第11話 無口なあいつは演奏中
「
「そう。三十年前、いわゆる第三セクター方式で市民の憩いの場として作られた施設さ」
町はずれの民家風カフェで、店の一角に設けられたミニ・ステージの前に陣取りながら雷郷が言った。
「十年ほど前、再開発で売却が決まったんだけど、今だに市が所有してるんだ。売却先の企業が倒産して買い手がつかなくなったのが理由だけど、市ももてあまして結局、廃墟になってるんだ」
「そこが「亡者の館」だというのね」
「おそらくはね。色んな噂が立ち始めてからは完全に封鎖されて出入り不可能になってるけど、ある筋の情報じゃ、そこを「この世ならぬ人物」が拠点にしてるっていうんだ」
「この世ならぬ人物?」
「うん。正体はわからないけど、悪霊とかじゃないよ。ネットの噂じゃ、建物の中から怪しい光が見えたとか、おかしな物音が聞こえたとか言われてるらしいけど、霊がらみの都市伝説なんて僕に言わせりゃ九十九パーセント、嘘っぱちさ。「本物」はわざわざ好奇な連中の標的になるような現れ方はしない」
「ふうん……それじゃ、雷郷さんは「この世ならぬ人物」を何者だと考えてるの?」
「封鎖された建物にやすやすと侵入し、誰にも見つからずに行動できる能力を持った人物……ただの人間でも幽霊でもない、その中間の存在かな」
なあんだ、結局よくわからないんじゃない、と私はこれ見よがしのため息をついた。
「……それはこれからつきとめるさ。……それより今は、あのステージに立つ男性に神経を集中させるんだ。打ち合わせ通り頼むよ」
雷郷はそう言うと、店の一角を目で示した。どうやら今日、ここで行われる無料のミニコンサートに出演する人物が「亡者の館」に出入りしたことがあるらしい。
「ご期待に沿えるかどうかはわからないけど……まあ、とにかくやってみるわ」
雷郷の要求は不自然かつ無茶な物だった。出演者に話しかけ、リクエストをきっかけに知り合いになってくれというのだ。ならば最初から刑事だと打ち明けた方がよほど信用されるのではないか。異を唱える私を雷郷は「まあまあ」と例の呑気な顔で宥めるのだった。
「それでその人「亡者の館」でいったい、何を見たんです?」
「それが一切、口にしないらしいんだよ。しかもその後、心を病んじゃったらしくて、仕事も辞めてリハビリ生活を送ってるらしいんだ。今日の演奏もリハビリがてら、しぶしぶ承諾したって話さ」
出演者の名前は
「大丈夫かな。ギターの演奏ができるくらいだから、話くらいはしてもらえますよね?」
「さあ、どうかな。一時は廃人同様になって、まったく口をきかなくなったって話だけど」
そう言う事は先に言ってくれよ。私は愚痴を呑み下すと、雷郷の顔を睨みつけた。
「あっ、出てきたよ。……じゃあよろしく頼むね」
「もし、口を一切、聞いてくれなかったらどうするんですか」
「その時は最終手段さ。彼が「亡者の館」に入った時の記憶に直接、侵入するしかない」
「記憶に直接侵入……って、どういうことです?」
「それはママとレオンの担当さ。まあ「処理室」に連れて行かずに済むのが一番だけどね」
雷郷の意味不明の言葉に私が当惑していると、ふいに店内がざわつき始めた。
「みなさん、お待たせしました。プロギター奏者、砂上恭司さんのミニライブです」
拍手に迎えられて姿を現したのは、色白で細身の青年だった。恭司は畳一畳ほどのステージにギターを抱えて上がると、用意された椅子に腰を下ろした。
「……砂上恭司です。みなさん、短い時間ですが楽しんでいってください」
恭司は消え入りそうな声でそう言うと、目の前に立てられた譜面台に手を伸ばした。
「では一曲目です。アランフェス協奏曲から」
恭司の手がギターの弦に触れた次の瞬間、繊細なメロディーが店の空気を震わせた。
「素敵……」
私は目の前で弦を弾く指の動きと紡ぎ出される華麗な調べに、仕事を忘れ陶然となった。
恭司はクラシックのスタンダード・ナンバーを何曲か演奏した後、指を止めてギターを床の上に下ろした。
「あの……もしリクエストがあればできる限りやりたいと思いますが、聞きたい曲のある方、いらっしゃいますか」
今だ。私は準備してきた言葉を頭の中でそらんじると、おずおずと手を上げた。
「あ……はい、なんでしょう」
「ええと、「イエスタディ」とか……できます?」
「はい、できますよ。……コードを思いだせば、なんとか」
恭司の返答を確かめた私は、間髪を入れず店の片隅にあるピアノを目で示した。
「あの……よかったらあのピアノでリズムを刻ませてもらえませんか?」
「えっ……それはつまりセッション、てことですか?」
「お邪魔だったら遠慮しますけど……」
「イエスタディ」はギター一本で成立する曲だ。ピアノは強引に絡むための口実だった。
「……わかりました。じゃあ、お願いします」
私は椅子を立つと、軽く会釈をしてピアノの方に向かった。子供の頃、五年ほど習ったことがあるが、まさか刑事になってから怪しげな腕前を披露する羽目になるとは。私はアップライトピアノの前に座ると、背後の「ワン・ツー」というカウントに耳を傾けた。
演奏が始まると、後は無我夢中だった。自分でも何を弾いたのかよくわからないまま、あっと言う間に曲が終わり、気が付くと恭司と私は拍手に包まれていた。
「ありがとうございました、ええと……」
「桜城と言います。後で少し、お話を伺っても構いませんか?」
「あ、ええ……少しなら」
何の話かも聞かず、あっさりと応じた恭司に私は胸のうちで「ごめんなさい」と呟いた。
〈第十二回に続く〉
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