ラディカ革命共和国衰亡記
@yamatoma
第1話 亡霊の呼び声
四輪の箱型の車が、自然には不似合いな金属の響くような高い音を立てて森中の舗道を走っていた。
馬が車を牽いていないところ、そしてその特殊な走行音からすると、近頃この国の上流階級に普及してきた無軌道型術動車という物であるようだった。外見としてはあまり洗練されておらず、地味な外見ではあったが、術動車はとても一般大衆には購入できるものではない以上、少なくとも上流階級の人間が中にいることは確かであって、実際、上流階級の人間が乗っていたのである。
この上流の人間というのは、赤く長い髪が目立つ、おそらく20歳後半の女性のことであった。この女は、有り体に言って、非常にだらしない格好をしていた。しばらく車中で寝ていたのか、長い髪はボサボサであり、胸元ははだけ、服は皺だらけであった。だがその容姿自体は大変優れていたものであった。上流階級で美人というと、近づき難いような顔立ちを想像する向きもあるかもしれないが、この女性の場合はむしろ親しみを覚えるタイプの、可愛げのある顔立ちをしていた。もっともそれは目が覚めたばかりの例の表情をしたいたからというのもあるかもしれない。
優れた容姿というと、運転手の方も同じであった。この運転手は女性よりももっと若く、20になるかならないかの、金色の髪色をした美青年であった。無表情であれば、まさしく人に神代のある美神を思わせる顔立ちであっただろう。身なりは女性の方とは違い大変きちんとしていた。
女の方は大きく体を伸ばすと出し抜けに前の金髪の運転手に話しかけた。
「おはよーエルネス。今どのへん?」
「ヴォリア森林区…あと二時間くらいですね」
「まだ二時間!ちゃんと飛ばしてる?」
「最高速ですよ。特殊仕様と言っても、スピードが出るわけではないので。文句言ってる暇があったら身支度を整えてください。」
「まだ二時間でしょ、そんな急くことはないわよ…全く、なんでこんなど田舎に来なきゃならないんだか。」
「そんなこと言っても執政閣下のご命令でしょう」
「あのおじいちゃんに物事頼まれて断れない人なんていないわよ。あのニコヤカな笑顔で。『ああ、アルカエンテさん。あなたがよろしければこの用事を引き受けてくれると、たいへん助かるのですが…』って」
「こらこら、国の英雄にたいしてモノマネは失礼ですよ」
「なーに、二人だけの会話でしょ。誰も聞いちゃいないわよ」
女の方、すなわち『アルカエンテ』は一呼吸おいて横の椅子に散らばっていた書類をおもむろに手に取り言った。
「今からその『聞き手』を探しに行くのだし」
エルネスは一瞬首をひねったが、言葉の意味は即座に理解したようであった。
「また『人さらい』でしたか。全くたまには出発する前に用件を言ってくださいよ。いつも着く直前なんですから」
「あんたなら言わなくても対応できるでしょ。」
「まあ…ところでどんな人物なんです。また孤児ですか」
「そういうことね。上が基金をくすねて、ってやつね」
「なるほど…って支度の手が止まってますよ。私は手が離せないんですから、いつもより早くしなきゃダメじゃないですか…おや、ちょっと失礼!」
金髪の運転手はそう言うと橋の手前で突然ブレーキを掛けた。あまりに急ブレーキだったのでアルカエンテの着ようとしていた服が前に吹き飛んでしまった。
「ちょっとちょっと、何してんのよ!私達が事故起こしたら術動車の信頼がまた落ちるどころじゃないわよ」
「いやご主人。ご厄介ですよ。橋の向こうで待ち伏せしているようです。機関部のエネルギーをオブドロイ、反術器の方に回します」
と、飛んできた服を後ろに手渡しつつなにやら右のダイヤルを思いっきりひねった。
「ん?ああ…なるほどね。やっぱりこっちの方は危ないわねー。ちゃんと軍用貰ってきて良かったわ」
「しかし軍用術動車に乗ってる人間にふっかけてくるってことは、まあそれなりに腕の立つ連中でしょうね。」
「なーに、こちとらアルカエンテ家の当主よ」
「こういうときだけ家の名を持ち出すご主人、嫌いじゃないですよ。…でも打って出るとすると、誰か一人は車を見張ってなきゃいけないですし、この森の中、相手がどれほどの戦力なのか分かりません。」
「うーん。でもなんで反術器回したら動けなくなるのかしらねー。軍用なのに攻撃用軽術器も付いてないし」
「神聖ど」
「あ、神聖同盟製ならって言うの禁止って乗る前に行ったでしょ。」
「しかしこれがポンコツなのも事実でして」
