第三十一話

 分かっている。たった二週間で人の事を理解できる事など少ないという事は。だが……


「聞こえなかったの?この鈍間」


 だが、これはいくら何でもありえんだろう。別人じゃないか。今まで強い意思を宿していた瞳は、がらりと変わり強い嗜虐性を宿している。また口元に浮かぶ微笑みも今までの穏やかなものでは無い。

 そして何より口が悪くなった。


「クロエ、お願い」

「はっ」


 気付けばクロエが背後に回り込んでいた。


「でっ!がっ!」


 膝カックンの要領で膝を折られ、強制土下座をさせられる。そのまま背中を強い力で押さえつけられるた。この感触は足で踏まれているようだ。

 勿論抵抗する。精一杯加減した全力の力で。


「あ、あれ?う、動かない?んーっ!あはは、そんなバカな。クロエさんちょっと重た過ぎぐぉぉぉ!」


 背中への圧力が増す。やはり冗談でも女性に体重の話題はタブーのようだ。


「ふふふふ。良いザマね」


 そこで寄って来た姫様の足が置かれる。俺に頭に。

 何なんだこの状況は。二人の美女に片や背中を、片や頭を踏まれている。その道の変態共なら喜びそうなシチュエーションだが、俺にそのケは全く無い。

 助けを求める意味で動かせない首の代わりに視線を周りのメイド達に配るが、彼女達は一様に顔を逸らしていた。

 ――ピシンッ


「それじゃあ、オシオキね?」

「へ?い、いや。あ、そんなっ。あ、ああああ――――っ!!!」






「くすん、くすん……」


 何か大事なものを失った気がする。

 何処からか取り出した乗馬用の鞭で、俺にあんな事やこんな事をする姫様の姿がフラッシュバックする。実に楽しそうな表情。トラウマになりそうだ。

 いずれ今日の事を笑って話せる日が来れば良いものだ。


「さて話を戻すわ」


 心なしか肌艶が良くなり、スッキリとした表情になった姫様。


「……」

「私は貴方の能力を気に入っているわ。でもグレンという人間は気に入らない。言葉は空っぽで嘘ばかり、慇懃無礼な態度で敬意の欠片も無い。そして何よりあなたを縛るものが無い」

「……奴隷契約ですか」


 今の俺は一応奴隷と言う立場だが、奴隷紋は消え去り契約内容は履行されない。つまり俺はいつでも去れるし、いつでも裏切れる。


「そう奴隷契約。契約内容である私に対して直接的にも間接的にも実害を与えない。これが今の貴方は破ることが出来るわ。この間は忠誠は要らないと言ったけど、撤回するわ。貴方は多彩過ぎる。そして自由過ぎる」

「だから忠誠を誓え、と」


 忠誠を誓う、か。人に仕える事が初めてな以上、それがどういう事か分からない。個人的にはYesマンと捉えているんだが、商会でのヴィクトリアの行動を考えるに必ずしもそう言う訳では無いのは分かる。

 姫様を気に入った。その瞳で見ているモノを見たいと思った。力を貸そうと思った。それだけじゃダメなのか?それともこれが忠誠か?

 分からん。全く分からん。忠誠とは何だ。


「トリアの槍に貫かれても動じず。試す為とは言え殺しても良い、と言われても動じず。農業だけでは無く産業においても知識を発揮し、商業においてもその才を見せる。出来ない事と言えば戦闘関係。余りに私にとって都合が良い存在。貴方は私達には理解不能で、野放しにするには危険だわ」

「……私は殿下を気に入っております。力を貸そうと思うくらいに。それではいけませんか?」

「それが上から目線なのよ。力を貸そうじゃなくて、力を貸したいて思ってこそ忠誠でしょう?」

「っ!」


 そうか。『気に入った。力を貸そう』どこから見ても上からだ。王様に誘われた日、確かに姫様のなかに『主』を見たが何処かでまだ見縊っている証拠だろう。さて何が足りないのか。

 考えても分からん。取り敢えず動くとしよう。

 指輪から手頃なナイフを取り出し、姫様に迫る。


「なにをっ……!?」

「がふっ!!」


 二、三歩進んだ所でクロエに後ろから腹を刺され、床に縫い付けられる。こうなる事は分かっていたから衝撃に備えるつもりだったのだが、クロエの気配の無い行動にやや反応が遅れ顔を打った。物凄く痛い。

 どうやら彼女は、殺気も気配も完全に殺した上で動けるようだ。見立て以上。暗殺面ではヴィクトリアより優れるか。まあ、俺なら完全に気付かせないけどな!


「殺気は無かったのでまだ殺しません。しかし、殺す気が無くとも姫様に剣を向けたのは事実。余計な動きを見せれば首を刎ねます」


 流石に首を刎ねられそうになったら躱すしかないよな。久しぶりに本気で演技ダマすとしよう。


「ぐっ…ぐふっ……で、殿下…ご覧の通り……私には殿下を殺す能力はありません……。ごほっごほっ……私には仕えるという事がどういう事か分からないっ……。願わくば……今はそれで納得を……っ!」


 嘘の中に真実を混ぜる。それだけで言葉に真実味が増す。


「……クロエ」

「……はっ」


 腹から剣が抜けていく。そう言えば彼女何処から剣を取り出したんだ?俺みたいな収納魔道具だろうか。


「ひとまずはそれで納得するわ。今のも不問にしてあげる。ただ覚悟なさい。トリアとの取り引き期限までに、貴方に忠誠を誓わせてみるわ」

「は……はい」

「誰かグレンの治癒を」

「い、いえ……それには及びません」


 指輪から魔法薬を取り出し、飲む。強い苦味が口に広がるが、嚥下すると身体に魔法薬が染み渡るのが分かる。腹の傷が治っていく。


「「「!!!」」」

「ち、ちょっと待ちなさい!」

「へ?」


 飲み干しながら触って傷の確認をしていると、姫様の焦った声が聞こえてきた。見れば信じられないものを見たような表情の姫様。クロエは相変わらずだが、周りのメイド達も驚愕に彩られている。


「貴方それ何か分かって飲んでるの!?」

「えっと、魔法薬では?」

「そんな事私にも分かっているわよ!!私が言いたいのは!それが!だって事よ!」


 ほへ?最高級魔法薬?


 …………最高級?

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