第21話 粋がるあいつは暴走中


「デスローダーズ」は地下にあるダイナー風のバーで、一歩足を踏み入れた瞬間、私は懐かしい匂いに全身を包みこまれた。


 ピンクやブルーのネオン管で作られた筆記体の装飾、モンローやディーンのモノクロスチール、チューインガムの販売機、ジュークボックス、ピンボールマシン。どれもこれも私を十代の頃に連れ戻す仲間たちだった。


 雷郷に無理を言って一人で来た私は、あのころと同じポニーテールに黒のライダースジャケットといういで立ちだった。店内は半分ほどの入りで、あのころより若干、年齢層が上がっているように思われた。私がカウンターの一角に陣取って中を覗きこむと、白髪交じりのマスターが姿を現した。


「これは珍しいお客様だ。……元気だったかい?リトル・マム」


 マスターはそう言うと昔と変わらぬ柔和な目を細めた。リトル・マムというのは仲間内での私のニックネームだ。当時私は高校生で、暴走族が入り浸るこの店に背伸びをして通い詰めていた。当然、いやな目にも数多く遭わされたが、あることがきっかけで荒っぽい連中の「お墨付き」を得るようになったのだった。


 思えばあの頃の私は無鉄砲で怖いもの知らずだった。昼間は地区でも指折りの進学校で行儀のいい優等生を演じ、夜になると公道をかっとばす荒っぽい連中に憧れ、早く大型免許を取りたいと言いながら夜の街をあてもなく走り続けていた。


