第2話:転がる

「ん、じゃあ今日はここまでね」

「はい、お疲れさまでした」

 そう言って、バイト先のビルを出ていく。

 今の時刻は夜の8時。

 他のバイト星人であった女2人は6時くらいで先にお帰りになられていた。ある程度のノルマが達成できていれば、さっさと帰っても良い仕組みなのだ。俺の場合は少しでもお金が欲しかったからギリギリまで働いたけれども。

 まぁとにかく、外はもう暗かった。夏の夜風はむさ苦しくサウナのようだが、「これでも昼間よりはましだなぁ」っと思いながら帰る。

 その途中で、コンビニでパスタを買った。

 うちの家族では、料理は個人個人で用意して食べている。まぁ用意と言っても両親が無駄に作った大量の残り物を食べているだけだが。

 親は共働きで、父親は残業をしない日はないし、母親はパートをほぼフルタイムで働いている。料理を一人で担当とかは無理なのだ。

 ご飯を食べるタイミングもバラバラだ。

 というか最近皆でそろってご飯を食べたことが無いわ。

 ……両親がここまで頑張って仕事しているのには理由がある。

 うちの家族構成は、父・母・俺・そして妹だ。

 妹は俺の1歳下の年齢だが、アメリカにあるハーバード大学に飛び級で入学しているからだ。

 は? っと思うかもしれないが、俺も当時それを聞いたときはは? っと思った。それと同時にある種の納得もあった。

 妹は天才ギフデットであった。

 具体例を一つ上げるとすれば、妹は12歳でSATを(勝手に)受けて高得点を出したほどだった。

 欠点は数えるのをあきらめるほどあるが……なかでも酷いのは異常なほどの自己中心的思考だろう。親のクレカを勝手に使ってSATを受けた時点でも良くわかる。

 そんな妹を養うために、親たちは働いているのだ。ハーバード大学の授業料とかは奨学金(返さなくてもよい)で何とかなるが、アメリカで好き勝手やる妹のために働いているのだ。

 ……そういえば、去年は今の時期くらいに帰ってきたが今回はどうなるのだろうか?

 そんな事を自分の部屋でパスタ食いながら考えた。


 @


 0時近くなり、俺はもう寝ることぐらいしかやることが無くなった。

「……イタリア旅行どうなってるかな」

 イタリアでは今は16時くらい。インスタの投稿も一杯されているはずだ。

 本来、寝る前にスマホなどのモニターは神経を揺さぶるので見ない方が良いらしいが、俺は躊躇なく見た。気になるし。

 インスタを起動して、彼女のアカウントのタイムラインを舐めるように見る。

 予想通り、イタリアの景色がたくさん写っていた。

 その中で一番気になったのは、

「……トレビの泉かぁ」

 トレビの泉を色んな角度を取った写真が7枚ほど、そのうち2枚は彼女のサイン入りコインが無事に泉に入っている写真だった。

 また、動画も付属しており、彼女が後ろ向きにコインを放る動画だった。

 ……自撮りはしないと約束したのに、自撮り取ってる。

「……いや顔にモザイクかかってるから良いか」

 変な納得をしつつ、スマホにイヤホンを指してもう一度見る。夜中に音声が流れると疲れた両親が目を覚ましてしまう可能性があるのだ。

 そして、再生して——硬直した。

『Sì,……l'ho fatto! !』

『L'ho fatto, nonna! !』

 何を言ってるのかはイタリア語? なので分からなかった。が、音声には明らかに男性だと思われる音声が残っていた。その音声は彼女のイタリア語に返すように流れていた。

 誰だコイツ。

 色々な考えが巡る。彼女に返す音声は、彼女の家族の物ではないはずだ。彼女の家族とは一回話をしたことがあるので間違いない。

 そこで一つ仮説が浮かぶ。

 この音声は赤の他人によるヤジではないのか?

 外国人はそういう事を良くやると聞いたことがあるし。っと思ったが、もう一度再生して多分違うと考えた。

 音声の向きだ。音声の大きさが明らかにカメラを持っている人の物だ。つまり、赤の他人ではない。

 ……いや、カメラ撮影を頼んだだけかもしれない。

 もう一度トレビの泉の写真を見る。

 綺麗に、美しく撮られている。彼女の才能がなせる力なのかもしれない。

 そうして、コインの写真にたどり着き――視線が止まる。

 湖に反射して、彼女の姿が見えたのだ。

「――!」

 驚いた。もう少し気を付けてよ! っと叫びそうになるが、カメラの位置が丁度、目を隠しているのでほっとした。

 だがしかし、次の瞬間、何も考えられなくなった。

「……コイツ誰だよ」

 彼女の腰をつかんでいる白人男性が居たのだ。

 でもそれが嫌がらせとかじゃないのは、彼女の嬉しそうな口で分かる。湖に反射して分かる笑みで分かる。

 意味が分からなかった。どうしてそんなことを?

 でも、一つの仮説が思い当たり、頭が真っ白になった。

 相手に腰を掴んだ掴まれたで笑みを浮かべるような男女の仲は、俺には一つしか思い当たらない。

「……」

 この後の事は覚えてなかった。

 いつの間にか寝て、起きて、ご飯を食べようとして食欲が無くて、ラップして、バイト先のビルへ向かった。


 @


「――でも最近のドラマって動きが雑じゃない?」

「分かるぅ。何か明らかに予算が減ってそうな動きしてるよねぇ」

「そこの下りいる? ってなるよね」

 バイト中、彼女たちはしゃべりながらキーボードを叩いている。

 とても楽しそうだ。

「……」

 対して俺は、一人だ。

 昨日までは一人でも大丈夫だった。彼女の事を考えればやる気が自然に出てきた。

『L'ho fatto, nonna! !』

 脳によぎる男性の声、姿。

 俺はある種の絶望を感じて、

 寂しさを感じて、

 辛くなって、

「……えっと、すみません」

 彼女たちに話しかけた。

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