「誇り高き『新貴族』様達が傷つくわよ…でもなんか打開策考えないとねえ…オブドロイなら近接されなきゃしばらくは平気だろうけど、籠城して助けを求める訳にもこんな僻地じゃいかないしね…うーん…そういえば、あなたの二術器、風術系だったわよね?確か空を飛ぶことも出来たわね」
「いや…飛べるったって数秒、しかも人間一人だけですよ。」
「この術動車の機関になにか特殊なものが付いてなかったっけ」
「増幅器…なんか考えていることが分かりましたよ。無茶な考えが。」
「あらそう?一応説明するとね、反術器へのエネルギー供給を切ってその増幅エネルギーを全部あなたの二術器に回す!あなたは滑空術を使う!車は敵の頭上を飛んでいく!こういうわけね」
「んな無茶な」
「いやならやらなくても」
「分かりました分かりました。なんせ抗弁してもご主人の一度言ったことは覆った試しがないんですから!失敗したら私と心中ですからね、全く。」
ラディカ共和国首都ヴェナクから南西の、ハルデイナ王国とカシェフ・フェルスネリング神聖同盟に挟まれた位置にある小都市リデネイは、森林と山地に囲まれていることもあって古来より中央の影響が及びにくく、この国では珍しいことに土地貴族が近頃まで強大な権力を保持し続けていた。その土地貴族の家名をエネーラ家というのだが、ある政治的運動により、十数年前までこのエネーラ家の特権が全て拒否されていた時期があった。現在、特権はある程度回復されたものの、現当主バロネラはこの時期のことを非常に根に持っていて、二度と「父祖の地」を手放すことの無いよう汲々としており、少しでも家に仇なすような言動を行う民があれば、すぐさま罪を着せ、いずれはかつての特権を全て取り戻すことを目的としていた。しかし、それだけならば当時代の貴族にはよくいる、政府急進派の言う「反動家」である。バロネラの質の悪いところは、強欲だというところであった。つまり、ありとあらゆる手で自らの富を増やそうとするとしていたのである。これは宗教を権威のもととする『旧貴族』にとってはあまり褒められたことのない行為なのであるはずだが、バロネラから言わせれば、民衆が不信心者となってしまった現代であるから、しかたなくその愚民たちに権威を理解させるために、あくまで臨時の手段として金を集めているのであるということであった。とはいえ、まともに商業活動などを行うなどして蓄財を行っていれば言い分にも正当性は認められなくもなかったが、バロネラの場合、行政のために中央から与えられた予算をかすめ取るなどして財を蓄えていた。当然、この汚職のしわ寄せが被統治民にいくことになったのは言うまでもない。
そうした犠牲者の一人に、ラス・ビルケットという青年がいた。農家の家に生まれ、幼い頃に親をなくし親族の家に転がり込んだのだが、孤児を預かる家庭を支援するために設立された「オールザード基金」のおかげもあって歓迎された。衣食住は当然のこと、国によって設置された学校により十分な教育を受けることが出来たのである。ところがある日、支援金がぱったりと途絶えてしまった。親戚の家も急に冷淡になり、ラスは半ば追い出される形でこのエネーラ家に住み込みで働く羽目になったのである。それでも学校へ行く権利はあったはずなのだが、バロネラはこれを認めなかった。バロネラ曰く、平民に教育など必要はない、ということであった。
「おいラス!もうすぐ十五貴族様が来られるんだぞ!お前のような乞食が顔を見せて良い人ではないんだ。さっさと自分の部屋に引っ込め!」
「しかし、先程庭の掃除を命じたのはご主人で…」
「つべこべ言うな!トロいやつめ。またメシを減らされたいのか?さあとっとと失せろ!」
理不尽に叱咤され一瞬不快になったラスではあったが、自分の部屋に戻れるということで、嬉しい気分になった。貴重な読書時間が得られたからである。読書は、ラスの心の慰めであり、特に好きな本は「エファン伝」であった。エファン、歴史を創った男であり、この国の事実上の建国者である英雄であるエファンの言動を読むたびに、現在のラディカとあまりにかけ離れすぎていることにラスは毎回落胆するのであった。エファンやその腹心であったオールザードは、全ての人が貴族となれる社会を目指していたのではなかったか?今のフォラン執政閣下はかつてエファンと共に戦ってきたはずだが、そのことをどう思っているのだろうか?ラスは現実逃避、ロマンチックな夢想にひたるため本を開いたのに現状への不満ばかり頭に浮かんでくる自分を見て嫌気がさし始めた。寝ようかとも思ったが、急に呼び出しが有るとも限らない。少しでも遅れればぶん殴ってくるのがバロネラという男である。にわかにバロネラの使用人に対する怒号が激しくなり始めた。どうやら十五貴族がもうすぐやってくるようだ。
