13.パートナーは助け合うもの

「栞里ちゃん。わたしにもなにか手伝えることないかな」


 軽く家の中を案内してもらった後、居間に荷物を置いた澪は、冷蔵庫の中を見て思案に耽っていた栞里へ近づいていく。


「澪はお客さんだから、ゆっくりしててくれて大丈夫」

「お客さんじゃないよ。これからしばらくお世話になるのはわたしの方なんだから」

「む。でも」

「いわば今のわたしは居候……だと、ちょっと味気ないかな……」


 良いこと思いついた、という風に澪は人差し指を立てた。


「えへへ。今のわたしは、栞里ちゃんの家族だよ」

「家族?」

「うん。ただの居候が図々しいかもしれないけど……わたしは栞里ちゃんの家族がいい」


 だからね、と澪は栞里の手を取った。


「家族なら栞里ちゃん一人に任せるのは違うと思うの。わたしも自分にできることをしたい」

「そっか……わかった。澪は本当にいい子だね」

「そう、かな? でも、子って……わたしは栞里ちゃんと同い年だよ」


 確かに、体型はちょっと子どもっぽいかもしれないけど。

 そんな風に、むーっ、と不満げに頬を膨らませた澪の頭に、すっと栞里の手が伸びた。

 そして当然のように撫でる。

 澪はこれを今までも何度かやられている。だからきっとこれは栞里なりの好感の示し方なのだろうと、なんとなくはわかっている。

 けれど今だけは、なんだか年が離れた子どもとして見られているみたいで、ちょっと納得がいかなかった。

 だから澪は必死に背伸びをして、自分より背の高い栞里の頭に目がけて手を伸ばした。


「んー……! んーっ……!」

「……なにしてるの?」

「わ、わたしも栞里ちゃんと同じことを……! よ、よしよし、よしよしー……!」


(……七夏にも同じことされたっけ。でも……)


 七夏の時は事前にしゃがむように言われたので背が低い七夏でも普通に届いていたが、今の栞里は普通に立っているので、七夏よりもさらに小さい澪では、精一杯に手を伸ばしても全然届いていないようだった。

 必然的にすぐそばで澪が背伸びしている姿を目にすることになって、あんまりに必死で頑張っているものだから、なんだか応援したいような気持ちになってくる。


「……う、うぅ……そ、そんな微笑ましいものを見るみたいな目で見ないでー!」


 栞里の視線に気づいた澪は、顔をゆでダコみたいに真っ赤にして叫ぶと、膝を抱えてうずくまった。

 澪を励ますため、また頭を撫でようとした栞里だったが、今の澪には逆効果だろうと直前で思い直し、手を引っ込める。

 ならばどうすればいいのだろうと悩んで、思い浮かんだのは母の教えだ。

 言葉を大切にすること。栞里のために頑張ろうとしてくれた彼女に言うべき言葉はすぐに見つかった。


「澪。ありがとうね」

「……うん」


 しぼんだように小さな返事だったが、栞里はそれで満足した。

 澪から視線を外し、作るものも決まったので、冷蔵庫の中に手を伸ばす。


(……ずるいなぁ、もう)


 未だ熱が残る頬を撫でながら、澪は心の中で嘆息した。

 栞里本人は気づいていないだろうけれど、ありがとうとお礼を言った時、彼女はかすかに笑っていた。

 心のまま、精一杯の感謝と愛情を伝えるように。

 そんなものを見せられたら、文句を言う気も失せてしまうというものだった。


「澪。これ」


 いつまでもうずくまっているわけにもいかない。

 澪が立ち上がると、栞里からエプロンを手渡される。


「制服に汚れがつくといけないから。それとも、制服から着替えてくる?」

「ううん。このままで大丈夫だよ。ありがとう、栞里ちゃん」


 桃色のラインが可愛らしい、手作りと思しきエプロンだ。

 一方で栞里が身につけているのも、藍色のラインが入った、同じく手作りであろうエプロンである。


(……どっちも使い古した感じ……?)


