ジュブナイル・シンドローム【青春・切なめ・約6800字】

お題

・マウソロス霊廟(詳しくはググってください)

・回転木馬

・高校生の日常


 僕は、死んだら墓に入りたくないって思っている。両親にもそう言っているし、そういう遺書も――高校生がネットで調べて、見様見真似で書いた遺書に、法的な拘束力があるのか、あるいは、親心という心情に対する心理的な拘束力があるのか、僕には分からないけど、でも、そういう遺書も、僕の部屋の、机の一番上の引き出しの中に、ちゃんと入っている。

 書いたのは去年の夏で、僕が、自分は病気なんだって知ったちょうど2年後だ。


「あはは。そういうのって、よくないと思うよ」


 病室のベッドで笑いながら君は言う。僕はその日も、君の好きなチーズタルトを買ってきた。君と同じ店だ。君が来るときは、僕の好きなバターソルトのラスクを買ってくる、あの店。


「どうしてだよ?」

「どうしても」


 そう君は言う。君に言うとまあ、確実に否定すると思うけど、「なんとなく」とか「どうしても」とか、そういう言葉で高校生男子は屈服すると、君は多分、心の奥の方で信じている。結構理不尽だよな。最後には、まあやっぱりだけど、屈服してやらないといけないし。

 こういうのも、男女差別だよな、とか僕は思う。


「だって死んだあとにどうするかって、遺された人の為のものでしょ?」

 大人ぶってそんな正論を言う君に、僕は口をとがらせる。

「僕の体は僕のものだ。死んだら遺された人のものって、遺産相続じゃないんだからさ」


 そういうと君はまた、おかしそうに笑う。結構、真面目に言ったつもりだった。「やっぱさ、ずれてるよね、君」そう付け加えて、こらえきれないという風に、笑う。

 すねたように、僕は君から視線を逸らした。

 ベッドサイドに置かれた花瓶の向こう側。窓の外の空を僕は仰いだ。

 青い。果てしなく、どこまでも青い。その先に宇宙があるとか、宇宙の先に果てがあるとか信じられないくらいに青かった。

 飛行機雲がまっすぐに引いて、かすれて、消えていく。まるで、届かない手紙みたいに。


「ねえ」

「ん?」

「僕ら、死んだらどこに行くのかな」

「お墓の中」

「あのさあ……」


 そう、少しいらっとして振り返ったその先に、深い、深い色をした君の瞳と微笑みがある。

 窓の外の空みたいに。


「じゃあ、死んだらさ」


 君が、ベッドに突いた、僕の手の、その指先に触れる。


「私たち、一緒のお墓に入ろうよ」


 僕ら、もうすぐ死ぬ。今年の夏だ。




 ジュブナイル・シンドローム【少年期症候群】

 僕たち患者は、自分たちの病気をそう呼んでいる。誰が呼び始めたのかは分からないけれど、これは医者が決めた名前じゃないし、正式な定義があるわけでもない。多分、医学的には、病気にも当たらない。

 でも僕たちは間違いなく、病に冒されている。それだけは事実だ。

 僕らは十代のうちに死ぬ。そしてそれがいつか、僕らは知っている。

 それが僕たちの抱えた、誰にも治せない病の全て。

 僕も彼女も、定期的に検査入院をしなくちゃならない。何も見つからないと僕たちは知っている。僕らの体はいたって健康だ。ただ、いつ死ぬのか分かっているってだけで。

 けれど大人たちは何かを掴もうと必死になる。きっと僕らのためじゃない。偉大な発見とか、後世に残る名誉とか、そんなものの為に。

 多分、僕らの病は、僕らとは違うどこかにある。あの青空の向こうの、真っ暗な世界みたいに。



 彼女が二日間の検査入院から退院して、学校に戻ってきた。

 学校は皆の「やめたい」にあふれている。部活をやめたい、勉強をやめたい、テストをやめたい、補習をやめたい、生徒会をやめたい、学校をやめたい、彼氏をやめたい、彼女をやめたい、友達をやめたい、兄弟をやめたい、親子をやめたい、バイトをやめたい、ラインのグループをやめたい、etc、etc……


