第九話

 気付けば全身を襲っていた鈍い痛みは、完全に引いていた。


「近寄るな変態!」


 振り回される杖を躱しながら近づく。


「避けるな!この!この!変態!」


 構わず近付いていく。


「それ以上近付けば風魔法をぶっ放すわよ!」


 ある程度近付くと、短く持った杖の先を俺に向けてきた。


「ほれ、ぎゅ~」

「え?んな!?」


 向けられた杖を掴み強めに引き寄せる。

 そして、体制を崩し倒れ込んできたナンシーを抱き締めた。


「~~っ!放せ~!」


 彼女の両腕の上から腰の辺りをホールドし、右足を股の間に差し込み動きを制限する。


「は~な~せ~!」

「ねぇ、ナンシー」


 必死にもがき、俺の拘束から逃れんとするナンシー。


「それ以上暴れるならキレイなお尻を揉み揉みしだくよ」


 そんな彼女にセクハラ宣言をぶっ込んだ。

 俺の手の位置は彼女の腰。少し下げるだけでお尻に手が届く。

 彼女もそれが分かったのだろう。ぴたりと動きを止め、鬼の形相で睨んでくる。


「一年半程前の事だ」


 静かになったところでゆっくり語り始める。

 ベルハルトも目を覚ましたようだ。頑丈だな。思ったより早い復活だ。


「俺は最愛の妻と死別した」

「え!?」

「「「!?」」」


 上手く興味は引けたようだ。


「突然の事でショックが大きくてな。半年間立ち直れず、ただ生ける屍と化していた」


 気付けば葬式を初め何もかもが、既に終わっていた。


「それから一年、仕事に明け暮れた。危険な仕事ばかりを中心に、余計な事を考えなくて済むように。妻の事を忘れたかったのか、死に場所を探していたのか、その両方か」


 自ら命を絶つことは出来なかった。両親は勿論だが、友人・知人にも屍の半年間を支えてもらった。そんな彼らへの感謝があったから。


「そして麒麟に負け、死を目前にしたあの時。確かにホッとした。ようやく死ねると。春香に会いに行けると」

「~~っでも、それは!?きゃっ!!」


 声を荒げたナンシーの尻を掴むと、かわいい悲鳴が上がる。

 彼女の言いたい事は分かる。


「そう、結局は『死』と言う楽な方に逃げようとしただけだ。両親の思いも、友人達の気遣いも、そしてなにより春香がそんなこと望んで無い事も、分かっていながら。それらすべてから逃げようとした。皆に助けられて今日目を覚ましてから何と言ったら良いのか、酔いが醒めたかのように頭がクリアになってな。その事に気付けた」


