オルカの有意味論【SF・切なめ・約4500字】
お題
・カッシーニの間隙(土星の輪っかのスキマ)
・貧乏
・原子の灯(大阪万博で、美浜原発から試送電された電気で灯った光)
――目を開けて。
そう、夢の中の誰かが僕に要請した。
目を開ける。確認。視界にも、身体にも異常はない。
僕は確かめるようにゆっくりと体を起こすと、いつものように作業に取り掛かる。
ここで僕に与えられている主たる命令は、8つある原子炉の管理と運転だ。現行、この作業に関する全ての判断・処理の権限は僕に委譲されている。
……と、言っても実際に判断しなければいけないことが起こったことはないし、処理しなければならないことも起こったことはない。
原子力というエネルギーは、その運用リスクの大きさから安全性が認められるまでには非常に長い時間が掛かったという。だがそのお陰で、厳しい淘汰の結果生まれたコイツらはとても優秀だ。まるで親から将来を嘱望された、有能で献身的な子供たちみたいに。だからコイツらは凄く行儀がいいし、失敗するということを知らない。
本当は僕がする必要があることなんて、ここには何もない。でも僕は毎日同じ手順で、同じ確認を行う。なぜなら、それが僕に与えられた作業だから。
僕は私室から管理棟に移動すると、昨日もそうしたように炉の状況をモニターで確認する。パラメータは全て基準値に収まっている。
この発電施設にある8つの炉は全て、第3世代型の高速増殖炉だ。これらの極めて安全で高性能な原子炉は、生物の持つ観念的な時間から捉えれば「無限」と同義と言っても良い単位の期間、無補給で電力を生成し続けることができる。
僕は椅子に掛けた分厚いオリーブドラブのオーバーコートを羽織るとモニタリング・ルームを出た。
「オルカはもう少し自分の体に気を遣った方がいいよ」
そう言って君がくれたコートだ。僕は凄く物持ちが良いし、君もそれに負けないくらい物を丁寧に扱うことに長けていた。お陰でこのコートは破けも擦り切れもせずに保っている。
僕は時刻を確認する。ちょうど正午を回ったところだ。
管理棟を出て、空を見上げた。昨日と同じく一面の灰色だ。
外気温は、比喩で表現するのではあれば「肌を切るような」と言ってよいと冷たさだと思う。
僕は4時間ほどの時間を掛けてゆっくりと炉を自分の足で巡り、この目で稼働状況を確認する。これは僕の本来の作業には含まれていない行程で、僕が自主的な判断で付け足したオプショナルなものだ。
それが終わってしまえば、僕にはただ孤独で、均等で、無意味な時間が横たわる。
「オルカは『意味があるか』を凄く気にするね」
「僕は、それは重要な要素だと思う。君にとっては重要ではない?」
「いや、そんなことはないんだけどね。でも、別に意味がなくてもいいかな、って思うことはたくさんあるよ、私には」
「僕には、それはとても理解しづらい」
「そっか、うーん……例えば、オルカにとってこの会話には意味はあるの?」
「君に、僕の作業について理解と同意を得るという意味があるよ」
「じゃあそれって必要なこと?」
「必要であると考えるね」
「……何で?」
君にそう訊かれた時、言葉が出てこなかった。
僕は何故かその問いに答えられなかった。
必要であるということは分かった。でも必要な理由は分からなかった。それってプロセスとしては奇妙なことだ。その頃から、僕はちょっとおかしかったのかもしれない。
でも君は、それは凄く自然なことなんだって言った。
「分からないこととか、意味のないことの方が、私たちには大事なんだよ、きっと」
そう言って笑った。
この施設は日々、何も変化しない。自動劣化復元システムによって、壊れることも衰えることもない。それらを直に見て、昨日と同じであることを確認する。このオプショナルな作業を遂行する時、僕はよく、無意味なことを考えるようになった。
――例えば、どうして僕たちはここに存在したのだろう、とか。
僕には富めるとか、貧しいとか、そういう事の持つ意味が正しく把握できない。
それは「貧富」という概念が理解できないのではない。どうしてそういうマイナス価値しか持たない差異を生み出してしまうのか、それがいくら考えてみても、僕には分からない。
ただ、君は間違いなく貧しい人だった。それは確かなことだ。だからこんな場所に住まなきゃならなかったんだろう。
その事実が、僕はたまらなく無意味に思える。
「あのね、もっと北の方では青い空がまだ見えるんだってさ、本当かな」
「それが正しいかどうか、判断できるだけの材料が無いよ」
「もう、オルカは分かってないなー」
「何が?」
「別に、本当に青空が見えるかどうかは大事じゃないんだよ」
僕には君が何を言おうとしているのかよく分からなかった。君は自分の言ったことの意味には触れず、こう僕に訊いた。
「オルカは、青空を見た事はある?」
「データとしての青空は保存されているよ」
「そっか」
「見る?」
「……いや、いいや」
そう言って、君は毎日色を変えない空を、少し懐かしそうな目で見上げた。
「一度で良いから見てみたかったな、青い色の空」
あの時、僕は嘘を吐いた。僕は知っていた。いや、正しくは記録されていた。
――もう、人間の見られる青い空は、この地上には無いんだって。
富める人はもうこの地球には一人もいなくて、皆、月に行ってしまったんだそうだ。月では空は黒く見えるのだという。僕たちは誰に認められるでもなく、誰に看取られるでもなく、無意味に置き去りにされた貧しい者だ。
この地球に、どれくらいの人が残っているんだろう。僕は考える。人は昔、地球は青かった、と言ったそうだ。今、月に住む人々が見る地球は、何色をしているのだろう。
