第6話 頭上のあいつは外勤中


「契約?死神と?」


 署の裏手にある「サンセットプラザ」の食堂で雷郷が漏らした一言に私は唖然とした。


 なぜ署に戻らないかというと、先ほどの立ち回りを振り返るには署の空気は「まとも」過ぎるからに他ならない。「サンセットプラザ」は区民ホールと商業テナントが同居する複合施設でひっきりなしに出入りがあり、いかがわしい話をするにはうってつけなのだった。


「そうさ。僕の魂を預ける代わりに奴の能力を借りるっていう契約だよ。まあ、フェアトレードとは言えないかもしれないけど、今のところどっちからも不満は出ていないよ」


「大丈夫なんですか、その……」


 頭の方は、と言いかけて私は後の言葉を呑みこんだ。


「死神に魂を預けたりして」


「もちろんさ。最初はおっかなかったけど、意外と快適だよ。何しろ姉貴や学校の先生にずっとポンコツ扱いされてきた僕が未解決事件をいくつも処理できたんだ。あいつには感謝してるよ」


「死神の力を借りて事件を解決してきたんですか?……じゃあその間、雷郷さんは……」


「ピンチの時は大体、あいつに任せてるけど、だからって何もしてないわけじゃないぜ。いざって時に備えて身体を休める。それだって仕事のうちだよ」


 誇らし気に言い切る雷郷を見て、私は開いた口が塞がらなかった。


「そもそもこの関係はさ、お互いメリットがあるんだよ。僕はあいつに身体を貸して事件を解決してもらい、キャリアを積む。あいつは真犯人が逮捕されることで成仏した被害者の魂を手に入れる。……死神にとって魂を成仏させることはキャリアアップになるからね」


「はあ……」


 私はおとぎ話のような雷郷の語りに相槌を打つことも忘れて聞き入っていた。


「怖くはないんですか、死神なんかに自分の身体を自由にさせて」


「そうだね、たまに「メタモルフォーゼ」をやられたりすると、後で体の節々が痛くなったりはするかな。まあ一種の職業病みたいなもんだよね」


「メタモルフォーゼ?」


「ある種のホルモンを大量に分泌させて一時的に筋肉を何百倍ものサイズにするのさ。それで飛んだり跳ねたりするんだから、痛いったらありゃしない」


「よく無事でやってこられましたね」


「だって契約がそうなってたんだもん。身体の中身が入れ替わってる間に起こったことについては一切、クレームをつけてはいけないってね。どうやら契約書の隅っこの方に何ミクロンっていう大きさの字で書いてあったらしい」


「……それって詐欺じゃないですか」


 私は太い息を吐き出すと、ふと傍らのバッグに目をやった。そうだ。


「ところでこれ、どうしましょう」


 私はバッグから食べかけのパンと牛乳を取り出した。死神が食べ始めたとたん雷郷が目を覚まし、そのままになっていたのだ。


「ああ、残りは捨てても構わないよ。僕じゃなく奴の好物だから」


「そうなんですか。色々とややこしいですね」


 異常なこの状況をどうしようか考えあぐねていると、突然、近くで男性の声がした。


「やあ、雷郷君じゃないか。こんなところでサボりかい」


 はっとして顔を上げると、いつの間にか雷郷の背後にスーツ姿の男性が立っていた。


「サボってなんかいないよ。いやなことを言うなあ」


 雷郷に声をかけたのは一課の刑事で駒木こまきという人物だった。


「お前さんがこの間捕まえた真犯人、捜査本部長の親族だったらしいぜ。やばくないか?」


 駒木は意地の悪い笑みを浮かべながら、雷郷に囁いた。


「しかも当時の捜査じゃ出て来なかった証拠まで新たに見つけたらしいじゃないか。……まずいよなあ、これじゃあまるで捜査本部長がわざと証拠隠しをしたと疑われかねないぜ」


