第四十四話・前 ≪ヴィクトリア・ルゥ・ガルシア≫
その日私は姫様から驚くべき話を聞かされた。
「そ、それは本気ですか!?」
「ええ、本気よ」
「し、しかし……」
迷い人を迎い入れるとの事だった。
「迷い人は貴重よ。知識も影響力も」
それは分かる。これまでの歴史で証明されているからだ。私自身、迷い人を迎え入れると言う姫様の意見には賛成だ。
だが、その迷い人に問題があるのだ。
「で、ですがその迷い人は……!」
「そうね、男よ」
「っ!?」
姫様にどこの馬の骨とも知れない男が近付く、そんな事が許されるはずがない。
「これは決定よ。よろしくね」
しかし姫様がそう決めている以上、私に否やは無かった。
その数日後。
「あぁ、グレンさん!」
「ヴィクトリア!止めなさい」
姫様に付き従いマフション商会を訪れていた私は、商会の応接室にて件の迷い人の男の胸を槍で貫いていた。
確かに顔は整っている。十人中九人は振り返るほどに。しかし、覇気が無い。言ってしまえば貧弱なのだ。それにわざわざ避けられる速度で槍を振るったにも拘らず、男は全く反応出来ていなかった。
そして、男の態度も気に入らない。妙な仮面を外さなかったり、ふざけたり、突然笑い出したり、そればかりか仕えるにあたって条件を出してきた。なんと不敬で、不快な男か。思わず槍が動いた。
「部下が失礼したわね。それで条件は?言ってみなさい。ヴィクトリア、舐めたものだったら殺していいわ」
一瞬何を言われたか分からなかった。殺していい?普段の姫様なら絶対言わない事だ。それだけ頭に来ているのか、それとも見極めようとしているのか。
男の出した条件は二つ。一つは奴隷の少女を一緒に引き取る事。姫様に説明するその口振りから、相当仲が良いのが窺える。大方、その見た目と良く回る口で誑し込んだのだろう。益々気に入らない。
そしてもう一つの条件を男が口にした時、私は怒りで目の前が真っ赤になった。気付けば私の槍は男の胸を貫いていた。致命傷にならない様にやや上部なのは、咄嗟に私の理性が働いたのか、それとも逸らされたのか。いや、目の前の男にそんな事が出来るとは思えない。やはり理性が働いたのだろう。
「いいえ、姫様。こればっかりは引けません」
暫し姫様と睨み合う。
この男は姫様の奴隷になるという事を理解していない。それがどういう事を引き起こすか。考えただけで、怒り支配されそうになり槍を握る手が震える。穂先が震え、男の傷を抉る。気にしないが。
「はぁ、分かったわ。好きになさい」
「ありがとうございます」
許可は貰った。いかにそれが我々の怒りを買い、姫様に迷惑を掛けるか教えるとしよう。
「では、こうしましょう」
何が気に障ったのか。痛みに呻きながらも、どこかへらっとした雰囲気で私の話を聞いていた男は、妙に引き締まった顔をして提案してきた。
それは最終的に、『三ヶ月以内に、流れる事が想定される不快な噂を無くす』というモノになった。
普通に考えれば、そんな事不可能に近い。ましてや、目の前の男は戦う事など出来無い筈で、何をするつもりなのか見当もつかん。
「貴様に稽古をつけてやる」
この男は事も有ろうか、上等な服を着て私の気を惹き、体を触らせて来たのだ。それを如何にも私が自分から触ったかのような風に振る舞うのだ。なんと下劣でハレンチな男か。
そこで私は稽古をつけてやることにした。思いがけず触ったこの男の体はそれなりに鍛えられていたが、見て分かる通り全く戦えない。だから稽古をつけるのだ。もしもの時には姫様の事を守る肉か……盾役として必要な事だ。
断じて、私の憂さ晴らしが出来るからとか、厳しく扱けば自ら出ていくだろう、などと言う思惑がある訳では無い。
「どうだった?」
「やはり全く戦えないようです。剣の持ち方すら知りませんでした。才能の方も全くと言っていい程ありません。魔力に関しても人並みの様です」
「……そう」
グレン・ヨザクラが陛下の元に連れていかれた後、稽古の事を詳しく報告する。
「孤児院での評判は良いものかと。たった一日ですが、シスターすら絆されているようです」
「なっ!?」
そんなクロエの報告に確信する。あの男は顔と口で女を渡り歩くタイプだ、と。ますます姫様の傍に置いておく訳にはいかなくなった。
「トリア」
いかにして追い出すか。その算段を頭の中で立てていると、姫様からいくつかの書類を渡される。
「これは……?」
聞いた事が無い内容の事が書かれている。フヨウド、とは一体何だ?
「グレンの知識の一部よ。これが本当ならサブリナの農産業には革命が起きるわ」
「っ!?」
サブリナは姫様の持つ領地で、領土こそ広いもののそれだけに問題が多い。氷山の一角とは言え、安定しない農産業に革新をもたらすほどの知識を有しているとは。
「彼を引き入れたのは英断だったかもしれないわね」
「っし、しかし!その知識が本当かどうかなんて……!」
「そうね。でも、口約束とは言え彼の命は三ヶ月よ?ここで嘘を吐く必要あるかしら?」
「そ、それは……」
それもそうだ。私ならその三ヶ月に出来るだけの事を全力で行い、結果を残す事に尽力する。
「私的には、彼の命は諦めていたのだけど。これはもしかしたら、もしかするかもしれないわよ」
「ぐっ……」
「クロエはどう思う?」
「性格に難はありますが、知識は馬鹿にならないかと。これの説明も筋が通っていましたので、やはり頭も相応にいいのでしょう。そこだけを見れば、素直に手放すのは惜しい人材かと」
ク、クロエまで認めるとは。
サブリナは姫様の目的の重要拠点だ。ここを円滑に治められるようになれば、大きな一歩となる。
グレン・ヨザクラは下劣で不敬で、ハレンチな男だ。今すぐにでも叩き出したい。しかし、もしかしたらあの男は姫様にとってなくてはならない人材なのかもしれない。
私はどうすればいいのか分からなくなってしまった。
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