第13話 荒ぶるあいつは逃走中


「……もしかしてあなたガミィ?ちょっと、雷郷さんはどうしちゃったのよ」


「後はよろしく頼む、だそうだ。それより急いでタクシーを拾うのだ」


「タクシー?ひょっとしてタクシーで後を追う気?」


「さよう。姿は見えずとも悪者の臭いが残っておる。さあ、急ぐのだ」


 死神にせっつかれる形で私は往来に身体を向けると、それらしい車両を目で探した。


 折りよく現れた一台のタクシーに手を上げると、タクシーはするりと縁石に寄った。


「お客さん、どちらまで?」


 後部ドアが開き、初老の運転手が窓越しに訊ねた。


「ふむ。まあまあだな」


「……は?」


 後部席の方に移動しかけた私は、死神が次に取った行動に思わず目を瞠った。


 何と死神――雷郷はいきなり運転席のドアを開けると、中の運転手を外の歩道に引きずりだしたのだった。


「なっ、お客さんっ、何をなさるんですかっ」


「ちょっと、何やってんの!乗るのはそこじゃないわよ!」


 私は慌てて死神の行為を制止した。警察官がタクシーに暴行したとあっては話にならない。私が当惑しているうちに、死神はあっと言う間に引きずり出した運転手を後部席に押しこみ、何と自分が代わりに運転席に乗りこんだのだった。


「お前さんはわしの隣に乗れ」


 しわがれた声が耳に突き刺さり、私はやむなく助手席に乗りこんだ。


「……あの、実は私たちこういう者です」


 携帯電話を取りだしかけた運転手の眼前に私は慌てて警察手帳をかざした。通報されたら万事休すだ。


「……警察?」


「お勤め先には我々が説明させていただきます。すみませんが捜査にご協力願えませんか」


「そう言われても……」


 後部席で居心地が悪そうに身体を捩っている運転手に、私は背中を向けたまま懇願した。


 よく考えてみたら、ここは死神を説得するのが正しい職務のはずだ。ところがどういうわけか私は運転手の方を説得しているのだった。


「ふむ、ディーゼルエンジンか。まあよかろう。ゆくぞ!」


 私が話し終えないうちに死神――雷郷はいきなりアクセルを踏みこんだ。すでに影も形もない車両を追っていったい、どこに向かおうというのか。


 私が訝っているとタクシーはぐんぐんスピードを上げ、きわどいハンドルさばきで前の車両をごぼう抜きにしていった。


「ちょっと、今何キロ出してるの?」


「知らん。まだ出るだろう」


 恐る恐るスピードメーターを覗きこんだ私は、次の瞬間、思わず悲鳴を上げそうになった。制限速度を四十キロもオーバーしている。捕まったら免停、いや免職だ!


「ぼちぼち臭いが強くなってきたぞ、ほうら」


 死神が歌うような調子で言うと、言葉通り数台先にそれらしい車両がやはり私たち同様に無謀な運転で走行しているのが見えた。


「鼠め、逃がさんぞ」


 死神はそう言うと間に挟まっている数台の車を強引に抜き去り、一気に逃走車両の後ろに貼りついた。逃げている車は黒いワゴン車でリアウィンドウから砂上の後頭部らしきものが覗いていた。


「そうれ、あと一息」


 道路幅が四車線に増えたのを見計らって死神は一気に加速し、逃走車両と並走を始めた。


「どれ、ちょっと腕を伸ばしてみよう」


 死神はそう言うと、左手をハンドルから離し水平に伸ばした。次の瞬間、死神の左手があり得ない長さにぐんと伸び、私の前を横切って窓から飛びだした。


「あ、あ、あ」


 伸びた左手はそのまま並走している逃走車両の運転席に入りこむと、ハンドルを握っていた人物の襟首をつかんだ。


「うっ、うわーっ」


 運転手がパニックに陥ったのか逃走車両は滅茶苦茶な蛇行を始め、それに合わせて死神の左手がゴムのように伸び縮みした。


「ちょっと、無茶はやめて、ガミィ」


 私が思わず叫んだ瞬間、急ハンドルとともに左腕が逃走車両からするりと抜け落ちた。


「こしゃくな、まだ抵抗する気か」


 死神が舌打ちした、その時だった。逃走車両の後部席で、砂上の身体越しにガスマスクのような物をつけた人物がこちらに拳銃を向けるのが見えた。


「ガミィ、銃よ。撃つ気だわ!」


「……やむを得ん、少々、暴れるぞ」


 そう言うと死神はいきなり車体を逃走車両に寄せ、そのまま左側の塀に押しつけた。金属が擦れるいやな音があたりにこだまし、左側に火花が散るのが見えた。


「それそれそれそれっ」


 塀とタクシーに挟まれた逃走車両はすさまじい音を立てながら進み、やがて目の前に行く手を阻むようにガードレールが出現した。


「ガミィ、止めて!……川よ!」


「……むうっ!」


 ガードレールが視界いっぱいに広がった次の瞬間、ガラスが砕ける音と共に車体が空中に浮かんでいた。


「あらあ――っ」


 背後で運転手の悲鳴が尾を引き、衝撃と共に水しぶきが視界を覆った。


「もう嫌……」


 滅茶苦茶になった車内で恐る恐る顔を上げ、割れたフロントガラス越しに外を見ると、突然、重いものが転がる音がしてワゴン車が姿を現した。どうやら一呼吸遅れて転落したらしい。ワゴン車は目の前で川に突っ込むと、私たち同様、動きを止めた。


「……大丈夫かしら、砂上さん」


 私が後部席の様子をうかがおうと首を伸ばしかけた、その時だった。いきなりエンジン音が聞こえたかと思うと、ワゴン車が水しぶきを上げて川の中を走り始めた。


「……嘘っ、まだ逃げる気?」


「くっくっ、そう来なくては面白くない」


 死神はなぜか楽し気に言うと、逃がさんと言わんばかりにアクセルを踏みこんだ。


             〈第十四回に続く〉

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