第三十話

 その香りは数多のスパイスによって作られ嗅覚を刺激するだけに留まらず、食欲をも刺激する。


「これは……!?」


 目の前の料理の放つ香りに姫様が目を見開く。

 今厨房に居るルフィーナ達も、完成する前からこの匂いに涎を垂らしていた。料理において第一印象は、見た目では無く香りで決まる事がある。目論見は成功したと言っていいだろう。


「カレー、と言う料理に御座います」


 『カレー』多種類のスパイスを併用し、食材に味付けをするインド料理。実際にはカレーと言う名称はイギリス由来のもので、インドでは種類ごとにいくつかの固有名詞が存在する。

 今回作ったのは、米が手に入らなかったのでルゥを使った日本人に馴染み深いものでは無く、硬めのパンを浸して食べられるスープカレーに近いものだ。米はやはり大和で作られているらしいが、完全国内消費で輸出などはしていないらしい。その事実を知った時、いつか必ず大和に行く事を密かに決心した。

 具材はシスターと共に八百屋のおばちゃんに揶揄われながら買った旬の野菜に、肉屋のおっさんの嫉妬による殺意に染まった視線を向けられながら買った、ワイルドボアとか言う猪型の魔獣の肉。

 この世界にも四季はあるが、暖期・猛暑期・寒期・間期で地球とは違う。今は暖期に移る短い間期で、寒期の間に栄養を蓄え甘みの増した野菜が採れる。また魔獣と言うとちょっと躊躇われるが、その実態は普通の動物が魔素・魔力により進化・変化したもの。つまりワイルドボアなる魔獣は、猪の上位種とでも思えばいい。その肉は普通の猪より格段に旨い。ちなみに魔物の肉も、食べられる肉とさらに途轍もなく美味い肉が存在するようだ。


「それじゃあ早速……」

「お待ち下さい、姫様」


 姫様がスプーンを手にした所で、傍にいた二人のメイドが待ったを掛ける。

 二人はそれぞれスプーンを手にすると、カレーに手を伸ばす。堂々とした盗み食いなんてことは無く、恐らく毒見。噂の銀のスプーンに魔道具のスプーン。どちらも毒に反応するらしい。

 二人は最終確認とでも言うようにカレーを自身の口に運ぶ。あのメイド服のやや膨らんだ所には解毒薬が入っているのだろう。


「「っ!!」」


 声にならない声を上げる二人。


「どうしたの!?もしかして毒?」


 いつも徹底して毒見役に徹しているであろう二人のいつもと違う反応に、姫様がまさかと声を上げる。

 この部屋に居るのは姫様とクロエ、毒見役のメイドに何かしらの世話をする数人のメイド。そして俺とその監視。クロエは彼女達の反応の理由が分かっているから無反応だが、それ以外の俺を除く全員が不穏な空気を漂わせ始める。

 ヴィクトリアが居なくてよかった。彼女ならこの時点で既に動いているはずだ。俺をボコボコにせん、と。ちなみに彼女は父オスカーに呼ばれ、王都にある実家の屋敷に帰っている。今頃メイドに頼み込んで運んでもらったカレーを食べて、悔しそうにしているに違いない。『くっ、悔しいっ。でも食べちゃう……!』みたいな感じで。


「い、いえ!毒なんかじゃありません!はい!」

「今まで食べたこと無いくらいにとても……あ、あとは姫様ご自身で」


 漂い始めた不穏な空気を振り払うかの様に、毒見役の二人が慌てたように弁明する。

 ふっふっふっふ。美味かっただろう。胸を張ってドヤ顔でもしておこう。もしかしたら俺を嵌める為に、知らない所で毒でも入れられたのかと少し焦ったのは内緒だ。


「そ、そう。では改めて……っ!?」


 カレーを一口、口に入れた姫様は驚きに目を見開くと黙々と食べ進め始めた。

 野菜野菜肉肉肉野菜肉パン浸吃驚!食事にがっつくのは王族として淑女としてどうなのかと思うが、それだけ美味しいという事だろう。作った側としてはただただ嬉しい。あっという間に皿がキレイになった。