 人生を、やめたい。とか。


 そんなことを言って、何者でもない自分をやめたいと思っている。それこそが何者でもないってことなのに。

 そんな日常が、僕と君だけを置いて学校の中にあふれていく。

 鋭い言葉を投げ合ったりしながら。

 前にクラスの奴から「彼女とケンカした、仲直りしたい」みたいなげっそりする相談を受けて、見せられたラインにもっとげっそりしたことがある。

 お前ら、もっと相手のこと考えろよって。

 ……君に同じ話を愚痴った時は「相手のことを考えている人は、親に『墓に入れないでくれ』とか、言わないんだよ」って、笑われたけど。


 まるで、ナイフみたいな言葉だ。前にしか切っ先の向かない、決して自分の方に刃の向くことのない、安全で危険なナイフだ。

 それを一本ずつ、交互に投げ合って、投げ合って、ドン、ドンって、見当違いの壁に突き刺さっていく。それを見て言う。「なにすんだ、危ないだろ」じゃない。


「もっと、私に向けて、ちゃんと投げろ」って。


 そういう、ぞっとするような会話だった。

 そいつらは別れた。そのあと、彼女の方は一か月後に、彼氏の方はその一週間後に、もう別の奴と付き合っていた。後は知らない。

 既読をつけて、スルーするとか。既読をつけないで、スルーするとか。ライン見れませんって、宣言しておくとか。


「言いたいことがあるなら直接言えよ」


 そう、全然関係ないやつに言ったりとか。

 結構、苦しいよな。余命いくばくもない僕が見ていると。

 結構、苦しいんだ。息が止まりそうなくらい。

 だってそうだろう。特権なんだ。僕ら、持ってない権利だ。

 やめられるのは、今やっているやつだけ。死ねるのは、今生きているやつだけ。

 私にナイフを投げてみろって、そう叫べるのは、今心臓が動いているやつだけ。

 僕の心臓は、動いているんだろうか。




 今度は僕が入院する番だった。君はあの店のバターソルトのラスクを買って、学校帰りに僕の病室にやってきた。


「また噂になってたよ、私たち付き合ってるって」


 そう君がくすくすと笑う。またか、と僕はため息を吐く。

 二人で交互に入院して、交互にお見舞いに行っているものだから(見舞いに行っていることは、彼女のとあるしくじりでバレてしまったんだけど)僕らの関係性って、見ている奴らからすると色々噂しやすいんだと思う。あんまりめんどくさいから一時期本当に付き合っているってことにしていたこともあるけれど、それはそれで同じくらいめんどくさいって事が分かって、結局あいまいに濁すしかない。


「明日から夏休みだよ」

「今日、終業式だっけ」

「本当は知ってたくせに」

「忘れてたよ」

「あっ、嘘だ」


 嘘だ。嘘だった。

 だってそれは、僕らの、最後の夏の始まりだから。

 最後の秋は、去年終わった。




 遊園地に行こうと君が言った。電車に乗って、街から離れた遊園地に行った。

 日曜日の遊園地は人の多さに驚かされる。まるで皆、今の今まで隠れていたみたいに、園内はどこかから来た人にあふれていた。


「クラスの子、誰か来てるかな」

「どうだろ」

「見られたら、また噂になるね」

「いいよ、別に」


 何気なく言った僕の言葉に「そうだね」と君は頷いた。だから僕は、「別に」の先を言わなかった。

 君はジェットコースターが昔から好きで、コーヒーカップをジェットコースターみたいなスピードにして乗るのも、ゴーカートをガードフェンスにゴンゴンぶつけながら運転するのも、好きだった。僕は君の好きなものが、だいたい嫌いだった。でも付き合った。


