第23話 美神なあいつは指導中
「今何時?パワード」
「零時十五分だ。思ったよりかかってやがるな」
私は頷くと、四車線が並ぶ通りの奥を見つめた。この環状通りは三途之市、美馬堺町、八十頭町の三つの街を貫く道路で、法定速度で一周すると小一時間ほどかかる長さだ。
丹羽紗央里の恋人、船生譲太が提案した勝負はこの環状通りを先に一周した方が勝ち、というシンプルな物だった。
深夜で交通量が少ないとはいえ、事故を起こさずパトカーにも追われずにレースを敢行するのにはある程度のテクニックが必要とされる。
度胸試しのチキンレースなどを選ばず、まっとうな競争を挑むところに、譲太の自信がうかがえた。
「もうそろそろ来てもいい頃だけど……ネズミ捕りに捕まったのかしら」
「あんたのお仲間にか?……ふん、だとしたら笑えねえ話だ」
私の傍らでゴールの瞬間を見極めるべく待ち構えているのは『黄色い重機』ことパワードだった。粗暴な雰囲気を纏った男だが、「ノストロモス」のメンバーからは厚い信頼を得ているようだ。当然、そうでなくてはヘッドは務まらない。
譲太が勝てば二人でこの街を去る、鋭二が勝てばしばらくの間、鋭二の目の届く場所で別々に暮らすというルールを聞いたパワードは「どっちが勝とうが俺にはどうでもいい。二人のことでグループが揉めさえしなきゃあ、いいのさ」と審判役を快く引き受けたのだった。
通り雨に洗われて光るアスファルトを見つめていると、私の心は十代の少女に戻ってしまいそうになる。ちっぽけで、無謀で、自分で自分を抱きしめるしかない孤独な少女に。やがて、遠くの暗がりに明らかに他の車両とは違う動きをするヘッドライトが見えた。
――来た。……どっちだ?
私が目を凝らすと、いきなり一台のバイクがトレーラーの陰から飛びだしてきた。譲太のバイクだった。だが次の瞬間、私の目は譲太の背後にあり得ざる者の姿を捉えていた。
――あれは、死神!
加速はいいがやや車体の軽い譲太のバイクの上に、大きな鎌を持った骸骨の姿が薄く揺らいで見えた。成仏していない魂を強引に「狩る」のは死神世界のご法度――誰が言っていたんだっけ?私は一瞬、雷郷をこの場に呼ばなかったことを激しく後悔した。
譲太のバイクのすぐ後ろから飛びだしてきたのは、鋭二の黒いバイクだった。二台はせり合いながら車線変更を繰り返し、交差点を強引に突っ切っていった。
――危ない!
譲太の背後の死神が大鎌をバイクの前輪に突き立てようとした、その時だった。巨大な骨の指がいきなり死神の襟首を掴み、そのまま暗い夜空に放りだした。
――な、何?あれ。
巨大な指の付け根を追って目線を動かすと、二人の後ろを走るトレーラーの上に人影らしきものが見えた。骨の手は人影の伸ばした腕の先から出ているのだった。
トレーラーは突如、ブレーキをかけると交差点の手前の路肩に車体を擦りつけるようにして停まった。
――雷郷さん?
いつの間に現れたのか、トレーラーの上のシルエットは紛れもなく雷郷のそれだった。しかも雷郷と思しき人物の両目は、禍々しさを感じさせる赤い光を放っているのだった。
――ガミィなの?譲太さんを助けたあの手は、ガミィの手?
私が呆然とその場にたたずんでいると、空中を舞い戻ってきた死神と巨大な手とがトレーラーの上で掴み合いを始めるのが見えた。
「マム、来たぞ!」
隣でふいにパワードが叫んだかと思うと次の瞬間、私たちの横を唸りを上げて二台のバイクが走りすぎていった。やがて前方の闇でブレーキ音がこだまし、バイク特有の排気音が聞こえなくなった。
「……譲太、だな」
パワードがぽつりともらし、「ジャッジを告げてくる」と言い置くと、走り去っていった。
私はトレーラーに視線を戻し、思わずあっと叫び声を上げそうになった。大鎌を持った死神が、いつの間にか雷郷を組み伏せて首を絞めていたのだった。トレーラーの上で微かに見える黒い「もや」と格闘する雷郷の目が、苦し気に歪むのがはっきりと見てとれた。
私は本能的に、トレーラーの周囲を目で探した。するとトレーラーの後方の路上に、苦しむ雷郷をじっと見つめている人影があることに気がついた。人影はよく見ると能面のような「仮面」をつけていた。
――ガスマスク男だわ!
