第55話 保留
「ロジオン」
母妃が、地図をじっと見つめ動こうとしない息子の肩に優しく触れる。
誰にともなくロジオンは語り出した。
「この角の一つを守るために、エクロースは建国された。精密に計算され、創られた魔法陣の中を、集められた魔力が巡り、魔承師が足りない魔力を補うのに使う。特に五つの角は重要性がある……。各角の頂点がお互いの均衡がとれるよう調整をしあいながら巡る。──だけど……」
自分のすぐ側で肩に触れる母妃に顔を向けた。同じブルーグレイの瞳が絡む。
慈愛と、責任を課せる罪悪感が混じる母の瞳は、憂いを帯び鈍く瞬いていた。
反してロジオンは、冴えざえとした輝きを瞳に瞬かせる。
「極端な閉鎖思考に近親婚は確実に人を減らし……魔力も減らした。エクロースが国として中枢にいた頃はまだ良かった……戦で負け、エルズバーグに吸収されるまでは……。人は自然、中枢に集まる。魔法使いや魔導師は……この宮廷に集いだした。時も過ぎればエクロースの重要性など忘れてしまう……そうでしょう?」
「……そうね。中核に、人が生きるのに必要な物があると思ってしまうのよ」
「寂れていけば行くほど……各頂点の不均衡が目立ち出し、他の頂点に負荷がかかりだした……。──それで母上の父君は決断をした……」
うん、と父陛下が頷きながらロジオンと話し出した。
「その通りだよ。まるで見てきた様に話すね」
「魔法に関わる事柄なら……大体予想がつきます」
淡々とした感情の籠もらない話し方は全てを見透かしているようで、どこかぞっとする──ディリオンはそう思った。
魔力を扱う者──特に魔導師に、こう言う類いが多い。
亡きコンラートや、魔承師補佐のドレイクもそう──冷静で冷淡で、どこか魔力の無い者達を蔑んでいるようで、自虐感に陥ってしまう。
ここ最近、ましになって接しやすくなってきたこの異母弟。
(やはり、我々とは別次元の子なのだろう)
なら、利用してしまえ、と心がざわつくが、半分とは言え血が繋がっている。
それに普段話しているときは普通のまだ十代の少年で、くだけて喋る時には、やはり血の繋がりのある弟として見ている自分がいる。
「母上の先祖が魔導師だったのですね……」
「近すぎた血は逆に魔力を遠ざけてしまった。──賭けでもあったのです……遠い血を入れることで先祖返りをすることに……」
でもね、と母妃はロジオンを抱き締める。
「出会いはどうであれ、私と陛下は愛を育み、お前を産みました。魔力など無くても良い、陛下との子だからどんな姿でも愛せる──そう思いながら産まれてくるのを楽しみにしていました。お前の兄弟にも同じ気持ち……。結果は大変な魔力を持つ子が誕生しましたが……」
我が子を抱き締めた母妃の腕に力が入り
「──いっ?」
と、ロジオンは潰れたような声を出した。
母妃の顔がだんだん険しくなり、ますます腕に力が入る。
「は、母上?」
「どうした? 妃よ?」
「「第二王妃?」」
「魔犬のごとく鼻の利く、あのコンラートが……! 一番可愛いさかりの息子を! 殺されて死んだ姿になって戻ってくるようなことをしたら、私が千切りミンチにしてやるところだったわ! いいえ! 十三年も! よくも私のロジオンを連れ回して!」
恨みの隠った思いは、ロジオンの身体を絞るように抱き締める。
「いだいいだいだだだだだ! 母上、痛いです! 何て怪力なんですか!」
積年の恨みが沸々と母妃の腕に、更に力を籠める。
「可愛かったのよー! なのに、あいつに取られて! 抱っこもろくに出来なくて! 魔力はあってもその道に進ませるかどうかは本人に決めさせると! あれほど言ったのにー! あれは絶対口実だわ! 可愛かったから連れ回したかっただけなんだわ!」
