第28話 家族なあいつは委縮中


「いったい何が起こったのやら、いまだに把握できていません」


 北条正人は憔悴し切った顔でそれだけを口にすると、がくりと頭を垂れた。


「もしかしたら敵――希志幸人は私たちとの交渉にあなたを使うつもりだったのかもしれません。だとしたら私たちのとばっちりでひどい目に遭ったことになります。すみません」


 私が頭を下げると正人は「まさか。僕はそうは思いませんよ」と、やんわり否定した。


「一番、みなさんに迷惑をかけたのは私です。あんな場所にさえいなければ……」


 そう言ってうなだれたのは淳美だった。


「そもそも、どうしてあそこにいらっしゃったんです?」


「それは……「事件」の起きた場所を見てみたかったからです。もっとはっきり言えば『冥界の王子』にもう一度会いたかったんです」


「攫われかけたのに、ですか?」


「ええ。希志さんが『冥界の王子』になったのは心が弱っていた時だと思うんです。だから会ってきちんと話せば、希志さんも目を覚まして、『花嫁』を探すなんていう気味の悪い行いを止めてくれるんじゃないかって思ったんです」


「ところが止めるどころかさらにわけのわからん敵が出て来たってわけだ」


 雷郷が短い腕を組んで目を閉じ、しみじみと言った。


「こうなった以上、直接、敵の本拠地である『亡者の館』に乗りこんで希志さんと『蘇りに失敗した』という最初の花嫁を救出するしかないと我々は考えています」


 ママが珍しく険しい口調で言い放った。どうやら通常の捜査を逸脱した、本格的な『潜入』になりそうだと私は思った。


「北条さん。我々の任務は美咲さんの事件を解決することですが、事件の背後に厄介な人物がいることが判明した以上、多少の遠回りもやむを得ません。よろしいですか」


「もちろんです。私もできればその『冥界の王子』とやらに話を聞いてみたいところです」


「ではこの件は我々がお預かりします、皆さん、身辺にくれぐれもご注意下さい」


 ママはそう告げると、レオンを伴ってキャンピングカーの方へと引き返していった。


                 ※


先日お世話になった礼をしたいと丹羽紗央里から連絡が来たのは、『亡者の館』への潜入ルートを検討し終えた直後だった。


「ああ、あのレースの時の片割れか。その後、どうなったんだい」


 アレクセイの妨害から救ったお礼として食事に招待されていることを雷郷に告げると、「そんなこともあったな」と言わんばかりの呑気な反応が返ってきた。


「お相手の船生譲太さんも同席するそうよ。紗央里さんのお兄さんの計らいで、勝負には負けたけど同棲は認めてもらったみたい」


「そりゃ麗しい話で結構だね。……で、どこに行けばいいの?」


 遠慮するかと思いきや、食事という点がお気に召したらしい。私はメールの最後に記されている住所をあらためた。街から出てゆくことはせず、兄の決めた新居に住むようだ。


「このメールによると、食事会の場所は美馬堺町のダイニングカフェらしいわ。名月さんも招待してるみたいだから、きっと賑やかになるわね」


 私が弾んだ口調で言うと、とたんに雷郷の表情が険しくなった。


「姉貴もだって?……来るつもりかなあ。だとしたら、僕は欠席しようかな」


「何言ってるんですか。ちゃんと姉弟が揃っていなかったら変に思われますよ」


「だって、「あいつ」も姉貴が苦手だし、思う存分、食事を楽しめない気がするよ」


 なんだかんだとぐずり始めた雷郷を覚めた目で見ながら、私は紗央里に出席の意を伝える返信を済ませた。


「予定は明後日の午後七時。観念して手土産の一つも用意しておいてください」


「うーん、食事はいいけど、できれば鬼の来ない時にゆっくり楽しみたいなあ」


 死神がついてるくせに何を怖がってるのか。私はごね続けている雷郷と美しい名月さんの顔を交互に思いうかべ、気づかれぬよう肩をすくめた。


              ※


「桜城さまと雷郷様……お二人様ですね。お待ちしておりました。どうぞ奥の席へ」


 背筋がピンと伸びた清潔感のあるウェイターに通されたのは、窓際の大きなテーブルだった。席ではサーモンピンクのワンピースに身を包んだ丹羽紗央里が出迎え、私たちは気遣いへの礼を述べると、向かい側の席に収まった。


「今回の賭けの件ではお世話になりました。来てくれて本当に嬉しいです」


 紗央里のかしこまった物腰は、クレープ屋台で見せた快活な顔とはまた違った、しとやかな印象を与えるものだった。


「ええと……譲太さんは?」


「少し遅れてくるそうです。招待した方が遅れてしまって、すみません」


 紗央里がすまなそうに言うと、雷郷がおずおずと口を開いた。


「あのう……やっぱり姉貴も来るんでしょうか」


「一応、前向きに検討してくださるというお返事はいただきましたけど」


「そうかあ。こんな平和な席に参加するとは、姉貴もやっぱり人の子だったんだな」


 雷郷の落胆ともとれる微妙な態度に私は呆れ、思わず睨むような視線をぶつけた。


「あの……とりあえず何か飲み物でもご注文なさってください」


 紗央里に薦められ、雷郷は遠慮する素振りも見せずそいそとメニューをめくり始めた。


「レースの模様、ご覧になりました?」


「はい、あの後、録画した物を……でもあのなんていうか、こんなことを言ったら変に思われるかもしれませんが、ところどころ、とても不思議な映像に見えたりして……」


 いや、全部不思議だと思われても一向に構わない。トレーラーの上で戦ったり、バイクで突撃したり、免疫のない人間が見たら曲芸師か特殊部隊が現れたと思うに違いない。


「そうでしょうね。ええと、それには色々と込み入った事情がありまして、私の隣にいるこの男性はちょっとばかり特殊な技能があるんです」


「特殊な技能?」


「ええ。詳しいことはその、機密と言いますか……」


 次第にしどろもどろになり、私はうやむやなまま、話を作り笑いで締めくくった。怪しまれぬよう取り繕おうとしても、逆にうさん臭くなるばかりだ。


「なんだか面白いですね、警察の方って。……あ、彼……船生さんも到着したみたい」


 紗央里の視線を追って振り返ると、黒いジャケット姿の男性がやって来るのが見えた。


             〈第二十九回に続く〉

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