第10話 多忙なあいつは補食中
七階に上がった私たちを待っていたのは、花火のように光を巻き散らしながら廊下中を飛び回る無数の「もや」たちだった。
「いっ、一体なんなの、これ?」
私が叫ぶと死神は「下がっておれ」と短く告げ、廊下を進み始めた。
「ふん、どうやら冥界の力を操る者が最近、現れたようじゃな。低級な霊たちが魂のおこぼれにあずかろうとうじゃうじゃ涌いて来おった」
死神はネズミやら梟やら動物の顔をした白い「もや」たちを手で払いのけると、いきなりぐわっと大口を開けた。はた目には雷郷が大あくびをしているようにしか見えないのだが、次の瞬間、雷郷の口から吐き出されたのは黒い炎の塊だった。
私が廊下の隅で事の成り行きを固唾を呑んで見守っていると、黒い塊は飛び回る「もや」飲みこみながら次第に大きさを増していった。良く見ると塊は髑髏の姿をしており、どうやら死神が言うところの「低級霊」を捕食しているらしかった。
「ガミィ……もしかして「食べてる」の?」
私が恐る恐る背中に呼びかけると、喜色満面の顔が肩越しに振り返った。
「浄化しとるだけだ。無垢のエネルギーとなった魂はまた、別の物に生まれ変わるのだ」
死神の言葉は響きこそ崇高だったが、実際、私が目の当たりにしているのは空中を獲物を求めて肥え太りながら飛び回る髑髏でしかなかった。
「ふむ、どうやらあらかた平らげたようだな」
死神はそう言うと、雷郷の手で戻ってきた髑髏を受け止めた。低級霊がすっかり退治された廊下は不気味なまでに静まり返っていた。
「ううむ、良く肥えたものだ」
死神は両手で髑髏を包みこむと、大きく口を開けた。……もちろん、雷郷の口だ。
――ちょ、ちょっとあなた「それ」を食べる気?
私が思わず顔を背けかけた、その時だった。廊下に並んでいるドアの一つが、勢いよく開け放たれた。
「……ちょっとあんた、うちのグラウクスちゃんを食べる気?」
大声でわめきながら飛び出してきたのは、紫のヴェールを被った年配の女性だった。
「ぬう、食べるとは失礼な。わしは行き場に迷っている動物霊を浄化しとったにすぎん」
死神は雷郷の顔に凄みのある笑みを貼りつけると、赤い目で女性を睨みつけた。
「とにかく、早く吐きだしてちょうだい。動物霊愛護協会に虐待で訴えるわよ」
私は二人のやり取りを呆れながら聞いていた。霊を食べる方も異常だが、動物霊を愛護する方も尋常ではない。
「いちいち面倒くさい御仁だ。……で、なんの霊なのかね、そのグラ何とかという奴は」
「梟よフ、ク、ロ、ウ!四の五の言ってないでさっさと吐きだしてちょうだい」
「ええい、勝手な言い分ばかり並べおって。近頃の飼い主は霊のしつけがなっとらんな」
死神は億劫そうに言うと、髑髏の頭を平手でぽんぽんと叩いた。……と、髑髏の口から丸々と太った梟が一羽、すぽんと外に吐き出された。
「良かったわあ、グラウクスちゃん、無事だったのね。……あら、なんだかやけにふくよかになったように見えるんだけど。あなた、何かおかしなもの食べさせたんじゃなくて?」
女性がただならぬ剣幕で詰め寄ると、死神はふんと鼻を鳴らし「馬鹿な事を」と言った。
「その梟は、こいつが先に捕食した鼠の霊を片っ端から食いおったんじゃよ。……誰に似たのかまったくいじきたない鳥じゃ」
死神はそう言うと、蔑むようなまなざしで床の上に転がっている梟を見やった。
「な……なんてことを。うちのグラウクスちゃんがそんな低級な鼠の霊なんか食べるわけ……」
女性がそこまで言った時だった。梟が「ぐふっ」とえずくような仕草を見せたかと思うと、口から丸まった鼠らしきものをごろごろと吐き出したのだった。
「くっくっ、それ見たことか。これからはけちけちせずにまともなものを食べさせてやることじゃな」
死神はそう言うと、顔を真っ赤にして憤っている女性に背を向け「……さて」と言った。
「そろそろ休ませてもらうとするか。いくらポンコツとはいえ、少しは働いてもらわんと」
死神はそう言うと、私の前でがくりと膝をついた。目から光が失われ、静かになったかと思うとゆっくりと頭が動き、眠そうな顔が私の方を見た。
「……あれえ、なんでこんな所にいるんだい、君。早く「亡者の館」を探しに行かなきゃ」
私は思わず握りしめた拳に気づかれぬよう、極力抑えた口調で「雷郷」に語りかけた。
「そうですね。たっぷり休まれたでしょうし、ここから先は雷郷さんにお任せしますね」
私は精一杯の笑みで言うと、きょとんとしている雷郷を尻目に階段の方へと向かった。
〈第十一回に続く〉
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