「……美味しかったわ」

「ありがとうございます」

「カレーだったかしら。これは貴方の世界の料理においてどの位置付けなの?」

「……私の世界には貧富の差はあれど身分の差は殆どありません。言うなれば9割が庶民です。その庶民が余程貧しいとかでなければ、当たり前のように口に出来る料理です」

「!?……そう」


 マズい事でも言っただろうか。姫様も王族だからコース料理にすべきだったとか。分かるのはカレーとさっきの説明が何か姫様の琴線に触れたという事。

 そのまま姫様は何かを考え込んでしまった。

 そして、姫様が熟考に入って十数分。何かしらを決意した顔を向けてきた。


「褒美をあげるわ。欲しいものを言いなさい」

「褒美ですか?私は一応奴隷ですし必要ないのですが」


 褒美とは。十数分も褒美の事を考えていたのか。


「私は貴方の忠誠が欲しい」

「!?……忠誠ですか」

「だから今考えてみたけど思いつかなかったわ。自ら奴隷になるような貴方に地位は必要ない、でしょ?」

「……まあ」


 確かに。後々必要になるだろうからある程度の地位は欲しいが、少なくとも今は必要ないな。


「お金に関してもある程度持っている様だし、何かマフション商会と商談したのよね?こっそり。黙って」

「あははは。……すみません」


 黙ってたつもりは無いんだけどな。教える必要が無いと勝手に判断しただけで。どうせ監視とか付いてるし、本気で隠そうとしない限り耳に入るだろう。


「後は、女。だけど貴方はこれにも靡かないのでしょうね。二週間近くここに居て、誰一人そういう目で見られたと言う娘は居なかったわ」

「まあ、この美貌ですし。その気になればいくらでも女の子は寄って来ますからね!あっはっはっはっは」

「……いつも思ってたけど、貴方それほどカッコよくは無いわよ?」

「へ?いやいや、そんなまさか……」

「確かに顔は整っているけど弱そうだし、覇気は無いし。そのせいで幼く見えるし、女々しいし。寄って来ても馬鹿っぽい女だけじゃないのかしら」

「な、なんだと……!?」


 え、俺カッコよくないの?幼いころからカッコいいと、イケメンだと言われ思ってきたのだがまさかの勘違い?いや、姫様は俺の顔を整っていると評した。ってことは大丈夫。俺は美形だ。となるとこの世界のカッコいい男の条件は『顔が整っていて、強くて凄い奴』だという事か。

 あれ?本当の俺ってめちゃくちゃモテるんじゃないか?それこそ元の世界以上に。最近会ってないけどナンシーはある程度俺の事を知っているから惚れてくれてるんだし。最近積極的なシスターは顔だけで妥協したって所か?失礼に当たるから考えないようにしていたけど、彼女婚期を焦っているような気がするし。エルフだしやはり相当な年齢なのだろうか。

 兎に角、俺はカッコいいという事だな。フハハハハハ。


「……話を戻すわ」

「……はい」

「私には目的があるの。一生を懸けてでも実現させたい目的が。迷い人の報告があった時、狂喜に身が震えたわ。迷い人は何時だってこの世界に影響を及ぼしてきたから、必ず目的実現の糧となってくれると」

「……」

「たった二週間ではあるけども予想以上だったわ。貴方のお蔭でサブリナは大きく変わり始めてる。でもやはりそれはほんの一部。私の目的においてサブリナは、最重要拠点。分かってると思うけど今の貴方には見せられない事の方が多いわ。武力ではトリア達が居る。それ以外では貴方の力が欲しい。だから褒美をあげるわ。欲しい物を言いなさい。私に忠誠を誓ってくれるなら何だろうと用意するわ。私は貴方を手放す事だけは避けたい」


 やっぱりあったか目的。一生を懸けて、という事はそれだけ困難だと言う事。

 だから考え込んでいたのか。俺を縛り付けるには何が効果的なのか。そして思いつかなかったから直接問うた、と。

 確かに俺は姫様を気に入っている。もし今の立場を失っても、陰ながら力になろうと思うくらいには。だが、忠誠を誓える程ではない。だからこの問いには答えられない。


「……買い被り過ぎです。それに、姫様の直感通り私は嘘吐きですから」


 誤魔化し、話を逸らす。


「グレン」

「それに忠誠は物では買えませんよ。ヴィクトリアさんやクロエさん、カエデさんは褒美の為に忠誠を誓っている訳じゃないでしょう?」

「それは暗に忠誠を誓えるだけの器量を示せと私に言っているの?随分上から目線で言ってくれるじゃない」


 あれ?姫様の様子が……。

 青筋が浮かびピクピクしている。雰囲気が先程までとは全然違う。まるで被っていた猫を放り投げたような。


「跪きなさい」

「へ?」


 そこには初めて見るアリシア・フォン・カーネラが居た。

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