バロネラは国の指導部である十五貴族がやってくることを聞いて、出世の機会が巡ってきたと狂喜していた。なんとしても覚えをめでたくし、あわよくば中央の貴族界隈に仲間入りしたいと考えていたのだった。それで入ってきたのが自分の子くらいの娘だったときなどは、すぐに丸め込めるだろうと楽観的な気分となった。しかし考えてみれば十五貴族であることには変わりはない。それに身なりもこれ以上なく立派で、格式の高いものであったから、やはり一廉の人物に違いないとバロネラは思った。大抵の人間は、肩書と外見だけを見て人を判断するものだ。この場合においては、この判断は正しかったのだが。
「リデネイ区委任統治官、バロネラ・イル・エネーラです。この度はお目にかかれて大変光栄です。」
「国家行政委員、ミルステーネ・セラ・アルカエンテです。若輩者で驚いたでしょう」
随分冷徹なトーンの自己紹介であったから、バロネラはいきなりうろたえてしまった。どうやらあまりいい話ではなさそうだ、と彼が思ったのは、やましいことが山ほどあることと無関係ではなかっただろう。
「いやいやそんな。おっと、取り敢えずお茶ですな…おいテアネ!…あ、これは失礼…テアネ、お茶はまだですかな…お客人を待たせてはなりませんぞ」
「ごゆっくり。急ぎではありませんので」
お茶が運ばれると、バロネラは明らかな作り笑いをして話を切り出した。
「ところでどうですかな。我がリデネイは。」
「我が?」
「失礼。執政閣下に賜りしリデネイと言うべきでした。私としたことがとんだ不敬をば。」
「いや、フォラン執政に土地を誰か個人に土地を与えるなどの権限はございません。」
「うん?…なるほど、『委ねられた』ですな。いやいや最近の言葉は難しくて。…わはは!」
バロネラは気まずさから、お茶を飲むふりをして間をとった。
(やれやれ…こんな男と長々話したくないけど、エルネスが話をつけるまでは気を引いておかないと)
アルカエンテはそのようなうんざりした思いとは裏腹にほとんど表情も声色も変えず淡々と話を続けた。
「ともかく、バロネラ統治官、本日私は公務でこのリデネイ区に赴いたわけです。すなわち、監査です。根拠法としては、統治区法26条であり…区単位においても本来は監査局員ではなくてこの私、行政委員が行うものとされており…この度は…」
「ラスさん、いらっしゃるんでしょう。ドアを開けていただけませんか」
一瞬ビクリとしたが、バロネラの野太い声と違って若い男の声であった。この屋敷で若い男といえば自分だけだし、どこかの農家の息子がこんなところに急に入ってるわけでもなし、警戒して答えに戸惑った。
「ああ突然すいません。私は第十三位執政委員を務めるミルステーネ・セラ・アルカエンテの使用人、エルネス・ストールと言います。はい、時間もないんでドア開けますよ、っと」
制止する間もなく、その帽子をかぶった金髪の青年は部屋に入るなり話を続けた。
「貴族の従者ですから、一応地位としてはあなたと同じというわけですね。…待遇はずいぶん違いそうですが」
「お、手に持っているのは『エファン伝』ですね。随分古そうですが。しかしやはり話は本当だったわけだ。」
一気にまくしたてられ唖然としていたラスであったが、気を取り直して
「なんです?こんな召使いに…主人ならば応接室に…」
と、当然の質問をした。明らかに普通ではない客に、普通すぎる疑問をぶつけたものだと言葉を発しながらラスは思った。
「いやいや、迷子ではないんですから。単刀直入に言いますが、ラスさん、現状に不満がお有りじゃないですか?」
「ないことはないですが…」
ラスは言葉をバロネラに聞かれないよう、極限まで小さくして発した。日常からぶたれていると、人間というものは目がないところでもそういった加害者に対して萎縮してしまうのである。
「あるに決まっていますよ!そうでなきゃ提供者はクビだ!」
「提供者?」
「ああ、情報提供者です。つまり、スパイですよ。スパイというと語弊があるが、実際そうなんだから仕方がない。それも執政閣下直属の。正式にはヴァセリテというのですが」
案の定、異常な話が出てきて、ラスは背中に冷や汗を感じてきていた。
「そんなこと、軽々しく」
「良いんです良いんです。なんせあなたもその仲間に入れてあげようって話なんですから!」
「つまり、こういうことですか。この家に潜み、バロネラとその周辺の情報を―」