「ええ、おかげさまで。今日はちょっと懐かしい人に会いたくなって来てみたの」


 コークハイを注文した後、私はつとめて悪戯っぽく囁いた。


「ほお、あんたに会いたがってもらえるなんて、そいつはまたラッキーな奴じゃないか。……で、誰なんだい、その色男は」


「……『ビッグチャップ』よ。どう?最近は来てる?」


 私が探している人物の名を口にすると、マスターの酒瓶を拭く手が止まった。同時に私は背後に人が立つ気配を感じ取っていた。


「あんた、見ない顔だな」


 振り返ると顎髭をたくわえた三十前ぐらいの男がすぐ後ろに立ち、私を見下ろしていた。


「……そうね。ちょっとご無沙汰してたけど、会いたい人がいたんで来てみたの。あなた『ビッグチャップ』っていう人、知らない?」


 私が再び尋ね人の名を口にすると、複数のテーブルで人が動く気配があり、私はまたたく間に数名の男たちに囲まれていた。


「なぜその名を知ってる?『ビッグチャップ』と言えば俺たち『ノストロモス』の初代総長だぜ。あんたみたいなふりの客が簡単に会える人じゃない」


 男の目が細くなり、声が威嚇するように低められた。


「ちょっと用事があるの。あなた『ビッグチャップ』をご存じなら『リトル・マム』が来たって伝えてくれない?」


「そうはいかないな。得体の知れない女を通したとあっちゃあ二代目総長の沽券にかかわるんでね」


 男がどすの利いた声で言うと、私を囲む男たちの輪がすっと狭まった。カウンターの中のマスターを見ると、こちらに背を向けたまま、再び一心に酒瓶を磨き始めていた。


「そう、難しいのね。……で、どうすれば会わせていただけるの、二代目総長さん」


 私が立ちあがって足を踏みだすと、正面にいた男が気圧されたように身を引いた。


「俺の名は『黄色い重機』ことパワードだ。話があるんならまず、俺が聞こう」


 パワードと名乗る男に私はゆっくりと頭を振ると、「ごめんなさい、あなたじゃ用事が足りないの」と言った。


「このっ、おとなしくしてりゃ、いい気に……」


 私に後ずさりさせられた男が、歯を剥き出しながらいきなり両手を伸ばしてきた。私は男の手首と二の腕をつかむとそのまま懐に潜り込み、身体を半回転させた。


「うわっ」


 男は伸ばした腕を中心にくるりと綺麗な弧を描き、床に叩きつけられた。


「……あんた、何者だ?」


 顎髭のパワードが私を睨めつけ、歯ぎしりした。と、どこからか別の人物の声が飛んできた。


「やめときな。坊やたちの手におえるお嬢さんじゃない」


 私を含む全員が一斉に声のした暗がりに視線を向けた。やがて、店の奥から三十代くらいのずんぐりした男が姿を現した。


「久しぶりだな、リトル・マム。俺に何の用だ?」


 顔の下半分が髭で覆われたその顔は、『ノストロモス』の初代総長『ビッグチャップ』こと伊勢邦男いせくにおだった。


 「まさかここであなたに会えるとは思わなかったわ」


「俺もだよ。もう俺たちのことなんか知らない連中ばかりになっちまったからな」


 邦男はそういうと、バドワイザーの瓶をかざして「飲める年だろ?マム」と言った。


                  ※


「まさかあんたが警察官になるとはな」


 豪快にビールをラッパ飲みしながら邦男が言った。高校生の頃、どうしてもこの店の常連になりたかった私は彼に公道での勝負を挑み、最終コーナーで見事勝利を勝ち取ったのだった。


 警察官になった今、振り返ると冷汗の出るような行動だが、あのレースでの体験が今の私に続いているといっても過言ではない。雨の中、カーブを曲がり切れず大破した邦男のバイクを仲間たちと回収し、邦男を両親が開業医をしている仲間の家に連れていったあの夜。


 自分たちの賭けの後始末を、警察が来る前になんとしてもやってしまおうとしたあの愚かな情熱。私はあの夜、確かに大人への階段を少しだけ、上ったのだ。


「そうね。でも私自身は、あの頃と変わっていないつもりよ。……ところでチャップ、この店に『あの世の警察官』を名乗る人物が出入りしてるって話、聞いたことないかしら」


 私が本題を切りだすと邦男の目が一瞬、荒くれだったころの鋭い光を宿した。


「そいつに何のようだ?マム」


「今、扱ってる事件に関係があって、どうしても話を聞きたいの」


 私が畳みかけると、邦男の表情がいっそう険しくなった。何か思い当たることがありそうだ。私は黙って瓶に口をつけると、相手が口を開くのを待った。


「……鋭二の知り合いだ。今は『プロメテウス』の軍師に収まってる」


 私は「そう」と短く返し、口をつぐんだ。鋭二というのは邦男の弟分で、『ノストロモス』から仲間を引き抜いて新たに『プロメテウス』という暴走族を立ち上げた男だ。


「じゃあ鋭二君に会えば『あの世の警察官』にも会えるってわけね」


「まあな。……でもうちは今『プロメテウス』と一触即発の状況にある。俺は一線を退いた身だからあれこれ口を挟めないし、いくらお前さんの頼みでも仲介をするのは難しい」


「いいわ。別にそんなことを頼もうなんて思っちゃいないわよ。私が一人で話をしに行ってみるわ」


「いや、それは駄目だ。実は鋭二の妹がうちのメンバーにぞっこんなんだ。そのことでうちと『プロメテウス』の関係が悪くなってしまい、怪我人まで出る状況になってしまった。今、お前さんが動くと事態が悪化する可能性がある」


「私が警察官だから?」


 私が探るようなまなざしを向けると、邦男は苦し気な表情で頷いた。


「悪く思わないでくれ。下手に隠してばれよう物なら、取り返しがつかないことになる」


「隠さないわ。私が直接、鋭二君を説得してみる」


「えっ」


「だって恋愛は自由でしょ。兄妹とはいえ、邪魔する筋合いなんてないわ。それにうまく説得できればチーム同士も仲直りできるし、『あの世の警察官』にも会えて一石三鳥でしょ」


 私が強い口調で言い放つと暴走族の頭だった男は絶句し、子供のように目を丸くした。


              〈第二十二話に続く〉

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