第18話 不敵なあいつは威嚇中


 淳美のアパートは閑静な住宅地の中にあり、車を停めて張り込みをするにはいささか不利な立地だった。私たちは近隣住民に迷惑をかけぬよう、あちこち車を移動させつつ、淳美の部屋をうかがった。


 要は出入りする人間の姿をチェックできればいいわけで、その点、淳美のアパートは家族者が多く不審者の気配は全くといっていいほど感じられなかった。


「あのさあ、思ったんだけど、張り込みって再捜査には合わないんじゃないかな。こんな平和な場所に『冥界の王子』なんて珍奇な客、きっと来ないよ」


 雷郷が開始二時間で早くも音を上げ始めた。私はつくづく先輩に恵まれない刑事だ。


 やがて周囲が暮色に染まり、淳美の部屋にも明かりが灯った。怪しい人物が現れるとすれば、このあたりからだろう。コンビニで何か買って準備を、そう思って隣を見ると、なんと雷郷は目を閉じ、すうすうと寝息を立て始めていた。

 まずいな、この展開は。私が予感のような物を感じた瞬間、雷郷の瞼がピクリと動き、口元から「むう」というしわがれた声が絞りだされた。


「……久しぶりに仕事をしているのかと思ったら、またわしを起こしおった。けしからん」


 むっくりと上体を起こした雷郷の目が赤く光っているのを見て、私はやはりこうなるのかと助手席で溜息をついた。


「なんだここは。またおかしな奴らと競争してるのではあるまいな」


「……ガミィね?今、張り込み中よ。悪いけど、あなたが活躍する機会はなさそうだわ」


「なんだ、つまらん。なぜそんな刑事みたいなことをやっておるのだ」


「証言してくれた女性が『冥界の王子』につけ狙われてるらしいの。彼は北条美咲事件の容疑者でもあるから、おかしなことをしたら即、現行犯逮捕ってわけ」


「……うまくいくかのう」


「いかないでしょうね。そうそう都合よく容疑者が現れてくれるとは思えないもの」


「そういう意味ではない。現れてもお前さんには逮捕できないという意味だ」


「どういうこと?」


「もしわしの知っている奴が関わっているのなら、その何とか王子という者も普通の人間では無くなっている可能性が高い」


「どう普通じゃないの?勿体つけずに教えてよ」


「まあ、そう急くな。どうせ何時間もここでじっとしてるのだろう?まずは腹ごしらえだ。留守番をしておるから、そこのコンビニでアンパンと牛乳を買ってきてくれ」


 私は空いた口が塞がらなかった。死神に張り込みの相方をバトンタッチされる刑事がどこの世界にいるだろうか。そしていくら新人とはいえ、死神に使いっ走りを命じられる刑事がいったいどこの署に存在するだろうか。


 私は黙って肩をすくめると、助手席のドアを開けた。私が冷たい風を頬に感じながら後ろ手でドアを閉めようとした、その時だった。淳美の部屋の窓がふっと暗くなるのが見え、私は身体の向きを変えて車内に戻った。


「ちょっと見て。部屋の電気が消えたわ」


「そのようだな。……ま、少し待ってみよう」


 心穏やかでない私とは対照的に、死神は落ち着き払ってシートに収まっていた。しばらくすると。アパートの入り口から人影らしきものが姿を現すのが見えた。


「あれは……」


 驚いたことに現れたのは、黒っぽいコートに身を包んだ淳美だった。淳美は暗い歩道を、我々の車に注意を向けるでもなくすたすたと歩き始めた。


「あの歩き方は操られている動きだな。近くに術者がいるはずだ」


「術者?」


 死神は私の問いには答えず、車を降りると淳美の後をつけ始めた。刑事なのに胸がざわついている自分と、非常識だが落ち着き払っているこの男と果たしてどちらが有能だろうか。私は死神の後ろを歩きながら、答えの出ない疑問を持て余していた。


「見ろ、やはりおった」


 百メートルほど進んだところで死神が足を止め、私の方を振り返った。


「……え?」


 死神が目で示した先に、閉店したタバコ屋の前に立って道路の向こう側を見つめている淳美の姿があった。淳美の視線の先には人影がうかがえたが、街灯が無いこともあって男性らしいということ以外は、わからなかった。


「誰なの?あれが『冥界の王子』?」


「そのようだな。王子にしてはやり方がいささかスマートさに欠けるが」


 私たちは道路を渡る淳美の背を建物の壁に貼りつくようにして追った。二人の姿がはっきりと捉えられる場所にたどり着いた、その時だった。


「いつまで後をつけてくるんです?」


 ふいに人影が言葉を発した。同時に月明かりが上半身を照らし、私は露わになった顔を見てはっと息を呑んだ。それは以前、見せてもらった希志幸人の写真と同じ顔だった。


「希志幸人さん……あなたが『冥界の王子』ね。淳美さんをどうするつもり?」


「あなた方こそ、なんのつもりです?彼女はこれから『冥王』に面通しをするんです」


「やっぱり『花嫁』にする気なのね」


 私が問いを投げかけると、幸人はくっくっと喉の奥で笑った。


「よく調べましたね。その通りです。でもそこまで調べたのならわかるでしょう?警察の手におえる相手ではないという事が。おとなしくお引き取りください」


「そうはいかないわ。希志幸人、女性拉致の疑いで現行犯逮捕します」


 私が言うと、幸人は黙って私の頭上を指さした。


「今、引き返さないと後悔しますよ」


「どういうこと?」


「どうしても呪われたいのですか。では仕方ない」


 幸人が言い放った、その直後だった。死神がいきなり私を突き飛ばし、私は死神ともども歩道の上に転がった。同時に、私たちのいた場所で轟音が響き渡り、凄まじい衝撃がアスファルトを介して私たちの身体に伝わった。


「だから言ったでしょう。……それにしてもあなたは悪運が強い」


 私は音のした方に恐る恐る目を向け、そこにあるものを見て悲鳴を上げた。歩道の上にビルの壁に付いていたと思しき袖看板が、ひしゃげながら突き刺さっていたのだった。


「……ふん、やはり「あいつ」の仕業か。たしかにこうなると警察の出る幕ではないな」


 立ちあがった死神は意味不明の言葉を呟くと、薄笑いを浮かべている幸人を見据えた。


              〈第十九回に続く〉

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