第12話 話せるあいつは薮の中
「えっ、刑事さんだったんですか」
奥の席で向い側に収まった恭司は、驚いたように目を瞬かせた。
「ごめんなさい。演奏を聞きたいっていう気持ちが先んじてしまって、終わってから話そうと思ってたんです」
私は弁解がましいと思いつつ素直にわびた。計算づくで近づいたと思われても仕方ない。
「いえ、別に何とも思ってませんから……」
恭司は虚ろな表情のまま、目線を手元に落とした。演奏を終えて放心状態なのかもしれない。私は小細工をせず、本題から切り出した方が信用されるに違いないと直感した。
「実はうかがいたいお話というのは、「亡者の館」のことなんです」
「亡者の館……」
私は恭司の反応を、固唾を呑んで待った。これで警戒されるようならそもそも脈はない。
「あなたは「亡者の館」に入ったことのある人物だとうかがったのですが、どんな風に中に入られたのか、話せる範囲でいいので教えていただけませんか」
私がおそるおそる切りだすと、恭司はしばらく沈黙した後、俯いて頭を振った。
「……残念ですが、それは無理です。「亡者の館」に入ったらしいことはわかっていますが、その前後のことをまるで覚えていないのです。なんだか頭の中に鍵がかかっているようで、思いだそうとすると気分が悪くなるのです」
そうだったのか。私は彼の存在がごく一部の人間にしか知られていない理由を理解した。
「そうとは知りませんでした。ごめんなさい。我々も無理には……」
そこまで言いかけた時だった。隣で沈黙を続けていた雷郷がおもむろに口を開いた。
「砂上さん。その「鍵」を開けて見たいとは思いませんか」
「えっ」
雷郷の大胆な申し出に恭司は一瞬、驚いたように目を瞠った。
「それは……思わないこともないです。ですが思い出せたためしがないんです。カウンセリングも二、三度受けてみましたが駄目でした」
「我々の身内に記憶を呼び起こす手ほどきができる人物がいます。一度会ってみませんか」
普段の雷郷からは想像もつかない雄弁さに私は内心、舌を巻いた。この人、ポンコツと見せかけて実は詐欺の才能を隠しているんじゃないかしら。
「でも催眠療法みたいなものだったら、ちょっと怖い気もします」
「あなたは一切、受け答えする必要はありません。記憶を引き出すのではなく、あなたの「記憶」をちょっと覗かせてもらうだけです」
「記憶を覗く……」
「これから少しの間、我々につき合っていただけませんか。時間はさほどかかりません」
雷郷は一気に畳みかけたかと思うと、ふっと口をつぐんだ。恭司はしばらく下を向いて沈黙を続けた後、やおら顔を上げて「お願いします」と言った。
雷郷は困惑顔の恭司をうながして店を出ると、ドアの前で立ち止まった。
「沙上さんは僕とここにいて下さい。今から桜城刑事がタクシーを捕まえてきます」
雷郷は当然のように言うと、私を見た。私はしぶしぶ頷くと、二人をその場に残し、車道を渡って近くの交差点に向かった。私が檻よく角を曲がってきたタクシーに目をつけた、その時だった。
背後で「ぎゃっ」という声と、どすんという人が尻餅をつくような音がした。振り返ると雷郷が歩道に倒れ、走り去る人影に恭司が何かを叫んでいる姿が見えた。
「……雷郷さんっ」
いったい、何が起こったというのだろう。私は身体の向きを変えると、来た道を引き返し始めた。反対側にいる雷郷たちのところへ行こうと車道を渡りかけたその時、予想もしなかった光景が目の前に出現した。
「……えっ?」
風のように現れた一台の車両が二人の前に停まり、ドアが開けられたかと思うと黒い影が恭司を羽交い絞めにして車内に引きずりこんだのだった。
「ちょ、ちょっと!」
私が車道を渡れず足踏みしている間に、車両は慌ただしくアクセルをふかすと目の前から走り去っていった。私は道路が空くのを待って雷郷に駆け寄り、肩を掴んで揺さぶった。
「どうしよう、雷郷さん。砂上さんが攫われちゃったわ!」
雷郷は手で頭を抱え、二、三度左右に振ると「ううん」と呻いた。
「……まったく、いきなり横から獲物をかっさらってゆくとは、無礼も甚だしい。ここはきつくお灸を据えてやらねばなるまい」
しわがれた声が私の耳元でそう呟き、やがて前髪の間から赤く光る目が私を見返した。
〈第十三回に続く〉
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