私が思わず駆け出そうとした、その時だった。突然、暗闇から爆音が轟いたかと思うと、一台のハーレーが姿を現した。ハーレーはトラックの後方で前輪を高く上げたかと思うと、いきなり搬出用のハッチに激突させた。次の瞬間、黒いもやが揺らぎ、雷郷が上体を起こした。
雷郷は大きく口を開けると、いきなり青白い炎を死神に向けて吐いた。死神は大鎌を持ったまま炎に包まれ、苦し気に身をよじって消えた。次の瞬間、再びトレーラーがハーレーに追突され、雷郷は口から煙を吐きながら転げ落ちた。
「ガミィ……雷郷さん!」
私が駆け出すと同時に、ハーレーが停車する音が聞こえた。大急ぎで交差点を渡りトレーラーの周囲を探すと、街路樹の根元に転がっている雷郷の姿が見えた。
「雷郷さん、大丈夫?」
私が駆け寄って身体を揺すると、雷郷がうっすらと目を開けた。赤い光は消え失せ、起き抜けのようにうつろな瞳が私を見た。
「僕は大丈夫、ちょっと痛いけど……それより「術者」がやばい。殺されるかもしれない」
雷郷がそう言いながら指で示した方を見て、私は絶句した。ビルとビルの間の狭い路地で、一人のライダースーツを着た女性が能面男を平手で容赦なく殴っているのだった。
「いくらうちの弟が頑丈にできてるからって、ふざけた真似をするんじゃないよ。ええ?」
女性は能面男に言い放つと、ヘルメットを脱ぎ棄てた。長い髪がはらりと流れ、恐ろしく美しい顔が街灯の下で露わになった。
「……名月さん」
名月の平手打ちは仮面の上からでも凄まじいダメージらしく、能面男は首をがくりと垂れ、なされるがままになっていた。
「気絶されてもつまらないから、このくらいにしておくわ。今回は職質だけにしておいてあげるから、おとなしくお家に帰りなさい。いいわね?」
名月はそう言い放つと、能面男をゴミ袋か何かのように路上に放りだした。あんな職質があるだろうか、と思いつつ私はそろそろと名月の方に歩み寄った。
「あの……名月さん……お久しぶりです」
私が声をかけると、名月が髪を払いながら振り返った。月光に照らされたその美貌は狩猟の女神ダイアナもかくやという美しさで、私は一瞬、ぼうっとなった。
「あら、麗那さんじゃない。偶然ね」
「ええと、あの……どうしてここに?」
私が尋ねると、名月は雷郷の方を見て「弟が面倒なことになってるようだったから、世話を焼きに来たのよ」と言った。
「ひどいな、姉さん。……でも助かったよ」
私の背後から弱々しい声が聞こえ、ずんぐりした影が傍らに姿を現した。
「あんた、いくつになったら私の手を焼かせずに済むようになるのよ。……それでよく警察官になろうなんて思ったわね」
名月の容赦のない叱責にも雷郷はまるで堪えた様子を見せず、へらへらと笑っていた。
「まあ、いいじゃないか。レースをしてた二人も無事だったんだから。……あっ、来たよ」
雷郷がそう言って目で示した方向には、バイクを押しながらやって来る二つの人影と、笑いながら二人に話しかけているパワードの姿があった。
「さあ、これでやっと「あの世の警察」氏に聞きこみができるってわけだ。一件落着」
雷郷の呑気な口調に私が肩をすくめていると、いつの間にかヘルメットを被り、ハーレーに跨った名月がパアン、とクラクションを鳴らした。
「いい子たちは早くお家に帰りなさい。……でないとスペシャルなお仕置きが入るわよ」
名月はそう言い放つと震え上がる男たちを尻目に夜気の中、颯爽と走り去って行った。
〈第二十四回に続く〉
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