 だって、そういうの、君が好きだったから。

 きっと、そういう、君が好きだったと思うから。


「メリーゴーランド!」


 そう言って君が指さす。僕はちょっとうんざりした口調で。


「やだよ、さすがに」

「なんで?」

「恥ずかしいだろ、この歳で」

「なんで?」

「なんでもだよ」

「だめ」


 自分の時は「なんでも」で押し通すくせに、だめってなんだよ。


「なんでだよ」

 僕はそう、もう一度訊く。

「なんでも」

 あ、またそうやって自分だけずるい言葉を通す。女子の理不尽。

「そうだ」

 そう言って君が手を叩いた。


「じゃんけんで負けた方が一人で乗ろう、そんでもう片方が証拠に動画を撮る」

「それ、負けた時僕だけ恥ずかしいじゃんか」

「どうして?」

「だって、君がメリーゴーランドに乗ってても何もおかしくない」

「君だって全然変じゃないよ、かわいい。それに、男は恥ずかしくて女は恥ずかしくないって主張、性差別じゃない?」

「そういうとこだけ女子出すの、ずるいよ」

「女の子って、そういうもんなんだよ……ハイッジャンケンポン!!」


 突然早口で言われて、咄嗟にチョキを出したけど。


「へっへっへー」


 ……負けた。




「もっとかわいくかわいく!」


 心底楽しそうに笑いながらスマホのカメラを構えた君を、白馬の背にまたがり、ポールを掴んだ僕は、恨むように、終始睨み続けていた。上下運動しながら、回転運動しながら。


「すっごいキレイに撮れたよ、最近のスマホって高性能だよね、見る?」

「死んでも見ない」

「見ときなよ、死ぬ前に」


 そう君がさらっと言って、僕は小さく息を飲んだ。


「嫌だ」


 なんとか声を絞り出した僕に、君は微笑みかけた。無邪気な君に、僕はため息を吐いて尋ねた。


「……何でそんな動画撮ったの?」

「君を忘れないために」


 そう言った君の横顔が、沈み始めた長い夕日に翳った。


「私は死んでも、君を忘れないよ。だから」


 君が目を細める。


「君に恥ずかしい思いをさせた私のことを、来世でも覚えていてほしいな」

「……趣味悪」


 そんな君の顔を、たかが一回死んだくらいで、僕は忘れないと思う。




 最後に観覧車に乗った。てっぺんまで来ると、遠く、僕たちの住んでいる街が、朱い夕焼けに燃えていた。


「私の家が見えるよ」


 君が僕の隣で、椅子の上に膝をついて、僕の肩に手を置きながら窓の外に向かって言う。


「見えないよ、こんな遠くから」

「もう、こういうのは、見えた気になってれば見えてるの。君の家も見えるよ」

「ほんとだ」

「いやいや、見えないでしょ」


 ……自分は見えるって言ったくせに。


「見えるんだよ。僕、視力4.0だから」

「まじで?」

「うん、隠してたけど、僕本当は日本人じゃなくてマサイ族の戦士なんだ」

「何それ、意味わかんない」


 ひとしきり君の笑い声が響いて、それからゴンドラの中は静かになった。

 観覧車が、あるいは、時間が。止まってしまったように思えるほどだった。ゆっくりと、ゆっくりと、まるで一瞬一瞬を引き延ばしているみたいに、観覧車は動いた。

 僕らの街が、山の向こうに翳り始めた時のことだった。


「……私ね、前から考えてたことがあったんだ。ずっと、考えてた」


 不意にそう、君がささやくような声で話し始める。


「何で、ジュブナイル・シンドロームなんて病気があるんだろうって」

「……うん」

「どうして、私たち、理由もなく18歳の夏に死んじゃうんだろうって」


 そう、君は確かめるように、はっきりと言った。それは、僕らに共有されている真実だろう? って。本当にそうなんだろう? って、確かめるように。


「うん」


 僕は頷いて見せる。君も小さく頷く。


「それはさ。人は本当は、生きたいんだって、そう確認するためなんじゃないかって。最近そう思うようになった」

「人は……生きたい?」

「そう。私たちの周りにいる人たち皆、まるで幸せじゃないって顔してる。いろんなことが煩わしくて、投げ出したくて、逃げ出したくて、もう、こんなのやめちゃえばいいんじゃないかって、そんな顔」


 僕はクラスメイトたちの顔を思い出す。笑ったり、泣いたり、怒ったり。その表層で覆い隠した、空虚を、虚無を。


「でも、それって、未来が見えないからだよね? 終わりが見えないから、だから私たち少年少女の人生は、まるで地平線の向こうまで続く砂漠みたいに見えてしまう」

「確かに、そうかも」

「だから、証明する人が必要なんだよ」

「証明って、何を?」

「人生は、生きるってことは、こんなにも素晴らしいんだって、そういうこと」


 そう言って君は笑う。嬉しそうに、悲しそうに。


「私たちにとって、これは最後の夏だけど。でも、最後の夏だから、そう分かってるから、私たち、精いっぱい生きてる。後悔しないように、いや、するんだろうけどさ、それでも、精いっぱい、今、生きてるじゃん。生きていられるんだよ。私たち、この短い命を燃やして、花火みたいに、人生ってこんなに素敵なんだって証明してる」


 おもむろに君の顔が近づいて、ほんの少しだけ、僕らの唇が重なった。


「ジュブナイル・シンドロームにならなかったら、私たち、隣同士にいなかったんだよ」


 鼓動を感じた。速く、強い鼓動だ。

 その時僕は、あの日の僕に答えられると思った。

 僕の心臓は確かに動いていると。

 そう、自信を持って、胸を張って答えられると思った。


「そっか」


 そう、僕は呟いた。


「そうだよ」


 そう、君も呟いた。

 それきり、僕らは何も言わなかった。だけど、同じことを考えていたんだって、僕たちは知っている。

 つまり。

 ジュブナイルって、そういうことなんだって。




 学校の先生は、高校3年生の僕らによく「ここからは全て『最後の』がつく」と話をする。最後の球技大会、最後の夏休み、最後の文化祭、最後の運動会、高校生活最後の日、卒業式まで。全部、最後なんだって。

