第29話 律儀なあいつは企画中


「どうも遅れて申し訳ありません、船生です」


 私は優しそうな男性の顔立ちを見て、この人があの晩、鋭治と命がけのデッドヒートを繰り広げた青年かと新鮮な驚きを覚えた。


「さあ、それじゃあみなさん、飲み物が来たら乾杯しましょう」


 紗央里がウエイターに頭数が揃ったことを告げると、間もなくテーブルに人数分のグラスが運ばれてきた。


「命の恩人たちに感謝を込めて」


 船生がそう言うと、私はそこにそっと「お二人の新しい船出を祝って」と付け加えた。


 グラスを合わせ、請われるままに私の警察学校でのこぼれ話などを披露していると、フロアに設置されているピアノの演奏がごく自然に聞こえてきた。何気なく目を遣ると、細身の驚くほど顔立ちの整った男性が優雅にノクターンを奏でていた。


「素敵……」


「素敵もいいけどさ、ご飯の前に飲みながらこんなの聞いてたら眠くなっちゃうよ」


 雷郷が間延びした口調で言った。私は雷郷の赤味の射し始めた顔を睨みつけた。招待客が寝るなんてあり得ない話だ。


「そう言えば私、初めてお会いした時から思っていたんですけど、桜城さんて漫画家の『ちえりれい』先生に似てらっしゃいますね。もしかしたらご本人?って思っちゃったくらい」 


 私は赤面した。ほのぼのとした四コマ漫画で知られる『ちえり鈴』によく似ているという声は方々で聞かされてきた。下手に気取ってベレー帽なぞ被ってこなければよかった。


「時々、言われます……恥ずかしい」


 私が椅子の中で小さくなっていると、料理の乗った皿が次々と運ばれてきた。私は遠慮がちに手を付けつつ、紗央里と譲太のなれそめ話に耳を傾けた。


「最初に会ったのは、不良のたまり場で有名なお店の前ででした。飲み会で遅くなった私がたまたま、前を通りがかったら集まっていた不良グループの何人かが絡んできたんです」


「偶然、そいつらのボスが僕の弟分で、バイトの帰りに立ち寄ったら女の子がいたんです」


 譲太は微笑みながら「ちょっと睨みをきかせたらたちまちおとなしくなった」と言った。


「それからたびたび会うようになりました。でも最初、私は兄のことを黙っていたんです」


 紗央里はそう言って悪戯っぽい目つきで譲太の方を見た。


「まさか僕らと対立している連中のヘッドがお兄さんなんて、思いもしませんでしたよ」


「私に相談してくれればよかったのに。『ビッグチャップ』も鋭治君も古い知り合いよ」


「そのことも正直、驚きでした。あなたの武勇伝をうちの初代総長から聞いた時は思わず目が点になりましたよ。今はもう、走っていないんですか?」


「そうね。本当はこの相方のお姉さんに憧れて、交通課を希望していたんだけど……」


 私が少しだけ目を伏せると、ふいに譲太がテーブルに身を乗り出した。


「桜城さん。実はこの後、つき合っていただきたい場所があるんです」


「えっ……どういうこと?」


 唐突な申し出に私は口の中のスープを慌てて飲みこみ、噎せかえった。


「あなたが事故に遭った時に大破したバイク……どうなったかご存じですか?」


「どうなったかって……廃車でしょ。もちろん。パーツは知り合いの修理工に好きにしてくれってあげちゃったけど」


「その修理工の方が元通りに復元していたとしたら、どうします?」


「嘘……だって、そんなこと聞かされた記憶はないわ」


「でしょうね。……実は助けて頂いたお礼に、うちの親父に修理代を借りてこっそり復元してもらったんです。ここから十分くらいの工場に置いてありますから、見に来て下さい」


「信じられないわ……」


 私は不覚にも胸の奥がじんと熱くなるのを覚えた。若い頃を共にした、私の愛車。

 それが直ったという事実は、事故で亡くなったとばかり思っていた恋人が生きていると聞かされたような物だった。 


「行きます。手元に戻らなくても構いません。ひと目、見せてください」


「もちろん、あなたにお返ししますよ。元々、あなたのバイクなんですから」


 私は食後、寄り道をすることへの同意を得ようと、雷郷の方を見た。すると呆れた事に、雷郷は椅子の背に体を預け、赤い顔ですうすうと寝息を立て始めていた。


「す、すみません、うちの相方、お酒に弱くて……」


 私が慌てて取り繕うと、いきなり雷郷がかっと目を見開き「弱くはないぞ」と言った。


「こやつ、最初からわしにあとを任せる気でおったようだ。まったくもって不埒な男だ」


 そう吐き捨てる雷郷の瞳は、燃えるように赤く輝いていた。まずい、よりによってこんなところで入れ替わるとは。私がなんとか雷郷に起きてもらおうと身体を揺すりかけた、その時だった。窓の外でバイクのアイドリングを思わせる音がした。


「あっ……あの方、来てくださったんだわ」


 紗央里がそう言って窓の外を目で示した。見ると、ハーレーに跨った美女が路肩に車体を寄せ、何やら口を動かしていた。


 ――参加できなくてごめんなさい。弟を回収してってもいいかしら?


 ハーレーに跨った美女――名月はそう言うと、私たちに向かって窓ガラス越しのウィンクを寄越した。


「名月さん……」


「すげえ、サイドカー付きのハーレーに乗ってる女性なんて初めてみた」


 譲太がラフな口調で感嘆の声を上げ、紗央里が「あの、雷郷さんは私と彼女で送って行きます。桜城さんは彼と一緒にバイクに会いに行ってください」と言った。


「いいんですか?」


「この機会を逃すと、バイクとの再会がまた遅れます。紗央里に任せましょう」


 譲太がそう言って私をうながし、私は一瞬、躊躇した後「じゃあ、お言葉に甘えて」と頷いた。名月さんが一緒ならまず、間違いはあるまい。


「よりによって一番苦手な奴が迎えに来おったか。……仕方ない、ひと眠りさせて貰うぞ」


 雷郷はしわがれ声でそう言うと、再びがくりと頭を垂れた。私は「じゃあ、先に行くわね「雷郷」さん。名月さんによろしくお礼を言っておいて」と言い置くと、席を立った。


              〈第三十回に続く〉

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