第56話 彼女の髪留め
更に話し合いは続けられた。
父陛下とディリオン兄の要望で、魔法管轄処の見直しをすべく、ロジオンが宮廷筆頭の魔法使いに正式に任命された。
離れの方はどうするか? 尋ねられ、ロジオンは引き続き住みたいと申し出た。
あの辺りなら、化け物化したコンラートが木々をなぎ倒し開けているし、魔力を扱う者が奇襲をかけに来ても対処できる。
「出来るだけ損害は少ない方が良いでしょうし……少々考えがあるので」
宮廷に被害が起こるよりは確かに、と、了承された。
「それと……僕は結婚はしないつもりです。勿論、婚約も……」
魔力を扱う者は、古から比べたら短くなったが、それでも魔力を持たない者と比べると、二倍から四倍長い。
しかも、絶頂期を迎えると成長も止まる。
王家筋の貴族や有力者や富豪などから、見合い話が来るだろう──ほとんどが、魔力を扱わない者達だ。只人と共に歳を取り、歩いてはいけない。
「相手の方が辛くなるだけですから……」
「中には魔法使いや魔導師の娘を持つ者もいるだろう? ──そう言う相手では嫌なのか? 魔力を持つが使わずにいる者もいるし」
アリオンが推してみるが、ロジオンはゆるゆると首を振った。
「魔力を扱えて……それで成長が止まったり、寿命が伸びるとか言う付加が発生するようです。ただ……持っているだけでは駄目でしょう。──それと、中には確かに魔法を使う方がいるでしょうが……例え、お互い気に入っても結婚しようとか、どうしようとか……考えないと思います」
魔法を扱う者の特性と言うべきか──無いものから有るものへ、又、有るものから無いものへ変化させることを日頃から見ているせいか形に拘らない者が多い。
好きあっても、結婚とか形にして考えない──
「有力者や富豪の娘さんとお付き合いだなんてしたら……色々、問題が出てきますから、まず遠慮しておきたいです」
「──それは結婚に結び付かない恋愛はします、と言っているようなものですよ、ロジオン」
その台詞に母妃は、溜息混じりに小言を吐いた。
「そうだねえ……これからは浮き世話ばかりが耳に入ってきそうだ」
父陛下まで応戦してきたので、ロジオンは苦笑いをしながら「しませんよ」と首を振ったが、義兄二人の更なる突っ込みが入り焦る。
「師匠であるコンラートは、大層ご盛んだっと聞いている。それを見てきているお前が反面教師で習っていると良いが……そうでもないようだしなあ」
「な、何を根拠に……?」
「従者だよ、お前に付けた。ようやく受け入れた護衛かと思ったら──お前ときたら!」
アリオンの指摘にロジオンは、またゆっくりと頭を振る。
「師匠の件で協力をして貰っただけです。僕の予見はそう当たらないのですが、彼女が解決の糸口を持つと出たので」
「手は出していないのか?」
「はい」
「手は出していないけど、他は出したとかじゃないだろうね?」
「はい……」
二人の義兄の絶妙な突っ込みに、白状しそうになるが回避した。
──最後くらい役得があっても良いじゃないか──
ロジオンは胸の内でそう囁いた。
「優秀な方ですが、これから先のことを考えると……。魔力を扱える者の方を付き人にお願いしたいのですが」
「アデラを宮廷の仕官に戻すと?」
母妃がロジオンに問いた。元々、母妃が推した仕官だったなと思い出す。
「はい、彼女にはこの件で随分世話になりましたが……。只人ではやはり、魔力を扱う者達の前では心もとない……」
「そう……残念ねえ……」
「彼女には礼と……それなりの好待遇をお願いします」
眉尻を下げ、さも心残りな顔をする母妃にロジオンは頭を下げる。
「新しい従者はどうする? あと離れに戻るなら、身の回りの世話をする者も必要だろう」
「魔法管轄処で探してみます。適した者がいなかったら募集するか、協会に相談するかで……」
ディリオンの問いにロジオンはそう答えた。
「だけどねえ……」
母妃は尚も不満そうにロジオンに詰め寄った。
「彼女、納得するかしら? 責任感の強い人だから、突然従者を外されたら納得いかないと思うのよ」
「で、しょうね……」
ロジオンは薄笑いを浮かべ瞳を閉じた。
「でも……それは問題なく了承すると思います」
ロジオンの含みのあるその言い方に、ディリオンは心配になって更に問い詰める。
「やはり、何かしでかしたのか?」
「あだめいたことではないですよ……」
権力を利用して、何か彼女にトラウマになるようなことをしたのだろうか、と考えたのだろう──ロジオンは自分の頭に人差し指を当てながら言った。
「ちょっとした暗示を掛けただけです。素直に納得するようにと……」
「……そうか」
「そうです」
ロジオンは微笑を讃える。
