三題噺
阿部藍樹
嘘か誠か【青春・学園もの・約4500字】
お題
・淫乱
・美少女
・ストーブ
図書室の扉が開いた時、横目で、あ、水口だ、って思った。
アイロン焼けの地毛だと言い張る校則違反のブラウンのロングヘアーと、冬でも短い制服のスカートが揺れた。
……本なんて、読むことあるんだ。とだけ思って、僕は図書室の本ではなく、自分で持ち込んでいた文庫本に視線を戻した。そこからもう二度と視線を上げないつもりで。
「あ、坂井だ」
なのになぜか、わざとらしく水口は僕に話しかけてくる。「坂井」って言ったけど、名前を覚えられていることすら意外なくらいだ。一回だって呼ばれた記憶はない。
水口は毎日ずっと教室の真ん中にいて、人の中にいる。僕は毎日ずっと教室の端っこにいて、無人の机と椅子と、窓と空と本の中にいる。
それくらい、住む世界が違っている。
学校なんて狭っ苦しい場所で「住む世界」とか、大げさな事言うのは馬鹿丸出しで嫌だけど。それでもやっぱり、学校って空間の中じゃ、僕とは違う次元にいる人間だ、水口は。
「ねえ、何してんの?」
「……カウンター当番、図書委員だから」
仕方なく、ため息を吐き、視線を落としたままそう質問に答える。
「真面目―、さぼろうとか思わないの? どうせ誰も来ないでしょ?」
「……不真面目なつもりはない、さぼる予定もない、一日数人は来る」
必要最低限の返事。すると。
「変なの、機械みたい、あれ、ペッパー君的な?」
そう、げらげらと大声で笑う。
僕はたいていの人間が好きじゃない。その中でも、場所をわきまえない奴と人の邪魔をする奴が、特に嫌いだ。
僕には隠せない苛立ちに声を上げる。
「図書室では静かにしろって、小学校で習わなかっ……」
「人と話す時は相手の目を見ましょう、って小学校で習わなかった?」
そう話を遮られて、思わず顔を上げてしまった。
近……っ
目の前に、水口の顔がある。
彼女はカウンターに頬杖をついていて、想像以上の至近距離に僕は思わずのけぞってしまう。回転椅子の背もたれが、ギイ、と音を立てた。
「おお、やっとこっち見た」
思ったより、化粧っけないんだな、とか思って、僕は椅子を後ろに退いて距離を開ける。
「そんな警戒しなくてもいいじゃん、ほれ、よしよし」
「……何しに来たんだよ」
「私が図書室に来ちゃだめ?」
「別に、だめとは言ってない。でも、図書室は本を読む為の部屋だ」
「坂井をからかうための部屋じゃなくて?」
「……違う」
そう言って、もう話は終わりだと僕は文庫に視線を戻す。文字を追っているふりをする。
だけど、水口はカウンターの前から離れようとしない。
「ねえ」
「おい」
「おーい」
「もしもーし」
イジリと一緒だ。無視していればいずれ飽きる。飽きれば止める。馬鹿は単純な仕組みで動いている。こっちが根負けしなければだいじょ……
「うおおおおおおおおおおおいいいいい!!!!!!」
「だから騒ぐなって言ってるだろっ!!?」
「おお……びっくりした、そんなでっかい声も出るんだねえ」
そう水口はまたけらけらと笑う。大きくため息を吐いて、僕はもう一度尋ねる。
「だからさ……何でこんなとこに来たの?」
「本借りに来たんだよ、図書室だよ? バカなの?」
「嘘だ」
「どうして?」
「水口さんは本を読むタイプには見えない。僕の知る限り、図書室に来たこともない」
「……で、どうして?」
「で、って……」
僕は言葉に詰まる。水口は、当たり前のことのように更にこう訊く。
「それで、なんで私が本読まないってことになんの?」
……そう言われると、継ぐ言葉がない。僕の言葉を待っているらしい水口の顔を、ぼんやりと眺めることしかできない。
「ま、読まないんだけどねー、絵のない文字にアレルギーあるし。あと図書室来たことないのも正解、よく見てるね、さすが受付のペッパー君」
「ペッパー君じゃない」