我ながら一瞬でよくこういう優れた考察が出来たものだと感心したラスであったが、
「そうじゃない!」
と、即座に否定され落胆した。しかし話としてはもっと大きいものであった。
「こういう話です。すなわち、全国を、いや外国にも行くかもしれませんが、実際に執政閣下と副帝国のためにこの地を駆け巡る、そういう仕事をしてほしいんです。私のようにね。」
ラスは頭が痛くなってきたが、なんとかして言葉を返した。
「分かりませんよ。なんで私なんです?相応しい人間は他にいくらでもいる。私なんて二術器はもちろんのこと、軽術器すらロクに扱えない一平民じゃないですか?それも乞食同然の地位なんだ。そんな男、敵に情報を売ってトンズラしてしまいそうですよ。」
エルネスはだんだんと面倒な気分になってきた。そもそもの話、なんでこんな前交渉が必要なのだろうか?なんでも主人曰く、いかなる場合においても、どのような人間にも、選択肢は与えなければならないということであったが、幼馴染の主人とはいえ、こういう妙に形式主義的な所は昔からよくわからなかった。身よりもないような孤児など、有無を言わさず車に乗せ、後で説得すればいいではないか。エルネスは大体せっかちな男だと自覚していたから、さっさと話を決めたくなってきた。
「まあまあ、取り敢えず首都に行ってみませんか?それで執政閣下に直接会ってみればいい。そうすれば納得できますよ。なぜあなたが選ばれたのか。」
「執政閣下に初っ端から会えると?あの『革命の蒼き貴公子』フォラン閣下にですか!いやいやそうじゃないだろう…しかし…スパイってことは命の危険だって…」
『蒼き貴公子』でなにか背中がむず痒くなったエルネスは、そのむず痒さを取り除こうと
「まあ、なんでしょう。こういう話をしたからには…」
と取り敢えず声を発した。
「分かってますよ。もう私に選択肢はないんでしょう」
エルネスはまずいことを言ってしまった、と思った。
「そんなことはありません、それは誓います。ですがスパイですから、非常な危険な仕事であることも事実です。」
エルネスはここで一呼吸おいた。事前に用意しておいた文句を、ここで発するべきだと思ったのだ。
「…しかしラスさん、このままじゃ一生こういう生活ですよ?」
ラス・ビルケットがロマンチストであることは分かっていたから、そういう男にはこういう言葉が一番効くだろうとエルネスは考えたのである。実際、この言葉はラスに響いた。ラスは、悩むふりをした。これほど重大なことである、一応そういうふりだけはしなければならないと思ったのだ。しかし心中のところは決まっていた。何しろ一生奴隷のような惨めな暮らしから抜け出せ、しかも憧れていた人々とお近づきになれるかもしれないのだ。そのような幸運に恵まれる人物が社会にどれほどいるのか?と。
「分かりました。首都に向かいましょう。」
「おお!いやあ話が分かりますな。うんうんよかったよかった。さて、そろそろ向こうもうまくまとまった頃かな…少し失礼」
エルネスは言うなりさっさと部屋を出てしまった。ラスはそこで、混乱した頭を整理しようとしたが、大して時間を待たず次の来客があった。バロネラだった。いつも用がある際は大声で呼びつけるのが習慣であったからラスは少し驚いた。
「ラス、ちょっと来い。」
明らかに尋常ではない様子だった。汗まみれだったし、顔は真っ赤だったのだ(もっともバロネラは肥満体であったから、いつもこういう所はあったのだが今日はとびきりであった)。
「相談なんだがな。このあとなにか話があるかもしれん…お前は怒るかもしれんが、まあ我慢してくれ。ちゃんとその分は償ってやるからな。いや、本当だ…なんなら前金をだな」
「わけもわからないままお金なんて受け取れませんよ」
「それもそうだがな」
どうやら『十五貴族様』よりなにか良からぬことを言われたようだった。
「バロネラ統治官、ご主人がお待ちです。できれば早くしていただけると…」
さきほどの青年の声だった。
「申し訳ない!すぐに向かいますので」
バロネラは明らかに焦っていた。ポケットからなにか紙を取り出し署名するとラスに手渡そうとしたが、ラスは断固拒否した。バロネラは観念して応接間に向かい、ラスもその後を付けた。
「いや、お待たせしました。これがラス・ビルケットです。ほらラス、十五貴族様、ではなく行政委員様だぞ、挨拶を」
「ラス・ビルケットです。この度はお目通りをお許し頂き誠にありがたく存じます」
と、ラスが今までの「しつけ」に従いひざまずこうとするのを静止するかのように十五貴族が声を出した。