「だから何だよ。余計なことをするなっていいたいのかい?」


「そうじゃないさ。もっと要領よくやらないと処理班ごと潰されるぜって忠告さ」


「そりゃ、ご親切にどうも。……といいたいとこだけど、僕にはどうでもいい話だ」


「へえ、そうかい。人がせっかく耳寄りな話を提供してやったってのに、恩を知らねえ男だな。……まあ処理室自体、ポンコツの吹き溜まりみたいな部屋だし、しょうがないか」


 駒木が雷郷にしつこく嫌味を浴びせていた、その時だった。急に駒木の両足が床からふわりと宙に浮いたかと思うと、地上一メートルくらいの高さにまで吊り上げられた。


「わっ……何だ、何しやがる」


「うちのエースを虐めないで下さいよ、駒木さん」


 脚をばたつかせて抗議する駒木に声を浴びせたのは、とてつもなく大柄な男性だった。


「やあ、レオン。随分としばらくじゃないか」


 雷郷は駒木を持ち上げている男性に、間延びした声でそう呼びかけた。


「レオン?」


「ああ、まだ君に紹介してなかったな。うちの部屋に勤務してる刑事の一人で天童君。僕らの同僚だよ」


「初めまして、天童玲音てんどうれおんです。母がジョン・レノンが好きだったので「レノン」ってつけようとしたんですけど、役所の人が間違えて「レオン」になりました」


「はあ……桜城蓮那です。今週から処理室勤務になりました。よろしくお願いします」


 私は長身の天童を見上げるような形で自己紹介をした。雷郷と比較してみても二メートルを超えているのは間違いないだろう。もじゃもじゃの髪と垂れ気味の目、外国人を思わせる高い鼻、なんとも個性的な外見だ。顔の大きさのわりに身体がスリムなので、ぱっと目には道路標識が立っているような感じだった。


「はっ、早く下ろせ、馬鹿っ」


 駒木がじたばたしながら喚くと、天童は「あ、はい」といって手を離した。床に落下し、尻をしたたかに打った駒木は「痛いっ」と叫ぶと遥か頭上の天童を睨みつけた。


「いきなり手を離す奴があるかっ、馬鹿野郎」


「すみません、下ろせと言われたもんで、つい……」


「まったく処理室の連中ときたら、どいつもこいつも筋金入りのポンコツだなあ、おい」


 尻をさすりながら駒木が悪態をつくと、背後から現れた影が「ちょっと」と言った。


「だれが筋金入りだって?ええ」


 腹の底に響くような声に、駒木は「ひっ」と叫んで跳びあがった。駒木の背後に立っていたのは、体重百キロは軽くありそうな中年の女性だった。


「やあビッグ・ママ。やっと外の仕事が終わったんだね」


 ママ、という雷郷の言葉に私は少なからずぎょっとした。もしこの女性が雷郷の母親なら、名月さんのお母さんという事になる。まさか。


「ああ、結構骨の折れる仕事だったよ。……ところでそっちのお嬢さんは誰だい、ヒサ」


「今度、新しく入った桜城さんだよ、ママ。姉貴の推薦で交通課から来たんだって」


「ふうん、そうかい。これで全員揃ったってわけだね。じゃあ歓迎会をしないとね」


「あの……もしかして上司の方ですか?」


「もしかしなくてもそうさ。処理係室長、花霞百合絵はながすみゆりえ。よろしくね、お嬢さん」


「あ、はい。桜蓮蓮那です。よろしくお願いします」


「一応、みんなからはビッグ・ママって呼ばれてるけど、こう見えても独身よ」


 百合絵はそう言うと、頬の肉をぶるんと震わせた。


「独身……じゃあ雷郷さんのお母さんじゃなかったんですね」


「当たり前だよ。可憐な私にこんな大きい子がいたら、みんながっかりするよ」


 豪快にそう言い放つ百合絵の全身からは、ただならぬ貫禄が滲み出ていた。


「さて、じゃあ署に戻って歓迎会の打ち合わせでもするとしようかね。ヒサ、この前みたいに打ち合わせ中に寝るんじゃないよ」


「わかってるって、ママ。今日はもうたっぷり休んだから大丈夫」


「他人に任せてばかりいたら、あんたの恐ろしいお姉さんに言い付けるからね」


「おそろしい?」


 私はふと百合絵が漏らした言葉に、思わず問いを放っていた。


「ああ、交通課……いや、うちの署で最も恐ろしい女性警官だよねえ、ヒサ」


「まあね。僕ら処理室勤務でよかったよ。なあ、レオン」


「そうですね、ええ」


 三人の会話を聞きながら、私は名月さんの「あなたの能力を伸ばしてあげたいの」という言葉を複雑な気持ちで思い返していた。


              〈第七回に続く〉

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