第32話 頼みのあいつは回想中


 雨だわ。そう言えば雷郷と最初にここを訪れた日も、雨だったな。


 心ばかりの花を現場に手向けた後、私は路地の中から天を仰いだ。


 これから忙しくなるという時に、なぜわざわざ犯行現場に赴いてしまったのか。


 それはバイクを納車しに来た譲太に「紗央里さんは必ず私たちが助け出します」と言ってしまった後ろめたさからでもあった。


 第一の花嫁候補、片岡絵里名と第三の花嫁候補、丹羽紗央里はいまだ敵の手中にある。せめて亡くなった第二の候補、北条美咲と同じ運命だけは辿らせたくない。ここへやってきたのは、そんな一方的な願いに職務としての正当性を重ね合わせるためだった。


 さあ、気持ちを切り替えて、打ち合わせに戻ろう。そろそろ、雷郷が署に戻っているはずだ。そう思ってビルに入りかけた、その時だった。路地の向こう側からこちらを覗きこんでいる不審な人影が一瞬、視界をよぎった。


 人影は一見、ホームレス風であったが、挙動の不審さが私をつき動かした。職質をかけよう。私は意を決するとビルの中を駆け抜け、街路に出た。不審な人影は先ほどと同じように狭い路地を覗きこんでいた。


「あの……」


 声をかけると人影が振り返った。目があった瞬間、私の心臓が小さく跳ねた。


 ――あれは?


 私の動揺に気づいたのか人影はくるりと背を向けて駆け出し、あっと言う間に角の向こうに姿を消した。私は後を追うのも忘れて、思考を整理し始めた。


 ――あれは北条正人……でも、北条さんはこの時間、仕事をしているはず。


 私は混乱する思考の中で、何か重要なことに気づきかけている自分を意識した。


                  ※


 その着信に私が気づいたのは、署へと戻る電車を待っている時だった。

 内容は『墓守卿』が何者かに襲われ、病院に運ばれたというショッキングな物だった。


 私は『墓守卿』の運ばれた病院の場所を確かめると、すぐに行き先を変更した。病院に到着すると、治療室の外で先に到着したママとレオン、そして雷郷が待ち構えていた。


「どうです?卿の容態は」


 私が性急に尋ねると、レオンが顔を歪め「ちょうど僕が訪ねていった時で幸い、大事には至らなかったんですが……」と歯切れの悪い返答を口にした。


「私がうかつだったよ。奴らが私たちを敵とみなした時点で、潜入に協力しそうな人物が狙われることは予想して然るべきだった」


 ママはいつになく重い口調で言うと、神妙な表情で項垂れた。


「こうなったら、絶対に予想できないルートで潜入するしかない。計画を練り直さなきゃ」


 ママの言葉に全員が頷いた、その時だった。治療室のドアが開き、看護師らしき白衣の人物が姿を現した。


「桜城さんという方はいらっしゃいますか」


「はい、私です」


「患者さんがお話したいといっています。ただし、容態の関係もあるので数分程度で終わらせてください」


「わかりました」


 病室に足を踏み入れた私の目に飛び込んできたのは、顔の上半分を包帯でぐるぐる巻きにされ、ベッドに横たわっている『墓守卿』の姿だった。


「大丈夫ですか?」


 私が尋ねると、卿は片手を伸ばして私に「こっちに来い」と手招きをした。


 私はベッドに近づくと、痛々しい卿の顔を覗きこんだ。


「お前さんたちのために、新しい潜入用アプリをこしらえておいた。それを使えば手薄になっている場所から潜入することができるはずだ。……ふっ、奴らこれだけは見つけることができなかったと見える」


 卿は苦し気な息を交えながら、途切れ途切れにそう言った。


「あまり無理しないで下さい」


「このルートは今のところまだ、警戒が薄いがそれも時間の問題だ。数日以内に実行しないと気づかれて救出は不可能になるだろう」


 用件を口にし終えた卿は疲れ切ったように口をつぐんだ。私は廊下に戻ろうと踵を返した。ちょうどその時、背後でドアが開く気配があった。肩越しに振り返った私の目に映ったのは、心配そうにこちらを覗きこんでいるママの顔だった。


「……あんたは」


 ふいに背後で卿の声がして、私は再びベッドの方に向き直った。卿の目線は私を突き抜け、入り口の所にいるママの前で止まっていた。


「お久しぶりね。こんな形であなたに会うとは思わなかった」


 ママの表情からはいつもの貫禄が消え、口調もどこか寂し気なものに変わっていた。


「あんた……そうか、そういえば警察に入ったと言っとったな。変われば変わるものだ」


 卿は過去を懐かしむような口調で言うと、胸の上で手を組んだ。


「正義の為に体を張るのもいいが、相手はこの世の者ではない。無駄に命を散らさぬ事だ」


 ママは卿の言葉に無言で頷くと、すっとドアの向こうに姿を消した。


「ママと……知り合いだったんですか」


 私の問いに卿は薄笑いを浮かべ「行くがいい。全ては事が片付いてからだ」と言った。


 私は頷くと、卿が会話の最後に口にしたアプリの場所を諳んじながら病室を後にした。


             〈第三十三回に続く〉

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