第57話 誓いのコブラ
宮廷に戻る頃にはすっかり日が暮れていた。
あのまま離れにいても自分的には良かったのだが、明日には正式に魔法管轄処の筆頭として席を置くことになる。
前筆頭のハインと事前に連絡を取りたかった。
ハインが持ってきた書類に目を通す。
現在、魔法管轄処に在任している魔法使いや魔導師達の身上書である。
「魔法使いが十九名に魔導師が二名か……最近辞めた人が多くない? 魔法使いが十名に魔導師が三名も辞めてる……待遇の改正でもあった?」
ロジオンの問いにハインは鼻を掻く。
「私を崇拝していた者達ですよ。ロジオン様との決闘で破れた後、失望して一気に辞めたんです」
ああ、とロジオンから返事をする。
「じゃあ……残っているのは、派閥に興味がない者達?」
「いえ……そうでもないです。崇拝していた者も半分は残っていますし、私の後釜を狙う者もいます。……正直に言いますと魔法管轄処は今、荒れています」
「まあ……僕が怪我をしている時も一人、奇襲しに来たしね」
「──申し訳ございません」
うーん、と唸りながら身上書に目を通すロジオンにハインは改めて謝罪した。
書類から目を離し、ハインを見上げる。
「荒れさせた原因を作ったのは私です。私は辞職しなければならないと思っていますが、少しでも改善してからと思いながらも、なかなか良い方向に進んでいかなくて……ロジオン様の手伝いをして、魔法管轄処が纏まりましたら辞職をするつもりです」
頭を下げてじっと動かないハインに、ロジオンは頭を上げるように告げる。
「結構きつい状況だよね……ハインにとっては。色々と陰口されていない?」
「言われて当然ですから……。受け入れております」
筆頭として猛威を奮い、他の管轄まで影響を与えていたのに、ひょっこりと現れた魔法が使える王子にあっさり負け、その上、負けた王子の後ろについて今度はおべっかを奮っている──残ったハインの親衛隊達は、今度は蔑み命令など聞き入れないのだろう。
魔法を扱う者達にとっては、強い弱いが一番の重要な点だが……
(宮廷に仕えている以上は、それじゃあいけない)
考えの改善も必要だと感じた。
「随分と変わったよね……良い男になったと言われない?」
ロジオンの台詞にハインは、しまりの無い顔を見せた。
「いやあ! わかりますう?! エマの励ましのお陰で前向きになれるんですよ! 彼女がいなければ今頃荒んでいて、ここにはいませんからねえ!」
「あ……そっ……」
いきなり白けたロジオンだ。
「明日、顔合わせしてみて……幾つかの案の中から考えてみます」
「はい」
出来るだけ身上書に目を通したいと──ハインを下がらせる。
それを待っていたかのように、扉を叩く音にロジオンは顔を扉に向けた。
「失礼します」
小麦色の肌に絹糸のような金の髪──。
「アデラ……?!」
◇◇◇◇
ツカツカと快活な足音をたて、アデラは近付いてきた。
ロジオンの前で止まると、きっちりとした角度を作りお辞儀をする。
「アデラ・ビアス、休暇から只今戻りました」
「……明日に来ても良かったのに……」
ロジオンの言葉にアデラは、
「病人扱いされてしまい、返って休めなくて……早々と戻ってきたのです」
と肩を竦めながら言った。
いつもと変わらないアデラの様子に、宮廷に戻ってきて真っ先に自分の所に挨拶に来たのだろうとロジオンは思った。
だから
「僕の方は良いよ……陛下と第二王妃に挨拶の方は済ませてある?」
と尋ねる。
「はい」
そう普通に返事を返すアデラにロジオンは、暗示が効いているのだと思った。
一つ咳払いしてロジオンは畏まりアデラと向き合う。
「話しは聞いている?」
「はい」
「そう言うわけだから……明日からは仕官に戻るか、特殊部隊の方へ行くか……君の好きなように」
「では、特殊部隊の方で」
「うん」
かけた暗示は
『自分への想い』
霞みがかかったようにして、自分に対しての想いが感情を支配しないよう暗示をかけた。
いずれは暗示が解けるだろうが、その頃には時間と共に想いは希薄になっているだろう。
彼女の能力は未知数だが、そのままそっとしておいた方が良い──そう思った。
「明日から特殊部隊の訓練に参加しますので、ロジオン様にずっと付き従うことが出来なくなりますから早めに従者を見つけてください」
「……え……?」
たっぷりと沈黙が続いた。
最初に口を開いたのはロジオンだ。
勿論『失敗』の文字を頭に浮かべ、冷や汗を掻きながら。
「僕は従者の任を解くように、陛下や第二王妃にお願いをしたはず……」
「はい、言われました。だから『従者』は辞めて『護衛』に新たに任命されたのです」
「何だって……?」
ロジオンの力が抜けた。倒れるように椅子の背もたれに身体を預ける。
暗示をかけた意味がない──。
(第一、従者と護衛って言い換えただけじゃないか……)
額を押さえ溜息を付いているロジオンを見てアデラは、
「髪留め──お持ちじゃないですか?」
と徐に尋ねてきた。
「そうだった……預かったままだったね」
少し落ち着いたロジオンは胸ポケットから髪留めを出し、執務机にそっと置く。
髪留めから手を離そうとした瞬間、アデラが手を合わせてきた。
