第一話 ひとめぼれ
季節は春。花は咲き、人は出会いと別れに一喜一憂し、心新たに門出に立つ人もいるだろう。
転校生としてこの高校に来たあの日の俺も新入生、新社会人的な心持ちだった、と言えば到底嘘になる。
新しい土地、新しい出会いがあるという状況は同じでも、転校というのはだいたい経緯が違う。自分自身の選択ではないからだ。
俺は喜んで転校の選択を受け入れたわけじゃない。むしろ、その天命を恨んだくらいだ。自分の居場所なんてどこにもないくせに。
それは春が芽吹き始めた二月の終わりのことだった。
「ご両親が交通事故に遭ったそうなんです」
教師の悲痛な表情が作り物であるように思えた。けれど、そんなことはどうでもよいことだった。
病院に着いた時には、二人の鼓動は既に静止していた。
夕に染まる病院の中で俺は一人佇み、どうして悲しいはずなのに涙の一つも零れないのだろうかと、手の甲を抓っていた。
両親は葬儀屋を営んでいて、子供の頃から葬儀を何度も見てきた。変に場数を踏んだせいなのか、人の死に慣れてしまったのだろうか。
見ず知らずの誰かの命が幾つよりも、大切な肉親の命一つの重みには敵わない。
心も頭もそんなことは分かっていても、俺という人間は薄情極まりなかった。
俺はそんな自分が嫌いだ。
両親を亡くすような不幸に出会う前にも、自分自身がどうしようもなく嫌いだったことには変わりなかったけれど。
親戚に当たる叔父や伯母等の近い親戚ではなく、名前も聞いたことのないような遠い親戚のおじさんの所へ引っ越すことになり、東から西へ新幹線と鈍行を乗り継いで約6時間半、辿り着いたのは
俺を迎え入れてくれたお爺さん、
そう思うと、気になりはするけれど、聞きはしなかった。
「遠慮せず、何でも言ってくれりゃぁ、いいけんのー」
何を考えているのか分からないけれど、人が好さそうな小さな笑みでおじさんは言った。
「はい。ありがとうございます」
身長172cm程度の俺よりは低いおじさんにしっかり深々とお辞儀した。
引っ越してきて一度だけ、お世話になる教師の方々に挨拶しに学校を訪れたことがあった。
県立月夜見高等学校の門をくぐり、俺を迎え入れてくれた教師は20代の若い教師だった。
「まぁ、お前の事情は聞いてる。そのことに関しちゃ、俺が深掘りする必要なんて何もねーから、聞きやしない」
「あ、ありがとうございます」
初対面でこれだけラフな教師は向こうの学校には一人としていなかったから、少し圧倒された。こっちみたいな田舎にはモンスターペアレントはいないのか?
「あぁ、自己紹介がまだだったな。
椋……。
「その顔、言いたいことは分かるさ」
「分かります?」
「まぁ、そりゃあ、お前の事情は知っておかなきゃなんないからな」
うんうん、と軽く頭を上下する仕草を見せて先生は続けた。
「お前が世話になってる椋仁ノ助は俺の爺さんに当たる人だ。父の父だ。つまりは、俺とお前も親戚同士になる」
「そう、だったんですね」
「あぁ。心底どうでもいいだろうが、そういうことだ。敬え」
わっはっは、と先生は台本のセリフをそのまま読んだような笑いをした。
「あははは」
俺も適当に愛想笑いを返した。
頑張れとか、サポートしてやるとか、上から目線でものを言ってこないことに、少し居心地の良さを感じた。
それは先生なりの気遣いなのだろうか。天然でやっているのだろうか。
田舎の人間は心が広いという解釈に今はしておくことにした。
「んで、お前だけにネタ晴らししておいてやるが、3日後の新学期からお前の担任は俺だ。まぁ、だからこうやって事前に面談してるんだがな」
「そう、ですよね」
「あぁ。だから、お前は新学期に他のみんなが抱える不安や期待といったものが一切ないという悲しい状況にあるってわけだ」
わっはっは。
また、特徴的な笑いをする。
「一切ないってわけじゃないですよ。転校生なんですから」
気持ち的にはどれだけ平静を保とうと心掛けても、一抹の不安くらい覚える。
「そりゃそうか。すまんすまん。まぁ、気楽にやってこうや。人生はまだ長いんだぜ、少年」
わっはっは。
「あははは」
それから、新学期最初の登校日。始業式の日がやって来て、そこで俺は出会うことになる。「恋」という気持ちを初めて抱いた女の子に。
在校生より少しだけ遅く登校して来るように言われていた俺は、生徒が全員教室へ入り、所々漏れてくる教師の声や生徒の笑い声だけの静寂が包む閑散とした校内にいた。
遅刻したわけではないのに、少し居た堪れない気分になった。
上履きに履き替え、昇降口の先へ進もうとした時だった。俺の視界を横切り通り過ぎる人影があった。
それはごく自然な視線誘導だった。
目の前を横切る何か、いや、あれは靡く髪が視界に入ったからだろうか。
長い黒髪の女の子なんて、こと「学校」という空間なら多くいる。けれど、彼女は違った。普通の黒髪じゃない。
素人目から見ても、その髪の艶めき、毛先の繊細さ、歩いて揺れても纏まり続ける柔らかさがはっきりと分かった。あれ程美しい髪を保つ為には相当な努力か、専門の人の手が必要に違いない。
一目惚れだった。
後ろ姿しか見ていなかったのに。
それ程惹きつけられる後ろ姿だった。
俺は今まで、他人に好感を抱くことなんてなかった。それなのに、ただ一目、ただ後ろ姿を見ただけなのに、「恋」という感情に出会った。
あぁ。あの人はきっととても綺麗な人なんだろう。
後ろ姿が、揺れる黒髪が、すらりと伸びて人の身体を支えるには不十分にも見える細い脚が、彼女の美しさを伝えた。
その日から俺がこの学校に来る理由が新たに一つできた。
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