やっぱ読まないのかよ。おまけにそんなアレルギーあるか。そう、心の中でだけ突っ込んでまた文庫本に目を落とす。今度こそ、もう顔を上げない、反応もしない、そういうつもりで。
……一頻りの時間。一人で静かに読んでいれば、3~4ページくらいは進んでいるくらい。
だけど、僕の視界の上端から、カウンターについた水口の肘が消えない。
そろそろ帰ったら、いい加減そう言おうと顔を上げた時。
「ね、そっち側行っていい?」
にこにこと笑う水口と目が合い、先にそう言われた。
吐き出すはずだった言葉を飲み込んで、仕方なく僕は訊き返す。
「……何で?」
「こっち、寒い」
そう言って、水口は僕の後ろを指差す。
「坂井の後ろ、ストーブあるじゃん」
「……ストーブだったら向こうのテーブル席の方にもあるよ」
「それは心が寒い。ほら私、人の近くにいないと死んじゃうから」
「そんなんで死なない。それにカウンターの中は図書委員以外入っちゃだめだって決まってる」
「じゃあ私今日だけ一日図書委員、ほら、一日署長とかあるじゃん」
「あのさ……」
そう反駁しようとした時には、もう水口はカウンター横の開閉部を押し上げて中に侵入していた。もう一席ある回転椅子に座ると「とう」と言いながら壁を蹴って、そのままガラガラと僕の椅子にぶつかった。
「……何?」
「もっとそっち行ってよ、寒いって言ったじゃん」
僕は息を吐いてカウンターの端まで移動しようとする。
「行き過ぎ」
「……はあ?」
「近くに人がいないと、私死んじゃう」
しかたなく、ほんの少し距離を詰める。
「もっと」
もう少し詰める。
「だからもっと」
……もう少し詰める。
「もう、めんどくさいやつだな」
そう言って、僕の椅子の背もたれをひっぱる。椅子同士がぶつかるところまで引き寄せて。
「これでよし」
なんてことを満足げに水口は言う。
……ほんと、何なんだよ、調子狂うな。
そう、心の中で悪態をついて、文字を眺める。
……調子が良いことなんて、生まれてこの方、有りやしないけど。
水口は何も言わず、僕が本を眺めているのを眺めているらしかった。
……文字が入ってこない。代わりに、落とした視界の中に、水口の膝頭が映り込んでいる。
「……僕を眺めてそんな面白い?」
「まあ、そこそこ?」
「……なんで僕なんかに話しかけるの?」
「私が坂井に話しかけちゃいけないって法律でもあんの?」
「無いけどさ……変だろ」
「何が?」
「水口さんは、僕に話しかけるようなタイプじゃない」
タイプ、タイプって、そういうの好きだね。そう言いながら、水口は僕に更に尋ねた。
「どうして、坂井に話しかけるようなやつじゃないって、私のこと決めつけるの? 理由は?」
「それは……」
「ほら、さっきみたいに言ってみたら?」
僕は言いよどむ。そうなるのが分かっていたみたいに、水口の方が先に口を開く。
「私が、男をとっかえひっかえの淫乱ビッチ美少女だって言われてるから?」
「…………」
僕は沈黙で答える。
……どっちにしろ、美少女は、自分で言うことじゃないとは思うけど。
「それとも、おじさんとホテルから出てきたって噂があるから?」
その言葉に、思わず僕は目を逸らした。
……そういうこと、さらっと言うなよな。
「ねえ、坂井はどう思う?」
「……何が?」
「私がおじさんとホテル行ったってやつ。ほんとの話だと思う? それとも噂?」
こういう時「噂だと思う」って言えたらいいんだろうな。とか、僕は思ってみるけど。
「知らないよ」
「えー、ちょっとは考えてくれてもいいじゃん」
「考えたって分からない。僕は水口さんじゃないんだから」
「つまんないなー、じゃあ質問変えよ」
そう言って、本に向けた僕の視界に、水口の顔が無理矢理割り込んでくる。
「じゃあ、ホテルの噂聞いて坂井はどう思った?」
「どうって……何が?」
「ほら、頼めば俺もヤらせてくれるかも、とか」