髪留めの上でアデラの手がロジオンの手を塞ぐ──逃がすまいと。
左腕を自分の腰に当て、前屈みでロジオンをじっと見つめる。
うっすらと笑みを浮かべながら。
留めていない髪が邪魔なのか、片側を耳にかけて。
いつもと違う彼女の様子がどこか艶っぽくて、ロジオンの胸の鼓動が激しく波打ち出す。
「──嘘、言いましたね?」
「えっ……?」
「忠誠の証の口付け」
「──」
黙りこくり視線をそらすロジオンに、アデラは更に畳み掛ける。
「私に何をしたんですか?」
「特に何も……」
「嘘おっしゃい。何かの暗示でしょう?」
再び視線が重なった。
にこり、とアデラの微笑みが深くなる。
いつもより大人の女に見えるのは、普段付けていない口紅のせいか。
笑みと共に細くなった緑の瞳の輝きが、妙に艶やかだ。
更に顔を近付けてくる彼女から、ロジオンは目を離せなくなってしまった。
「これでもアサシンとしての教育は受けております。暗示系には耐性がありますから」
「う……」
「暗示を掛ける途中で気を失ってしまえば、完全に掛かりません。元に戻るにはなかなか苦労しますけど」
──しくじった。
ロジオンの微かな呟きがアデラに聞こえた。
「私を遠ざけたいようですが、そうは行きませんよ。第二王妃様に護衛の他に、新たに任された務めもありますから」
「……何?」
嫌な予感にロジオンの片眉が上がる。
「『躾』です」
「──し、躾って……!」
「ロジオン様は、親御様やご兄弟様がいない場所では、非常にお行儀がよろしくありませんよね? その事をご報告申し上げた所『普段の生活の改善且つ、衛生の管理を本人に意識させる』──つまり、王室らしからぬどころか常人並みさえも逸した、だらしなさを何とかして欲しい──と言うことです」
「……普通だと思うけど……」
ぽそりと答えたが、あまり自信がない。
「躾の件は、新しい従者とも話し合わなくてはなりませんので。お早めに決めてください──それと!」
いきなりの厳しい口調にロジオンはたじろぐ
「かこつけてイヤらしい行為も、更生して頂きますから。忠誠の誓いの時の口付けとか」
「あれは……私服の代金代わりかな……」
「生憎ですが、私服の代金は私の給金から差し引くよう頼んであります。ロジオン様が払ったのは配送の代金のみですので」
「……通りで安いと思っ──?!」
「ロジオン様」
ぐい、と顎を引き寄せられ、ロジオンは驚きに声さえ上げられずにいた。
ロジオンの顎を掴むアデラの指が、ちくりと刺さる。
「お尋ねしますが、今までも、私以外にあのように騙して女性達の唇を奪っては、暗示で操作して無かったことにしていたのですか?」
「無いよ!……アデラが初めて」
ロジオンはふるふると首を振り、否定する。
「嘘は言ってませんね?」
「言ってない」
「誓えますか?」
「誓える」
うんうんと頷くロジオンにアデラは、
「──では、嘘か真か分かる、私の『誓いのコブラ』を受けて頂きましょうか」
と挑戦的な眼差しを向けた。
「『コブラ』……? 蛇』? の『誓い』?」
「私の祖母の亡国に伝わりし魔法です。嘘なら毒蛇が現れ、相手を毒で狂い死にさせるのです」
ロジオンは胡散臭そうに眉を寄せる。
「魔法は……魔力がないと無理だ」
「祖母に教えてもらった魔法は、誰でも使える特別なものです。だからこそ恐ろしいものなので、ロジオン様にはお教えしませんでした」
「……」
アデラの性格からしたら、からかっているとは思えない。
ここまでするとしたら、この威圧的な微笑みの裏は、かなり立腹していると間違いない。
生唾を飲み込んだ。
「自分が言ったことが真なら、お受けできるでしょう? それとも、やはり過去にもこのように騙しては女性に悪戯をして忘れさせたのですか?」
──唇から悪戯をしたと言う、更に悪どいことをした事になっているのは何故なんだ?
自分が性犯罪者にされそうだ──それはあんまりじゃないか。
「……受けるよ。『誓いのコブラ』……僕自身の名誉もかけて」
アデラは艶やかに笑うと、ロジオンの顎から手を離した。
「では──」
そのまますぐにロジオンの両頬に手を当て──彼の唇に自分の唇を合わせた。
目を見開き固まるロジオンに、アデラは一度離れ、
「目を瞑ってください」
と促す。
ゆっくり瞳を閉じ、また唇が重なる。
卓越しの口付けでお互いきつい体勢だが、気にはならなかった。
何度か角度を変え、唇を這わせを繰り返し、ゆっくりと惜しみながら離れた。
「誓いの口付けです。祖母の亡国では口付けは『コブラ』と呼ばれるのです」
「……」
「嘘ではないようですね」
乱れた髪を耳の後ろにかけながら、にこりと笑う。
──では、明日からまたよろしくお願いします。
と去っていくアデラの後ろ姿を見送り、扉が閉まると同時、ロジオンは椅子にへたりこんだ。
ずりりと尻がずれ、足が投げ出された格好で座る。
顔を何度か擦る。熱かった。
「……師匠が言ってたな」
『女性は神秘の宝庫、探求し続けても分からない事が増えてくる』
「正しいよ……確かに」
まさかのアデラの逆襲に、ロジオンは呆然としながら熱くなった顔を冷ましていた。
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