第9話 怯えるあいつは遁走中
「浮遊空間」は、繁華街にある古びた雑居ビルだった。
雷郷がアポイントを取った相手は六階に店を構えているとのことで、エントランスに足を踏みいれた私たちはまっすぐエレベーターを目指した。
「うひゃあ、すごいよこのビル。右も左も全部、オカルトっぽい店ばかりだ」
謎めいたタペストリーやエスニックな仮面に囲まれたエレベーターホールに、雷郷が無邪気な声を上げた。
「ここまでしないと商売にならないのかもね。……あ、来たわよ」
エレベーターに乗りこんだ私たちは、ここでも目を丸くせざるを得なかった。箱の内部が極彩色の曼陀羅で埋め尽くされていたからだ。
「怖いよ、桜城君。何か出てきたら守ってくれるよね」
私は開いた口が塞がらなかった。死神に身体を貸している人間がいったい、何を怖がるというのだ。
エレベーターが目的の階に到着し、かたかたと小刻みに震える雷郷を宥めながら、私は「宵闇模様」を目指した。探し始めて間もなく、私の目はそれらしいドアを捉えた。
「ここみたい。思ったより地味ね」
これと言った装飾の無い、紫色のドアの前で私はほっと息をついた。ドアを押し開け中に足を踏み入れると、香の匂いと共に予想外に明るい空間が目の前に現れた。
「ふうん、エステサロンみたいね」
私はそう言うと、カウンターの上の呼び鈴を鳴らした。
「はい、お待ちください」
奥のドアから姿を現したのは、四十前後くらいのおとなしそうな女性だった。一応、サリーに似た衣装に身を包んではいるが、神秘的な雰囲気はまるでなかった。
「あのう……連絡を差し上げた警察の者ですが」
「ああ、雷郷さん。「プルート」君の話を聞きに来たのですね。どうぞ奥へ」
女性はそう言うと、私たちを奥のテーブルへと招いた。占いはどうやら別室で行うらしく、勧められたのはごく普通の応接用ソファーだった。
「はじめまして、境麻美と言います。ここでは「ベラドンナ」と名乗ってます。専門は水晶占いとタロットです」
「お忙しいところ、無理を言ってすみません。ところで本題ですが……「プルート」さん、つまり希志幸人さんとはどんなご関係ですか?」
「同業者の先輩と後輩……と言ったところでしょうか。十年ほど前、ショッピングセンターで占いの店を出していたんですが、彼は見習いでありながら非常に人気があったんです」
「そのお店は何年も続けてらしたんですか?」
「いえ、一年ほどしか続きませんでした。その後、彼はちょっと心を病んでしまったらしく、仲間たちとも音信を絶ってしまったんです。やはり後輩の子が、病院で見かけたといっていたのがもう五年ほど前になるでしょうか。……その時に彼が不思議なことを言っていたそうです」
「不思議なこと……と言うと?」
「もう占いは必要ないんだ、僕は救いを見つけた……と」
「救いを見つけた……」
「今までは占いに頼っていたけど、救い主と出逢ったから僕に占いは必要ない、そういうことみたいです」
「その、救い主についてはなんて言ってました?」
「私が直接、聞いたわけではないので詳しいことはわかりませんが……「冥界の王」に会ったとか言っていたようです」
「冥界の王……どこで会ったと?」
「それがとても不気味な話なんですが「亡者の館」という選ばれた者しか入れない建物で知りあったとか……その子も怖くなってそれ以上、聞くのをためらったみたいです」
「亡者の館、ですか」
「ここの事じゃないの」
いきなり雷郷が口を挟み、私は思わずこっそり尻をつねった。
「いてて……き、貴重な情報をありがとうございます。そうか、それは不気味な話だなあ」
雷郷がそう調子を合わせた時だった。天井からどすん、という重い響きが伝わってきた。
「なにかしら」
「あ、上の階では時々、奇妙な現象が起こるんですよ。お化けが出るとか……」
「お化け?」
「お帰りの際はお気をつけ下さいね。以前、やはり警察の方が来られて、壁が壊れるほどの騒ぎになったそうです」
「それってどういう事です?暴力沙汰でもあったんですか?」
「さあ、たぶん悪霊でも起こしてしまわれたのではないかと」
「悪霊を起こした?」
私は思わず雷郷の方を見た。すると突然、雷郷がソファーから立ちあがり「行くぞ、お嬢さん」と言った。
――お嬢さん?私は目を瞬かせた。普段、雷郷は私を「お嬢さん」などとは呼ばない。
「面白い話をありがとう、主。では我々はこのへんで」
明らかに雷郷ではない声が言うと、身を翻してそそくさと入り口の方に向かい始めた。
「ちょっと待って。……あなた「ガミィ」でしょ」
入り口から廊下に出たところで私が言うと「いかにも。……さあ、上の階に行くぞ」としわがれた声が答えた。
「雷郷さんはどうしたのよ」
「お化けと聞いたら寝てしまいおった。意気地のない奴だ」
いや、と私は頭を振った。お化けと聞いて尻込みしないのは死神くらいのものだろう。
「どうして上の階にいくの?もう用事は済んだでしょ」
私が詰問すると、死神は急に口の両端を吊り上げ、赤く光る目を私に向けた。
「雷郷の方はな。わしの用事はこれからだ。どうやら上の階に彷徨っとる連中がいるようだ。安い霊だとは思うが、皆に迷惑をかけぬよう、ちと黙らせてやる」
どこと開く浮き浮きした口調で「階段室」と書かれた扉を開ける死神を見て、私はやはり未解決事件の担当など拝命するのではなかったと重い溜息をついた。
〈第十回に続く〉
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