親しくなった彼女を思って彼なりに下した決断なのだと皆、口にしなくても分かった。
「彼女の身体能力には舌を巻きました。望むなら、特殊な部隊に復帰させてもよろしいかと」
「分かった。伝えておこう」
それで話を締めくくった。
◇◇◇◇
部屋に戻ると明かりは灯されていて、暖炉に火があり部屋が暖かかった。
さりげなく部屋着も用意されていて、扉の側には侍女二人が、かしこまって控えている。
一人が一歩前に進み、ロジオンに
「お風呂のご用意はいかがなさいますか?」
と尋ねてくる。
んー、とロジオンは小首を傾げちょっと考えて「いらない」と答えた。
お着替えを、ともう一人の侍女と当たり前のように近付いてきたのでロジオンは慌てながら
「あとは自分でやるよ」
と断り、詰め寄る侍女二人を強引に下がってもらった。
溜息を付きながら、下着以外の全てを脱ぎ捨てる。
水差しの水をたらいに注ぎ、布を湿らせ手足や顔を拭いた。
最後に髪に付いた整髪料を落とすように、布で髪をこする。少し癖のある髪は、無造作にあちこちの方向にはねた。
「疲れた……」
片付けは後で良いやと、のろのろと寝台まで歩いて行く途中、何かを踏んだ。
先程まで自分が着ていた服だ。
「──あ」
それが何かを悟ったロジオンは、慌ててズボンのポケットに手を入れ取り出す。
髪留め──アデラのだ。
飾りも彫りも何も入っていないシンプルな長方形の髪留めは、頭に沿うように緩やかなカーブを付けて作られている。
(彼女らしいな)
アデラの姿を思いだすと、自然笑みが溢れる。
昨日、どうしても髪を下ろした姿を見たくて外した。
「……少し、痛めちゃったかな……?」
裏返すと留める部分が少し広がってしまったように見える。
留め金を嵌めてみると、やはり、ずれている。
「あー……直さないと」
工具は離れにある。
明日取りに行こう、ロジオンは呟くと髪留めを持ったまま寝台に潜り込み──あっと言う間に深い眠りに入った。
◇◇◇◇
午前中は、昨日と同じくダンスとフルートの練習だった。
結婚しない宣言をしたのに、何故やらなくてはいけないのか? ──母妃に物言いをつけたら
「交際はしない、とは言ってないわよね? それに、下に妹達が控えているのだから、良き練習台になってもらわないと」
と、かわされた。
(ダンスならコサックだってヨサコイだって良いじゃないか)
母妃の言うダンスは、勿論そんな種類ではないが。
昼過ぎにようやく時間が空いてロジオンは、離れに出向くことができたのだ。
離れを前に立つと、やはり嬉しさに浮き足たつ。かれこれもう一月以上留守にしていた。
中に入ろうと扉に近付いてまず驚いた。
勝手に開けられないように、扉の取っ手を鎖でぐるぐる巻きにされていたのだ。
(アデラだ……)
魔法で施錠されていたから、閉める時にはもう施錠されないと思ったのだろう。
(そんなありがちなことやりませんって)
見ただけでキツく縛られていると分かる鎖に、ロジオンは人差し指を置く。
あっと言う間にその部分が熱を帯び赤くなる。粘土状に溶け、地面に落ちた。
「手癖が悪いと言われそう……」
苦笑いしながら呟いた。
中へ入ると真っ先に向かったのは温室であった。
時間で水が放出される道具を天井に取り付けて入るが、薬草の中には細かい手入れが必要な種類もある。一つ一つ点検し、駄目になったものは取り除いた。
それから薬棚の確認。
危険な物は魔法施錠した棚に入れてあるが、万が一だ。
「あー……分析の途中で変色しちゃってるよ……」
ああだこうだとぶつぶつ独り言を呟きながら、薬棚の点検をした。
あらかた作業が終わると、ロジオンは工具を持ってきて作業台に髪留めを置く。
踏んだ際に留める部分が広がってしまったので、ペンチで直した。
「……ふーん」
そう言えば女性用の装飾品を、こんなにまじまじと見たのは初めてだ──ロジオンは色々な角度から髪留めを見る。
あまり光沢の無い樹脂のバレッタ。
派手にならないような物を選んでいる所が、彼女の性格が偲ばれる。
どちらかと言えば派手な顔立ちで目立つが、性格は至って控えめだ。
謹厳実直で、きりりと引き締まる眉に、それにみ合う理知的な瞳。
絹糸のような金の髪はサラサラと流れた。
エルズバーグでは乳白色の肌が人気で美女定義の一つに上げられているが、小麦色の肌だって健康的で良い。
日に照らされると黄金に輝く肌は、金の髪によく似合った。
──改めて、彼女が好きなんだと感じた──
髪留めに口付けを落とす。
「……彼女の助けとなれよ」
バレッタに守りの呪文を託して──。
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