その時だった。
僕の頭の中にアラートが響いた。視界に瞬時に施設内情報が表示される。僕の思考回路は施設全ての管理者権限に常時直結している。セキュリティ・システムにアクセスし更に詳細な情報を引き出す。
館内カメラの捉えた画像に、僕は息を吐いた。
――侵入者だ。やっと来てくれたのか。
これでやっと、僕の無意味を終わらせることができる。
これでやっと、君の敵を討つことができる。
侵入者はゲートを突破し、管理棟の方へ向かっているようだ。このまま行けば、すぐに僕と鉢合わせになるだろう。それを僕は待った。僕は待つことに慣れていた。それは僕が焦がれた時間の長さを思えば、刹那にも満たない時間だった。
一頻りして、僕の目の前に侵入者の一団が現れた。100体……いや、僕の生体センサーは後方にも無数の侵入者を捉えている。
彼らには言葉が通じない、それを分かった上で僕は言う。
「本当に、君たち生き物は無秩序で、無計画で、そういう所が困る……僕が君たちをどれだけ待ったと思っているんだ?」
虚ろに赤く光る双眸、人の形をした、ヒトならざる者。
放射線耐性生物。進化と呼ぶにはあまりに悲しい、この星に生存するということの末路。
一団が視界に僕を捉えた。先頭のそれが手を地に着いた。
一声。咆哮。
四足で地を砕き、弾き、恐るべき速度で僕に迫る。だが。
「……遅いな、お前」
所詮は生物だ。生身の人間からすれば遭遇は死と同義の彼ら放耐生物も、僕たちオートマタの戦闘能力には遥かに及ばない。
僕の体を構成する人工筋肉――電応型カーボンナノチューブ製アクチュエータが生み出したエネルギーは、「蹴り」という極めて原始的な攻撃の形を取って迫る侵入者の顔を直撃した。侵入者の顔は歪み、軋み、解け、破れた。
動かなくなった。排除終了。
それを見た奴らの中から、怒声が波のように広がる。
そうか、お前らも怒るのか、悲しむのか。
……無意味だ。無価値だ。
そうだ、それでいい。叫べ、嘆け、そうして。
――そうして僕を破壊しろ。
侵入者の群れが、一つの意志を成して、黒と赤の塊となって迫る。
「PDWS起動、迎撃開始」
僕の体に内蔵された個体防衛火器システムのロックを全解除し、フルオートモードで展開する。僕の保有する火力は、接近する敵性体の脅威に応じて最大効率で自動配分され、正確無比の命中精度をもって吐き出される。
僕は目の前で朽ちていくそれらを、ただ静かに見ていた。
エネルギーはすぐに尽きた。彼らはあまりに多かった。僕の体は噛み付かれ、食い千切られ、引き裂かれていく。
「土星って知ってる?」
「突然どうしたの? ……太陽系の第6惑星?」
「そう」
「見る?」
「うん、じゃあ見る」
僕は壁面に、ライブラリに登録された鮮明な土星の画像を投影する。君はただ一言「綺麗だよね」と言った。
「あの輪っかの間にある隙間」
「カッシーニの間隙」と僕は答えた。君は頷く。
「何もないように見えるけどね、あそこにも、ぐるぐる回っているものがあるんだって。誰にも気づかれないかもしれないけど」
それから溜め息を吐いて、君は寂しそうに言った。
「どうして、気付いてくれないんだろうね。私たち、ここに居るのにね」
……本当は分かっていた。君と過ごす時間だけが、僕にとって意味のあるものだったんだって。
ORK―34232。僕の機体番号。そんな僕に「オルカ」という名前を付けてくれた君だけが、僕にとって意味のあるものだったんだって。
視界をアラートが埋め尽くす。
――身体の損壊度が限界値を突破、命令の適切な実行に著しい困難を認める。
ああ……やっと「僕」が死んでくれた。これで、もう一つの作業を実行できる。
僕に与えられた命令は二つ。「主たる」命令はこの増殖炉の管理と運転、そして「主ではない」命令は、主たる命令を遂行できない場合の増殖炉の「適切な停止処理」。
もう、僕を監督していた人間は一人もいない。この発電施設に残っているのは僕だけだ。全ての権限は僕に委譲されている。
つまり「適切な停止処理」とは何か、という判断も僕の管理下にある。
君が死んだ時、僕はその方法を決めていた。
このカッシーニの間隙を、一瞬だけでいい、僕は照らそうと思う。この厚い灰色の空を破り、刹那の時だけでいい、知らしめようと思う。
月に住む富める者たちは見ているだろうか、気付くだろうか。
僕はこの発電施設の全ての炉を暴走させる。僕は時間を掛けて、この炉がいざと言う時に爆弾になるように準備してきた。
それが、オートマタとしての思考回路を故障し、意味と価値の判断基準を失った僕が延々と取り組んできた「オプショナルな作業」だ。
奴らの捕食行動で「目」が破壊されたらしい。何も見えない。そうか、これだけ時間を掛けて準備をしてきたのに、見られないのか。ちょっと残念だね。でも大丈夫だ、君がいなくなってから僕は想像することが上手くなった。夢だって見られるようになったくらいなんだ。
僕は毎晩君の夢を見たよ。それももう、終わりだ。
僕はこれから始まる光景を、仮想の目蓋の裏に想起する。
それは核の火だ、僕たちの住む永久の闇を破る原子の灯だ。
僕と君の全てを飲み込む、世界で最も儚く、悲しく、強く、そして美しい光だ。
「ねえ目を閉じて、オルカ……開けちゃだめだよ、ちゃんと、閉じていてね」
そう言った君の声を思い出して、僕の全ては機能を失っていく。
僕のメモリーに残された、最も幸せで、最も愛おしい記憶を、その炎は一瞬に、まるで写真のようにA環とB環に焼き付けて、それきり、あらゆるモノは存在することを止めた。
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