逃げ道を探せ!

仁藤 世音

少女と小さな十字路

♡♡♡♡♡♡


 さぁ! あたしはね、十字路の交差する中心にいるの! 綺麗な正方形ね。

 高いレンガに囲まれた、人が1人通り抜けられる道が90度回転するごとに出てくるの。天井は真っ黒! あたしを不安にしゃしぇたいの!? 地面は硬くて足踏みすると、コツコツカツカツ。

 音はあるの、さっきからずーっとね! 音っていうか音楽! あたしこれ知ってるの、フランツ・リストの「ら かんぱねら」よ! おピアノの弾むようなリズムが大好きなの!なんだかちょっとだけ違うみたいだけど、まぁいいや。


 あたしはね、ここから逃げたいの。孤独さびしいって嫌なものよ? いつからここにいるのか分からないんだけど、ここにいたらあたしの命って無いも同然だもの。


♡♡♡♡♡


 目の前の道を仮にAとするわ。他の道も時計回りにBCDね。どの道も地面にペイントがしてあるの。

 Aは手前から交互に黄黒黄黒。まるで蜂みたいね。ここを進んだら毒針でも飛び出しゅのかしら……。あんまり見ていたくないわ。


 Bは縦に三分割されて、右から赤・白・緑にペイントされてるわ。う~ん? イタリア? 「に死す」、はは、あたし見たことないわ。「あたし、に死す」、ふふ、言ってみたかっただけ。でもこれが真っ先に浮かぶなんて、縁起が悪いわぁ。あ、でもレンガ壁にベル? みたいなのが点々とついてるわ。おしゃれね!


 Cは手前から横に区切られて緑・白・赤、・白・……。Bと気持ち似てるわね。ナニコレ? あたしの知識は貧困で、これが何かを導けないわ! この模様、どこまで続いてるのかしら? この先に行ったら何か食べ物がある気がする。でも、あたしの直感って当たらないのよねぇ。


 D、Dはどうなの!? 天井と同じで真っ黒。あ、待って。下に何か置いてある。小っちゃいわぁ、しゃがまないと見えない。白い紙になんか書いてある、え~っと? 

「悪魔に魂を売っただなんて、そんなのあるわけがない。私の……も無視して、全くやつらこそ悪魔に違いないのだ」

???

 あたし、これで何が言いたいのか全く分からない。このかすれて読めない一部が読めたら分かるのかな?


♡♡♡♡


 どうしようかしら。私が進むべき道が見えない。相変わらず「La Campanella」は流れ続けてるわ。

 これって、行って帰ってこれるかしら? 行ってみようかな? だって、行かなきゃ始まらないじゃない?

 ええっと、A……はなんだか一番安心感がないわね。よし! Cにしよう。数字に示せばCって3でしょ? 少なくとも私にとってはそうよ。だってCはアルファベットで3番目だも~ん。2は嫌。一番の次って感じが、なんだか悔しいの。だからこそ、3よ!

 行くわよ、緑・白・赤のC道にレッツGOだぜ!


♡♡♡


 あの路で私は何度「Holy Shit!」と叫んだだろう。まるで寿命が縮んでようだ。あの路は……。もう少し早くことの重大性に気づいていれば……。なんで私はあんなにも無邪気でいられたんだろう?


 Cを歩いていたら、突然体中が痙攣した。そうかと思えば、川の濁流のごとく水が押し寄せ私をさらうのだ。その次には熱波、灼かれるかと思った。その熱波で良かったのは、ずぶ濡れだった私の髪や衣服が乾いた、ということ。ある意味新手の風呂だわ。……う~む、どうにも洗濯機というほうが近しいと、思える。

 これは荒手すぎて私の心はむしろ汚れを増したと、ぁあ、だれかこの心を洗ってください……


 でもそれより、ささやきの方が辛かったのよ! 知らない言語でね、それも一つじゃない、多種の言語があった。それがずーーっと私の耳元で何かを囁くの。私は堪らず走った。耳を塞いでわき目もふらず。とにかく走った。でもそれは止むことはない。路も終わらない。緑と白と赤色の地面がひたすらに繰り返すあの無常。

 やがてそれは悲痛な嘆きに変わった。お札を投げて遊んでいる子供が見えたわ。あぁ、お嬢ちゃん! それはね、チリ紙じゃないの。なんでそんなことをしたのかしら? 目の前で見てて、なぜ父親は止めないの?

 

 それでもね、とうとう終わりが来たと思った。どこまでも続いてた路の先に何か見えたから。カーテンみたいだった。とっても鈍い銀色だった。私は期待を込めてそれを開けようとした。この先に光があって、人がいて、私の孤独と理不尽な時間は終わるんだって!

 でも、そうはならなかった。私の指先が触れると、カーテンはサラサラと崩れていった。途端に歓喜の声が聞えてきた。笑顔、嗚咽。私の気持ちが分かる? その崩れたカーテンの先は、……元居たこじんまりした十字路だったのよ? 私の、…………私の絶望が………………そんなに嬉しいの?