 片方が使えなくなったから、もう片方を使ったという風ではない。

 どちらも同じように使われていると感じた。


(栞里ちゃん、私がしばらく泊まるってことになった時も誰にも連絡してなかったし、てっきり一人暮らしなのかなって思ってたけど……違うのかな)


 もしも他に誰か家族と暮らしているのなら、しばらくお世話になりますと挨拶をしなくてはいけない。

 栞里がなにも言わないということは、きっと澪が泊まることに反対するような人ではないのだろうけれど……。


「澪。これの皮剥いてもらってもいい?」

「あ、うん」


 台所には包丁なども置いてあるし、あんまり上の空でいると怪我をしてしまいかねない。

 一旦考え事は保留として、澪はひとまず栞里の手伝いに集中することにした。

 栞里はずいぶんと作り慣れているようで、効率よく調理を進めていく。

 澪もたまに母の手伝いをしたり、母の帰りが遅い時は代わりに簡単なものを自分で作ることはあるけれど、栞里の慣れた手際は母のそれと同じだった。

 いつもこうして一人で作っているのだろうか。作業に迷いがない。


(栞里ちゃん、授業も中学までの範囲なら全部覚えてるって言ってたし。勉強ができて、料理もできて、スタイルもよくて……たぶんだけど運動もできるよね? うーん……わたしとは比べ物にならないハイスペックだ……)


 ちょっと変なとこもあるけど、と最後に付け足さざるを得ない部分も多々あるが。


「むー……栞里ちゃんって……なにか苦手なこととかあるの?」

「苦手なこと?」

「栞里ちゃん、わたしの中だとどんなことでもそつなくこなせる人って感じの印象だから。苦手なことってあるのかなーって」

「苦手なこと……んー……」


 栞里は首を縦にも横にも振らず、曖昧なまま答える。


「苦手だなって思ったことは、苦手じゃなくなるまで続けるだけだから」

「わっ。努力できる人の言葉だなぁ……」

「でもそういう意味で言えば、魔法少女としての活動はまだ、苦手の部類に入るんだと思う」


 いつもとは少し低いトーンで、苦い思い出でも思い返すように、栞里は言った。

 今、栞里がなにを思っているのか、気にしているのか。

 澪だからこそ、その内容には察しがつく。


「栞里ちゃんが言ってるのって、もしかして、今日の魔法少女活動のこと?」

「うん」

「やっぱり……なんていうか、すごかったね。先輩たち」


 栞里はこくりと頷いて同意する。

 澪もまた、今日の魔法少女としての初活動を頭の中で振り返ってみた。


「えへへ……わたし、ほとんどなにもできなかったや。ただ沙代先輩の後ろをついて行ってただけで……ヘイトリッドを見つけた時だって、子犬くらいのちっちゃい相手だったのに、庇われてばっかりだった」

「澪も?」

「うん。やっぱり栞里ちゃんも?」

「うん」


 知らないことだらけ、初めて体験することだらけだったからしかたがなかったものの、栞里は結局のところ、七夏におんぶに抱っこだった。

 ヘイトリッドを見つけるまでの道程はもちろんだが、遭遇した時だってそうだ。

 きっと栞里はあの時、戦わせて

 七夏は初め、自分の顔に目がけてヘイトリッドが飛びかかってきた時、攻撃を躱すとともに、ヘイトリッドに蹴りを入れていた。

 だけどもしもあの時、蹴りではなく手に持った剣を振るっていれば、それだけで戦闘が終わっていただろう。

 もちろん、飛びかかってきたのは突然のことだったし、蹴りを入れるのと剣を振るうのとでは体勢がまったく違うから、蹴ることと同じようにはできなかったかもしれない。

 だけど栞里には、七夏にはそれだけのことができた、と。そんな確信があった。

 七夏はあの時、蹴ると同時に自身の魔力をヘイトリッドに紛れ込ませて、いつでも《調和》を発動できる状況を作った。

 不測の事態が起きようと即座に対処できるように仕組んだ上で、栞里の方へ蹴り飛ばし、わざとヘイトリッドと相対させたのである。栞里に経験を積ませるために。

 実際は栞里などいなくとも、あれくらいのヘイトリッド、七夏一人でも簡単に退治できたはずだ。


「七夏は、私のことをパートナーだって言ってくれた。でもだからこそ……より一層情けなかった」

「少しでも先輩たちの役に立ちたかったね」

「……きっとパートナーっていうのは、お互いに助け合う存在だと思うから。もっと強くなりたい。いつか、七夏のパートナーを名乗っても恥ずかしくなくなるくらいに」


 初めは魔法少女なんて存在、信じてもいなかった。

 だけど今、湧き上がるその気持ちに、嘘偽りなど欠片もなかった。


「助け合う存在、かぁ……」


 栞里の言葉を反芻した澪は、ふと、栞里の横顔をじっと眺め始めた。

 それから一人でうんうんと頷いたり、わずかに笑ったり。

 どうしたの? と栞里が首を傾げて問いかけてみると、澪は自らの両の手のひらをそっと合わせて、かすかに上ずった楽しげな口調で言った。


「ねぇ、栞里ちゃん。後で勉強会してみない?」

「勉強会?」

「うん。魔法少女の勉強会。レンダちゃんや先輩たちに教わったこととかを振り返ってみたりとかしたいなーって」

「ん、なるほど」

「それにね。わたし、栞里ちゃんよりちょっとだけ早く魔法少女になってるから、栞里ちゃんが知らないことをちょっとは知ってると思うの。それも教えてあげられたらな、って」