「国家行政委員、ミルステーネ・セラ・アルカエンテです。」
「か、閣下、その、アルカエンテ家の方がこのような…下のものに名を名乗るなど…」
「なんです?エネーラさん、今は王国時代ではないのですよ?もしやエファン皇帝陛下の理想をお忘れになったのではないでしょうね?」
「いや、その、へへへ、おっしゃる通りで。全く何を言っているのですかね、私めは」
その『行政委員様』はほとんど表情を変えなかったが、小さくため息を付いていたのをラスは見逃さなかった。
「ラスさん、突然こんなことを申し上げるのは恐縮なのですが(バロネラはここでまた何か言おうとした)、私とともに首都に来てくださりませんか?要件としては、あなたが救貧法第十九条に基づく支援を適切に受け取っていないことについての調査のためです。もちろん、拒否しても構いません。その場合はこちらが独自で調査を進め、しかるべき時期に適切な補償金をあなたに与えるでしょう。」
はて、とラスが思った。しかしこれは口実であることはすぐに理解した。それと同時にバロネラが支援金をくすねていたのがはっきりし、怒りが湧いた。
「分かりました。」
「随分と早い返答で」
バロネラは完全に慌てふためいていた。
「そうだぞラス。首都は遠い、それに最近は野盗の類も多いというしな。支援金の件だって、何かの間違いかもしれん。例えば中央の手違いとか…いや…この発言は無かったことに…まあなんだ、ここで調査の結果を待つのも悪くはなかろう。」
「申し訳ありません。しかしなにしろ十五貴族様に一度返答したことですので、翻せません。貴き人には返事は一度、主人の言い付けではないですか」
「な、こ、この…」
「ふふふ…おっと失礼。ではラスさん、早速出発しますよ。準備を整えたら門のところまで来てください。」
「了解しました。」
準備している間、奴隷のような立場から開放されホッとする気と、脅しのことを思い出し不安な気持ちが入れ代わり立ち代わる、極めて不安定な感情に襲われた。しかしその不安定な感情の中に、自分の人生が動き出した思いが核としてあることにラスは気づいた。ここから、自身の人生が始まるのである。先にどんなことがあるかは分からない。しかし進んでいくしかなくなったのだと。考えてみれば、「スパイ」などになってしまえば、少なくとも自由とは言い難いわけで、自身の人生を生きることは難しいはずであるが、とにかくラスはそういう気分になったのである。
私物など数少ない粗末な服と数冊の本のみであったから、準備はすぐに終わった。『エファン伝』は万一『野盗の類』に襲われなくなってしまわないよう、服の中に大切にしまいこんでいた。
門に出ると、一台の「術動車」とエルネス、そして無理やり穏やかな顔をを保とうとして滑稽な顔になっているバロネラが立っていた。
「おお、ラスさん準備はもう終わったのですか!早いですね!もうちょっとゆっくり準備してもよいものを!」
「いやいや、そんなわけは」
「荷物は?これだけですか。なるほどこれなら早いのも納得だ。席はどちらが良いですか?一応『慣習』では前ですがね。後ろにはご主人がいらっしゃるので。ご主人はどちらでも良いようですがね」
「では、前でお願いします。」
「いや後ろに来なさい。話もしたいですしね。」
後ろで小さく同盟人の家族旅行でもあるまいに、などとぼそぼそ言っていたバロネラの愚痴が聞こえていたのかどうかはわからないが、一呼吸おいて。
「もちろん、調査に関わる話ですよ」
と聞くと全く押し黙ってしまった。エルネスは側を向いていたが、明らかに笑っているようだったが、しばらくしてラスに顔を向けた。
「というわけです。後ろにお乗りなさい。私は寂しく前で運転していますので」
「では、失礼」
ドアを開けると、当然なのだが赤く長い髪を持つ女貴族が座っていた。ラスにとっては驚いたことに、屋敷では全く見せなかった笑みを見せ、これまた先程までとは違った声のトーンで手を差し出しこう言った。
「ようこそ。これからよろしくね。」
ラスはためらいがちにその差し出された手を握り
「よろしく…お願いします」
と呟くようにいった。その光景を見て取ると運転手、エルネスが
「準備は良いですか?では、出発!」
と声を上げ、金属を叩いたような高音が響き渡ったかと思うと、術動車は再び走り始めていた。
ラディカ革命共和国衰亡記 @yamatoma
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