突然投げ込まれた言葉に、顔がかっと熱くなるのを感じる。
「思わないよ……」
「何で? 興味ない? 私じゃダメ?」
「……」
「もしかして……坂井ってホモ?」
「違うよ!!」
「じゃあ女の子が好き?」
「…………」
「私のことは?」
僕は、少し睨むようにして顔を上げた。水口は、ちょっとわくわくするような顔をしている。
「僕は人間全般好きじゃない……人って、めんどい」
ふうん……そう水口は呟いた。
「まあ、ホテルの話はただの噂なんだけどさ……私、処女だし」
「しょ……!?」
思わず口を突いてしまい、僕は、しまった、と思った。
「あ、やっぱり反応した、予想通り。また顔赤くなってるし」
そう、ひひひ、と笑う水口から逃げるように手元の文庫に視線を固定する。
「坂井って案外かわいいな」
「かわいくない」
「そう? かわいいよ、リアクション中学生みたいで」
「……」
もう、何言われても絶対反応しないからな。そう心に決めると、今度は水口がこんなことを呟いた。
「ま、それも嘘ですけど」
……それも嘘?
それも、って、どれだ?
指示語の元が気になる、読書家の性が妙にうずいてしまう。
「……それって、どれ?」
「ん、何の話?」
「どれが、嘘?」
ああ、そういうこと、そうにやりと笑って。
「さあ? どこからどこまで、何が嘘でしょうか?」
……訊いて損した。
「いい加減、飽きて帰ったら?」
「坂井って友達いないよね」
僕の話を全く無視して、水口は言う。
「いなきゃ悪いの?」
「別に、私もいないし」
水口の言葉に、僕は怪訝な表情を返す。
「何その顔、変?」
「だって……水口の周りにはいつも友達だらけだろ」
「たくさん本読んでる割に、坂井はニンゲンってものが全然わかってないね」
そう、小さく笑って水口は続けた。
「ああいうのは、友達って言わないんだよ」
「……そういうもの?」
「うん、そういうもの」
いつの間にか、窓の外は夕焼け色に変わっていた。そろそろカウンター当番も終わりの時間だ。今日は、結局水口以外は来なかったな。
「そろそろ、図書室閉める」
「うん」
そう素直に水口が返事をしたから、ちょっと驚いた。僕と水口は立ち上がる。水口はカウンターを上げて、受付から出た。
「ね、坂井」
水口が振り返る。さっきまでの僕をからかう顔じゃなくて、いや、その顔も、嘘なのかもしれないけれど。
振り返った水口の顔は、何も覆い隠していない、何も飾っていない、素の表情に見えた。
そしてその時だけは、ちょっと、本当に、多分。
水口は美少女なのかもしれないな、と思った。正直。
「まだ、なんかあるの?」
「私と坂井って、友達になれると思う?」
少しだけ考えて、僕は答えた。
「いや、全然無理」
「そこはなれるかも、って言っとけよ、かわいくないな」
「だから僕はかわいくない」
「いや、ごめん嘘、かわいいよ」
そう言って水口はまたけらけらと笑った。もう僕は、図書室では静かにしろ、とは言わなかった。
「でも、なれるかも、って言って欲しかったな」
「それも嘘?」
「さあ、どうでしょう?」
「どうでもいいけど」
「坂井、冷たいなあ」
「僕は冷たいよ、だから友達だっていない」
「そういうこと言ってんじゃないって……ほら、弱みを見せてる女の子はチャンスなんだよ、優しくしとけば」
「チャンスって?」
「童貞卒業できるかもしれない」
「どっ、はあ!?」
「どうせ童貞でしょ、坂井は」
「……さあ」
そういうと、また水口に笑われた。
「ばーか、嘘ばればれだから!! じゃまた明日ね―」
そう、後ろ手に手を振って水口は図書室を出ていった。
「……調子狂うよな、ほんと」
そう一人で呟いて、僕は壁に掛けられていた図書室の鍵を手に取った。
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