「いいの?」

「うん。パートナーはお互いに助け合う存在、なんだよね? レンダちゃんが言ってなかった? いずれはわたしと栞里ちゃんでパートナーを組んでもらうって」

「あ……そういえば言ってた」

「でしょ? だからわたしね……」


 照れくさそうに、それでいて嬉しそうに、彼女は言った。


「パートナーとして、栞里ちゃんの助けになりたいの」


 蕾が花開くかのような、いじらしく、可愛らしい微笑みだった。

 打算など欠片もない、純粋な好意のみが織りなすその鮮やかな笑顔に、栞里はつかの間、目を奪われる。

 栞里は自分があまり笑わない方だと自覚しているし、人付き合いも苦手な方だ。

 こんな風に誰かから笑いかけられたのは、果たしていつぶりだっただろうか。

 ……いや。

 もしかしたら、いつぶりというよりも。

 ……初めて、だったかもしれない。


「……栞里ちゃん?」


 返事が来ないことを不思議に思ったのか、こてんと小首を傾げて、澪は栞里の顔を覗き込んだ。

 それは本当になんてことのない、何気ない仕草だったが、ぼーっとしてしまっていた栞里は、ビクッと肩を跳ねさせてしまう。

 そのせいで、ちょうど手に持っていた包丁を握る力が緩んで、その刃が指に落ちた。


「いっ――!」

「あっ! だ、大丈夫栞里ちゃんっ!?」


 だいぶ深く切ってしまったようだ。

 血が次々溢れ出てきて、まるで止まる気配がない。


「ばっ、絆創膏っ、絆創膏ー……じゃなくて、まずは消毒……? きゅ、救急箱は……!」

「澪、大丈夫……そんなに慌てなくても」

「で、でもこれ、たぶん骨まで……」

「大丈夫」


 それは強がりでもなんでもなく、きちんとした根拠に基づいた返答だった。

 栞里は、自分の中の魔力の存在を意識した。

 魔法少女だけが使えるという、特異魔法を自分自身に行使する。


「全然大丈夫、じゃ……え……あれ? 怪我……なくなって……?」


 瞬きする間に、栞里の傷は初めからなかったかのように塞がっていた。

 突然の現象に理解が追いつかないように、澪は口を半開きにしている。

 もしかして逆の手だった? と、澪が栞里のもう片方の手も確認したが、当然ながらそちらにも傷はない。


「だから言ったはず。大丈夫、って」

「……あっ。もしかして今の、栞里ちゃんの……?」

「そう。私の特異魔法」

「そっか……《回復》……それが栞里ちゃんの魔法……」


 かつて七夏が天秤ばかりを使って《調和》を見せてくれたように、特異魔法は変身せずとも使うことができる。

 無論、その出力や精度は変身している時と比べればだいぶ劣るが、包丁で誤って切ってしまった程度の切り傷であれば問題なく治すことが可能だった。


「生き物だけじゃなくて、壊れた物とかも元に戻せる。だから今補助具に入ってる修復の魔法とかはいらないかなって思ってる。近いうちに新しい魔法に変えてもらうつもり」

「確かに聞く限りだと、栞里ちゃんには必要ないかもね」


 澪はほっと大きな息をつく。


「でも……うぅ、よかったぁ……大事に至らなくて」

「心配させてごめんね」

「ううん。包丁持ってるのに話しかけたわたしも悪かったから」


 これからはちゃんと黙ってるよ! と、お口にチャックをする仕草を取る澪。

 栞里はそんな澪の頭を撫でてやりたかったが、調理中の水洗い等で若干手が湿っていたため、しぶしぶ控えた。

 どことなくしょんぼりとした栞里の様子に澪は首を傾げたが、ちゃんと黙っているという宣言通り問いただすことはせず、栞里の調理のサポートに回ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る