 だから僕たちは夏休みの間、思いつく限りの「最後」をやった。

 何せ、僕らにとっての最後は、「最期」なわけだから。




 ある日の真夜中だった。僕は父さんのCB400を借りた。


「お前、乗れるのか?」

 そう父さんが聞いた。僕は頷いた。時々、勝手に持ち出して転がしていた。

「だよな、乗れるよな」


 そう父さんが頷いた。「もう、高校3年生なんだもんな」そう、確かめるように呟いて。

 深夜のリビングには父さんと僕しかいない。母さんは上で寝ている。


「つまり、今日お前がいる場所は、ここじゃないってこと、なんだよな?」


 そう、父さんが僕に訊く。少し震えていたけれど、静かな声だった。

 その日が今日だって、ずっと前から父さんは知っている。母さんには、近い、とは言っていたけど、具体的な日付は教えていない。父さんも、僕も、上手く隠したと思う。もし知ってしまったら、僕が死ぬその日まで、あるいは僕の死を受け入れるその日まで、母さんはまともに生きていけないだろうから。


「ごめん」

「ああ、いいよ。お前がそう決めたんなら」


 そう父さんは頷いた。


「……前に」

「うん?」

「前に、死んだら墓に入れないでほしい、って言ったことがあっただろ?」

「ああ」

「あれ、撤回する」


 そう言うと、父さんは目を見張った。僕は続ける。


「無理かもしれないけど、いや、多分無理なんだけど。全然、そういう関係じゃないし、縁もゆかりもないし。でも」


 僕は父さんに背を向けて言った。


「死んだら、同じ墓に入ろうって約束した子がいるんだ」

「好きなんだな」


 僕は返事をしなかった。


「それにしても、同じ墓って18歳の約束か? 重すぎるだろ」


 そう父さんは、無理をしたように笑う。


「だよね」


 そう言って僕もまた、小さく笑って。


「いってくる」


 家を出た。




 待ち合わせた公園まで、君を迎えに行った。僕の姿を見つける。


「無免許運転だ」

 そう君が笑う。

「これで途中で捕まったら、笑えるよな」

 そう返す。


 君には僕のコートを貸した。僕は父さんのライダースジャケットを着ている。

 最期は、海に行きたいと君が言った。だから僕はCB400を走らせる。

 奔らせる。

 ギアを上げる。夜を泳ぐ車の群れを、縫うように駆ける。

 ぎゅっと腕を回した、君の体の体温を感じる。

 そこに君がいる。

 スロットルを開ける。速度を上げる。ヘッドライトが闇を裂く。

 空気が、風景が弾けて消えていく。世界の破片がヘルメットを通り過ぎていく。

 どこまでも、どこまでも行ける。

 星が瞬いている。宇宙の向こうの、その先の、因果の向こう側の果てを、僕たちは思う。




 太陽が今にも昇ろうとしていた。僕たちは並んでそれを見ていた。

 夜明けを迎えようとする海岸には、誰もいなかった。

 僕たちだけだった。僕たち、二人だけのものだった。


「ずーっと昔ね、死んだ旦那さんのために、世界で一番美しいお墓を作った奥さんがいたんだって」


 海が次第に、オレンジに染まっていく。君の瞳がそれを映している。

 綺麗だと、僕は思う。


「それで?」

「奥さんはさ、旦那さんの遺灰を、ワインに混ぜて飲んだらしいよ」

「気色悪いなあ……最期の最期にする話がそれかよ」

「私も、君の灰を混ぜてお酒つくるね。灰ハイにしようかな」

「未成年だろ」

「無免許でここまで来たくせに」


 僕ら、顔を見合わせて、心から笑った。


「ここが、世界で一番綺麗な、私たちのお墓」

「墓なんてないよ」

「ある」


 そう、強く、強く君が言う。


「あるよ、ここに」


 そう君が前を向く。つられて、僕も同じように海を見つめた。

 朝日ってこんなにも、美しかったのか。

 それは全てを焼き尽くす、穢れのない炎の色だった。網膜を焼き付かせる、永遠の紅蓮だった。僕らを燃やし、溶かし、一つにする。

 一つにしてくれる。

 その輝きが、紛れもない、僕らの、僕たち二人だけの墓標だ。

 最期に君が何かを言った気がした。けれど、僕はその言葉を覚えてはいない。



 そうして、僕らの少年期は幕を閉じる。

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