


 エンジンをかけ始めてほどなく、背後で「わあっ」という声が上がった。荷物が膨らみ始めたのだ。同時に小さな破裂音が聞こえ、ついで人が倒れる音が伝わってきた。


「ごめんなさい。もうここしか侵入できそうな場所がないの」


 私はひっくり返っている警備員に詫びると、携帯を取り出した。


「無事、潜入に成功したわ。カメラは止まってるし警備員も眠らせたけど、十分注意して」


 私は通話を終えると、ふうっとため息をついた。こんな諜報部員紛いのことをして、私は本当に警察官なのだろうか。そんな後ろめたさにそわそわしていると、やがてひょろ長い人影と、ずんぐりした人影とが裏門の方からこちらにやってきた。レオンと雷郷だった。


「やあ、うまくいったようだね。上等、上等。……じゃあレオン、先に行ってくれないか」


 雷郷は解錠された金属の扉を目で示しながら言った。刑事とは思えない緊張感のなさだ。


「僕からですか?……ちゃんと後から来てくださいよ。こう見えても怖がりなんですから」


 ぶつくさ不平を言いつつも、人のいいレオンは長い体を小さな入り口に押しこみ始めた。


「よし、もぐり込めそうだな。……じゃあ次は僕が行くとするかな」


 そういうと、雷郷は贅肉のついた下半身をズボンを履くように入り口に突っ込み始めた。


 大丈夫かしら……そう思いつつ私は追っ手が来ないかどうか周囲を今一度、見回した。


「……おおい、桜城さん」


 そろそろ続こうか、そう思いかけた時、ふいに侵入口の中から雷郷の声が飛んできた。


「どうしたの、雷郷さん?」


「もう少しのところで体がつ、つかえちゃったんだ。すまないけどここまで来て後ろから押し出してくれないか」


 私は噴き出しそうになった。心太じゃあるまいし、最初からこれでは先が思いやられる。


「わかりました。……でも少々、乱暴になっても文句は言わないで下さいよ」


 私は出口近くにいるであろう雷郷に釘を刺すと、潜入口に思い切って脚から飛び込んだ。


 暗い孔を斜面に沿って下がってゆくと、ほどなく足の裏に柔らかい物体の感触があった。


「雷郷さん……いいですか、押しますよ」


 私が声をかけると足元の方から「よろしく頼む」とか細い声が返ってきた。私は両足に力を込めると、思い切って雷郷らしき物体を下に向けて押した。次の瞬間「ぎゃっ」という情けない声がして、足の裏から雷郷の感触が消えた。


「出られましたかあ?」


「……ああ、何とか出たけど……蹴らなくてもいいじゃないかあ」


 恨みがましい雷郷の声を聞きながら、私は足元に開いている出口に向かって滑り下りた。


 勢いよく尻餅をつきながら飛び込んだ場所は、ゴミ収集室と思しき開けた場所だった。


「ここが『亡者の館』の内部か。……随分と古くて汚い部屋ね」


「仕方ないさ。ゴミ収集室だもん。それよりレオン、『花嫁』のいる部屋はどこだと思う?」


「そうですね……まだ仮死状態のままだとすれば、教会の礼拝堂……砂上さんが以前、潜入した場所じゃないでしょうか」


「ここから向かうルートは?」


 ロビーのエレベーターで地下に行くのが最短です。ロビーへはここを出て左に曲がって階段を上がればすぐです」


「よし、じゃあまずはこの部屋を出よう。桜城さん、ちょっと廊下に顔を出して、敵の警備員が巡回していないかどうか、様子を見てくれないか」


 何で自分でやらないのよ、そう言いかけて私は言葉を呑みこんだ。まあいい、彼には後でたっぷりと活躍してもらおう。私が廊下に出るドアに近づこうと足を踏みだしかけた、その時だった。突然ドアが向こう側から開いたかと思うと、ほっそりした人影が現れた。


「……あなたは」


 私は目の前に現れた人物の姿を見て、絶句した。それはかつて砂上の『ヴィジョン』に潜入した際に記憶の中で見た女性――砂上の恋人にして『第一の花嫁』、片岡絵里名だった。


「片岡さん……?」


 私がそう漏らした、その時だった。いきなり絵里名が短く吠え、私に飛びかかってきた。


「いかん!」


 背後で声がしたかと思うと、私と絵里名の間に雷郷の身体が滑りこんだ。


「わっ、痛い痛い!…… 僕は食べ物じゃないってば」


 室内に雷郷の悲鳴が響き渡り、思わず目を向けた私は衝撃でその場に凍り付いた。


 絵里名が細い腕を雷郷の首筋に巻きつけ、肩のあたりに猛然と噛みついていたのだった。


「雷郷さん、じっとしていて下さい」


 ふいにレオンの冷静な声が響いたかと思うと、袖のあたりから鈍く光る長い物体が絵里名の顔面めがけて飛び出した。次の瞬間、金属でできた指が絵里名の頭部を掴み、ばちんという音と共に絵里名が床に崩れた。


「電気ショックかい。女の子に使う手としちゃ少々、荒っぽくないかい、レオン」


 雷郷が噛まれた肩を揉みながら、意識を失って床の上に倒れこんだ絵里名を見下ろした。


「緊急事態だったようなので。それとも噛まれてて気持ちがよかったですか、雷郷さん」


 レオンがに真面目くさった口調で尋ねられ、雷郷は「冗談じゃない」とでもいうようにぶるっと頭を振った。


「とにかく彼女が目を覚ますのを待って、事情を聞いてみよう。館の探索はそれからだ」


 雷郷が珍しくまっとうな提案を述べ、私は絵里名の身体を抱き起こしながら頷いた。


             〈第三十四回に続く〉

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