第14話 狂えるあいつは水の中


「うそっ、いくら水量が少ないっていったって、川よ?」


「あれを見るがいい。普通の車ではない」


 死神に促され、前方に目を遣った私は思わずえっと声を上げそうになった。前をゆく車両のタイヤがわずかに宙に浮き、水の被膜の上を滑っているのが見えた。


「……浮いてる」


「ああいう連中を相手にするのだ。普通のやり方では埒が開かぬ」


 死神がそう呟いた時だった。逃走車両のサンルーフが開き、ガスマスク男が小型の自動小銃を手に姿を現した。


「ほっほ、街中で戦争ごっことは非常識も甚だしい。どれ、ちと驚かしてやろう」


 そう言うと死神はエアコンのダクトに口を近づけ、息を吹きこんだ。次の瞬間、タクシーの車体がぶるりと震え、飛行機が滑走を始めるときのような轟音が車体を包んだ。


「少々暴れさせてもらうがよいか、客人」


 死神が肩越しに振り返ると、タクシーの運転手は怯え切った表情でうんうんと頷いた。


 客はこっちでしょ、私が突っ込みを入れようとしたその時、立て続けに射撃音が響いた。


「こざかしい!」


 死神がハンドルを切ると車体は川から飛びだし、河岸のコンクリートを上り始めた。


「また撃ってきたわ!」


 ガスマスク男が銃身の向きを変えると、死神は素早くハンドルを川の方に切った。


「あああああ」


 運転手の悲鳴と共に車体は再び水しぶきに包まれ、そのまま逆側の河岸を上り始めた。


「そらっ、先回りじゃ」


 死神がそう叫ぶと、タクシーは爆発的な加速を始めた。私はシートに押しつけられ、一瞬、目の前が暗くなるのを感じた。気が付くと、追いかけていたはずの車両がルームミラーの中にいた。


「来るがいい、不埒なものどもよ」


 突然、車体が急制動をかけたかと思うと、死神が窓から手を出した。次の瞬間、轟音があたりにこだまし、ルームミラーに映る逃走車が落下物に潰されるのが見えた。


「な……なに?」


 首をねじ曲げ、恐る恐る振り返ると巨大な鉄パイプに屋根を潰された逃走車が見えた。


「……どこから落ちてきたの、あれ」


 私は停車したタクシーのドアを開けると、くるぶしまで水に漬かりながら逃走車の方に歩き始めた。驚いたことに運転者もガスマスク男も掻き消すように消え、暗い車内に砂上がぐったりと身を横たえているのが見えた。


「ガミィ、来て!砂上さんは無事みたいだわ。助け出しましょう」


 私が叫ぶと運転席のドアが開き、ずんぐりしたシルエットがよろめきながら外に姿を現すのが見えた。私はその動きに、ある種の違和感を覚えた。


「……もしかして、雷郷さん?」


「ひどいなあ、人が寝ている間に「メタモルフォーゼ」をやったろう?お蔭で腕がしびれてしょうがないよ」


 左腕をぶらつかせながらやってきた雷郷に私は「もう、肝心な時にいなくなるんだから」ととばっちりとも言える言葉を浴びせた。


 ひしゃげた後部ドアを二人ががかりで開け、がくりと頭を垂れている砂上をどうにか引きずりだすと、私たちはそのまま河岸に移動した。


「なんだい、あのパイプは。君が調達したの?」


 呑気に尋ねる雷郷に私は首を振り、車体の遥か上の橋を指さした。


「あの橋の裏側を通ってるパイプを「ガミィ」がよくわかんない力で引き剥がしたの。……まあ、修理の費用は身体の持ち主と折半ってとこかしらね」


 私がいくばくかの皮肉を交えて言うと、雷郷は即座にぶるんと頭を振った。


「いやあ、こうでもしなきゃ止まんなかったんだろ?不可抗力だよ。それより応援を呼ばなきゃな。このままだと川が汚れちゃうよ」


 雷郷はそう言うと、どこかに電話をかけ始めた。


「ちょっと、その前に運転手さんを助けださなきゃ」


「……え、誰だって?」 


 間延びした声で問いを放つ雷郷を尻目に、私はタクシーの後部席でぐったりしている運転手の元に歩き始めた。


              〈第十五回に続く〉

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