 まさしく酔っていたのだろう。愛する妻を失った悲劇のヒーローという役に。


「ナンシーさん!?」

「おいっナンシー!!やめろっ!グレンを殺す気か!」

「あんた等は黙ってなさい。……グレン私を抱き締め、おし、お尻をも、揉みながらその話をした理由を言いなさい。納得出来なかったら切り刻むわ」


 気付くと周りを風の魔法に囲まれていた。ベルハルト達の慌てようを見るに殺傷力が高いのだろう。カマイタチみたいなものなのだろうか。異世界魔法恐るべし。

 『お尻を揉む』を顔を真っ赤にしながら言っていた彼女は、その目に殺気を宿している。殺すつもりが有るのかまでは分からないが、下手をしたら確実に切り刻まれそうだ。

 とは言え俺の目的は最初から変わらない。彼女を笑顔にする事。オブラートから取り出して言えば、口説く事。

 今の話も同情を誘う為では無く、ただ彼女の気を引く為。魔法は予想外だが目論見は成功している。後は口説き落とすだけだ。

 俺は改めてナンシーと向き直った。

 抱き締めたままではあるが少し間を作り、至近距離ではあるものの互いの顔が見えるようにする。やはり美人さんだ。向こうも同じように思っていることだろう。


「ナンシーは俺の事嫌い?」

「……嫌いよ」

「嘘だね。拗ねてるだけだ」

「……」


 今もお尻掴んでるけど何も言われないし、この距離で笑顔を向けると頬を染めてくれる。

 チョロイな。ちょっと心配だ。


「俺はナンシーの事、結構好きだよ」


 人として。


「っ嘘よ」

「嘘じゃないさ」

「さっきまでの話は何だったのよ!奥さんの話は!」

「あれはナンシー達に助けられて、新たな一歩を踏み出す決心が出来ましたって話」

「それで私ってわけ?随分軽いのね、私軽い男は嫌いよ」


 彼女の瞳の温度がやや下がる。


「俺は軽い男じゃないよ。最低な男であることは自覚してるけど」

「どっちにしろ悪いじゃない!」


 ご尤もです。


「最後に麒麟と相対した時に、途中笑い掛けたのは情で絆す為だったんだよね」

「……は?」


 さらに温度が下がる。


「ぶっちゃけあの場で信用してたのは麒麟のみだ。もしこいつらが悪党ならこのまま連れ去られて、奴隷にするなり、実験材料にするなり酷い目に遭わされると警戒していた」

「お前あの状況でそんな事考えてたのかよ!?」


 そんなに驚く事だろうか。知らない人間を完全に信用するのは無理だろ。


「だから、唯一女性だったナンシーに微笑んだ。親譲りで顔は良いからね。気力も体力も限界だったから他に何も出来なかったけどそれで十分だった、でしょ?」


 ―――パァァンッ


「「っ!?」」


 乾いた音が響く。

 微笑むと同時に強引に振りほどかれ、彼女の右手が俺の頬を捉えた。躱すことも出来たが、そうしなかった。自分が悪いのは分かってるから。


「貴方本当に最低ね。……あの時私ドキドキしたし、少し嬉しかったのよ」


 ナンシーは泣いていた。でもこれで良い。俺達はゼロから始めるべきだ。


「俺も命が掛かっていたからね。折角助かるんなら、無駄にしたくなかった」

「放して」


 左手はまだ俺が掴んでいる。まだ終わっていないから。


「目が覚めた後、ベッドの傍で眠ってしまっているナンシーを見て後悔した。その時はもう気持ちに整理を付けていたから。しでかしたかも知れないと。―――だから今、全てぶち壊した」

「……?」

「本当はグレン君劇場の時にぶち壊す予定だったんだけど、思った以上にナンシーが優しくて上手くいかなかった」

「け、結局何が言いたいの?」


 優しいと言われて照れてるようだ。やはり何処かチョロイ。


「今の俺は素だ。つまり、今初めてナンシーと会ったと言っても過言じゃない。だからここから始めよう」

「ここから?」

「ああ、ここから新しい関係を始める。頭では一歩を踏み出す覚悟は決めたが、正直心がまだ追いついていない。だから傍で手助けしてほしい。好きになるなら、ナンシーみたいに凛々しくて美人な可愛い子が良いから」


 彼女の流す涙を親指で拭い、その顔を両手で包む。


「~~っ!」

「ダメか?」

「わ、私自分がここまでチョロイとは思わなかった。さっきまで貴方の事殺そうと思ってたのに、今物凄くドキドキしてる。私貴方の事す、す、好きになってるわ。卑怯よ」


 そう言う彼女の顔は真っ赤で、とても可愛いい。

 そんな彼女を男三人が、UMAでも見たかのような顔で見ているのが印象的だ。ベルハルトに至っては、顎が外れるんじゃないかというレベルで口が開いている。


「俺もナンシーが人として好きだ。これが今の俺の精一杯」

「いいわ。さっきまでの事は無かった事にしてあげる。亡くなった奥さんの事を忘れるくらい私にめりょめ、んんっメ、メロメロにしてあげるわ。覚悟することね!」

「ふふ、その時を楽しみにするよ」


 そう言って彼女の唇のすぐ横に口付ける。


「ん~~~~っ!」

「今はこれがげんぐへぁっ!」


 物凄い力で吹き飛ばされ、体が壁に叩きつけられた。その際見えたのは、杖をこちらに向け嘗て無いほど赤く染まったナンシーの姿。


「~っ!エッチ!変態!グレンのバカ~!」

「ゲホッ!グボッ!あべし!」


 彼女は俺に罵倒しながら魔法を撃ち出すと、部屋から出て行ってしまった。

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