第19話 転がるあいつは襲撃中
「希志さん、あなたが落としたの?これ」
「どうお考えになろうと自由です。それより早く逃げられた方がよろしいのでは?」
警告が終わらないうちに私は歩道を飛びだし、幸人たちの方に駆け出した。予想外のことが起きたのは、その直後だった。
「……いかん!」
背後で声がしたかと思うと誰かが私の両脚と背を抱え上げ、そのまま跳躍した。
気が付くと私は死神――雷郷に抱えられ、宙を舞っていた。着地した瞬間、私たちの背後でまたもや大きな音がした。振り返ると小型の冷蔵庫がアスファルトの上で無残にひしゃげているのが見えた。
「うそ、こんな物どこから来たの?建物の壁から離れた場所なのに」
「おそらく空気の渦でどこかから巻きあげてきたのだろう。これではどれだけ広い場所にいようと逃れられぬ」
死神が私を抱きかかたまま、冷静に言い放った。
「どうやら我々の能力に詳しいようですね。ならばなおのこと、このまま帰すわけにはいきません」
幸人が言い終わらないうちに、死神は再び跳躍していた。耳元で空気が鳴り、直後に轟音が響き渡った。着地と同時に音のした方を見ると、自動販売機が地面に斜めに突き刺さっているのが見えた。どうやら落下物のサイズが次第に増しつつあるらしい。
「ふふふ、いつまで跳びまわっていられますかな」
「ちょっと、これじゃいくら逃げてもきりがないわ!」
私が叫ぶと、「ふむ、確かに少々、忙しないな」と呑気な声が返ってきた。
「このへんで鬼ごっこは終わりです。私を捉えられなくて残念でしたな、刑事諸君」
幸人が最後通牒を口にした瞬間、頭上で空気が鳴った。死神が水平にステップすると、すぐ近くで鈍い音がして何かが空中に跳ねあがるのが見えた。
「何……?あれ」
私が疑問を口にするのと前後して、また空気が鳴った。
「走るぞ!」
死神が叫ぶと私たちの周囲で巨大な丸い物体が複数、どんどんと跳ねるのが見えた。
「ふふん、逃げ切れますかな」
落下物の正体は、重機やトレーラーにはめ込まれている巨大なタイヤだった。私の身長より大きな黒い物体は二、三度バウンドすると、まるで生き物のようにこちらに向かって動き始めた。
「どうしよう、囲まれて潰されちゃうわ!」
「うむ。そうなる前に片を付けるとするか」
死神は短く答えると、私を抱えたまま風のような速さでタイヤの間をすり抜けた。と、同時に五、六個の巨大タイヤが一斉に同じ方向を向き、私たちを追いかけ始めた。
「……速い!追いつかれるわ」
「だろうな。……それっ」
死神は突然、足を止めると身体の向きを変えた。次の瞬間、左右のガードレールが音を立てて歩道から外れ、巨人が凄い力で剥ぎ取っているかのように端の方から空中に持ち上げられていった。先端がカーブした二本のガードレールがスロープをこしらえると、私たちの前に突進してきた巨大タイヤがその上でUターンし、幸人たちの方に引き返し始めた。
「あ、あ、戻ってきた」
か細い声が聞こえたかと思った次の瞬間、タイヤが立て続けに幸人の身体を押し潰していった。
「ちょっとやめて!刑事が人殺しをしちゃ何にもならないわ」
「それなら心配はいらぬ。冥界の力に支配されている間は、人といえど不死だ。このくらいのことで死にはせぬ」
「このくらいのことって……」
私が絶句すると、驚いたことにタイヤが走り抜けたその下から、幸人の身体がむくりと起き上がるのが見えた。
「そら見ろ。ぴんぴんしておるではないか……元の人物とは少し違う気もするが」
死神がそう言って目で示すとその言葉通り、明らかに幸人の表情ではない禍々しい顔の人物が、背後にどす黒いもやのようなものを従えて立っているのが見えた。
「……やはり貴様だったか、我らの邪魔をしていたのは」
幸人というより背後のもやが喋っているような、おぞましい声が言った。
「ふん、邪魔をしているのはそっちであろう。毎度毎度、あこぎな手ばかり使いおって」
死神は明らかに相手を知っている口調で応じた。悔しいが今回の事件は警察の出る幕ではなくなりつつあるようだ。
「一匹狼の死神のくせによその仕事に首を突っ込むと、碌なことにならぬぞ」
「魂が欲しいのなら、冥界の掟に従ってまっとうなやり方でやることだ。罰あたりめが」
二人の会話はあまりにも異様で、内容が理解できない私には固唾を呑んで見守ることしかできなかった。
「いいだろう。『花嫁』さえ手に入ればこちらのものだ。せいぜい無駄な努力をするのだな」
不気味な声が言い終えると黒いもやが消え、幸人はがくりとその場に頽れた。その瞬間、それまで魂を抜かれたように呆然と佇んでいた淳美が突然、「大丈夫ですか?」と叫んで駆け寄った。
「どうやら術者が去ったようだな。まったく、乱暴なやり方をするものだ」
「とにかく逮捕……いや、救急車を呼びましょう」
私が戸惑いながら携帯を取りだそうとした、その時だった。どこからともなく一台のバンが現れ、幸人の前に停まった。ドアが開き、姿を現したのは道化の面をつけた人物だった。仮面の人物は幸人を抱き起こすと車に乗せ、ドアを閉めた。
「……またしても我々の邪魔をしたな。覚えているがいい」
仮面の人物はそう言うと素早く運転席に乗り込み、バンを発進させた。私は淳美の元に駆け寄ると、今にも倒れそうな身体を支えた。
「あの声……ガスマスク男だわ」
「ふむ、髑髏の面の時もあるがな」
「いつも仮面をつけてるの?あの人」
「少なくとも、わしの知る限りはな」
死神の言葉は、明らかに男の正体を知っている者のそれだった。私は憤りを含んだ声で「彼女を送り届けたらゆっくり聞かせて貰いますからね。今日会った連中の事を」と言った。
〈第二十回に続く〉
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