 

 私が十字路が交差する場所に戻ると、その声は止んだわ。完全に止んだ。相変わらずここには「La Campanella」が流れてるのね。大好きな曲なのに、嫌いになりそうだわ。


♡♡


 わしの心は、もう折れていた。まだCの道しか、試していないのに、怖くて、他の道に踏み出せない。現実とは、これのことだ。

 普通なら、わしはこの状況の趣旨を、知るはずだろう。

 普通なら、行くべき道へのヒントが、示されるはずだろう。

 

       普通なら、わしはここにいないだろう。


 ヒントはDの白い紙のメモ。それとこの音楽。そう、こんな単純なことに、ようやく気付いたのは、Cの道から戻ってからだ。不意にこの十字路にいたあの時から、まだ2時間も経っていないはずなのに、どうしてこうも体が重いのだろう。答えが分かっているからこそ、わしは気付かない振りをした。


 もう時間がない。悪あがきの一つくらいしないと、ただの老いぼれのまま終わってしまうわな。折れた心を再接合。踏ん張るんじゃ、希望を捨ててはいかんのじゃ。そこらのヘタレ野郎とは一線を画す、


そんな私でありたいじゃない!



 ヒントはDのメモ、音楽、道のペイント。Cは外れだ。私が身を以て証明した。音楽「La Campanella」。これはフランツ・リストの曲。彼の国籍はハンガリー、少なくとも心はハンガリーだ。ここに来てすぐはそんなこと間違いなく知らなかった。ヒントは、自分の知識は時間と共にノロノロ更新されていたのだ。驚くのは後だ。

 そしてCの床はハンガリー国旗を意識したものに違いない。しかし、ここは外れだった。なぜか?

 よく曲に耳を傾けた。これは、これは確かに「La Campanella」だ。しかし最初からあった漠然とした違和感。それはこれがピアノではないということ。私はこの曲を元からピアノ曲として知っていたのだ。だから弦楽器で奏でられるこれに違和感があったのだ。曲としても結構違うというのに、幼い私から老いぼれの私になってしまうまでの間、ずっと聞き続けたせいで、これがリストの曲ではないと気づけなかった。


 これはパガニーニの「La Campanella」だ。


 あのメモは死んだパガニーニのメモだろうか? 分からない。私はパガニーニをほとんど名前しか

 なんでもいい、そういうことにしておく。今ならなんでもこじつけてやる。整合性など知ったことか。この空間で物の合理化がとれないことは、むしろ合理的だ。

 で、あるならば。あのメモの先に、Dの道に行ったら? そこは死者の国? 精神を囚われる? パガニーニの世界? どうにしろ悪い予感がする。私の直感、今なら当たるはずだ。生命を賭けて直感を働かせているのだから。

 Aの道はどうだ? ないだろう。あの蜂のような警告色は、議論にすら値しない。

 

 Bだ。Bに違いない。「Campanella」とは鐘のことだ。何語かは……。レンガ壁のベルは鐘をイメージしている、きっとそうなのだ。あとは地面のイタリアンカラー。パガニーニがイタリア人かどうか知っていたら確信が得られるが、知らないものは仕方ない。「ヴェネツィアに死す」、そんな良いタイトルが思い浮かんでいたじゃない。少なくともヴェネツィアに行けるんだったら、それは私の勝利。

 私は意を決して懸命に歩き出した。力がかなり弱っている。しかし懸命に歩いた。今度は何も妨害してくるものはない。

 突然、レンガ壁のベルが一斉に鳴り響いた!

「な、何!?」

もう、勘弁してくれという表情を私は浮かべて、地面に倒れこんだ。


<♡>


「リーナ! リーナ!!」

 むぅ~、なぁにお母さん。あたしが目をこすりながら目を開けると、お母さんが私を優しく抱きかかえていました。潮の香りがします、シャワーンって波の音も。ここは海なのね。


「あぁ……リーナ! 良かった、心配したんだから!」

 お母さんも目をこすったほうがいいよ。そんなに泣いちゃ、前が見えないよ? あ、お父さんも泣いてる。一体みんなしてどうしたのかな?

「リーナ、どうしてこんなところに……いや2日間もどこにいたんだい?」

「えぇ? む~ん、あたし分かんない。でもね、ずーっと『かんぱねら』聴いてた気がするよ」

 お父さんは涙を流しながら首を傾げました。泣きながら困るの? 変なの。思わず笑っちゃった!

「あなた、そんなことはいいでしょ。ほら見て、リーナが笑ってる!」

「あぁ、また笑ってるリーナに会えて、本当に……良かった……」

また泣いちゃった。お父さんは泣き虫さんね。


「最近、色んなところで起きてるっていう神隠しに、リーナも攫われたんじゃないかって……。もうあなたを離さないからね、リーナ!」

お母さん、そんなに強く抱きしめたら苦しいよ! でも、ちょっと嬉しいな!

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