「母上、落ち着いて! いただだだぁぁぁああ!」
「第二王妃! 押さえて押さえて!」
「それはロジオンですよ!」
「オルヒデーヤ! まず落ち着きなさい!」
◇◇◇◇
三人がかりで母妃をロジオンからひっぺがし、茶を飲ませ落ち着かせた。
「ごめんなさい、ロジオン」
痛みで腕を擦るロジオンに、母妃は恥ずかしそうに謝罪をした。
「いえ……」
「お前には良い師匠だったのでしたよね? だから、恨み言は口にしないようにしていたのですが……あんな力が出るなんて……私にも魔力が生まれたのかしら?」
「……いえ、それは違うと思いますよ」
──火事場の馬鹿力に近い──
その言葉は、ロジオンの胸の内に閉まっておくことにした。
──それにしても、と本題に戻す。
「運良く、魔力を持つ僕が産まれたから良かったとしても……産まれなかったらどうするつもりだったんです?」
「エクロースとイェレにお前が継ぐことを宣言して以来、結託して上手く領地を経営している。その報告はお前にも届いているはずだ」
「はい」
「活気が出てくれば、より良くしようと人が動き出す。人が前向きに改善していけば豊かにもなろう。豊かになっていけば、他から人が入ってくるものだ」
「魔法使いや魔導師、魔力を持つ者も入ってくる……それなら、僕はいなくてもエクロースに魔力は注がれるんじゃ……」
ロジオンの意見にディリオンは首を振る。
「言ったろう? ロジオンが受け継ぐと宣言したと。今更撤回しろと? 撤回する条件があるのだ」
とアリオン。
「条件と言うと……?」
「一つは、受け継ぐ者が死亡した場合。二つ目は受け継ぐ者が重大な失態を起こした場合──犯罪だな。三つ目は周囲から見て、領地で指示等が出来そうもないと判断した場合──知障や後天障害が発生した時」
「……」
ロジオンの沈黙にディリオンは
「わざと犯罪起こそうと考えるな。阿呆の振りも今更無駄」
と釘を刺した。
「そうじゃなくて……信じているんですか?」
「……何?」
ロジオン以外の四人、顔を見合わせる。
「僕が、第五王子のロジオン=イェレ=エクロース=エルズバーグだと言うことを……?」
◇◇◇◇
一斉にロジオンを凝視した。
彼は、長めの前髪から皆を覗くように見つめる。
そんな様子が急に陰湿に見えた。
「本物のロジオンが途中で死んでいて、コンラート師がよく似た身代わりを捜して、その子をロジオンとして育てた──と考えたりはしなかったんですか? 僕が偽物だとしたら、一つ目の『死亡した場合』の撤回に入ります」
「ロジオ……」
「僕の耳にも届いてますよ……『顔は第二王妃とよく似ているが、親子と証明するものがブローチしかない。王子を語った偽物かもしれない』と……」
ガタン──
荒々しく椅子が倒れる音がし、そちらを見ると父陛下が眉を釣り上げてロジオンを見ていた。
すぐだった──あっという間にロジオンに近付くと、頬に目掛けて手が振り落とされた。
頬に当たった音が、部屋に響く。
「たわけが! お前が偽物と言うなら尊敬していた師や、母さえも大嘘つきだとなるのだぞ! お前はそう思っていたのか! それは、お前がお前を信用しとらんと言うことでもある! 自分自身も信じられなくてどうするのだ!」
怒っているのに泣いているように見える。ロジオンはそう思った。
頬を叩かれた際に口を切ったのか、血の味を感じ手の甲で拭う。
「……廃嫡にして下さい。黒い噂は広まりやすい。緘口令解除した今、コンラートの後衛をしていたのが、エルズバーグの王子だと広まるでしょう。……コンラートの弟子は偽の王子で、エルズバーグには関係がない。復讐や仇討ちをするなら、どうぞご自由に──と……出来るでしょう?」
静かだった。
ロジオンの言葉以外には、一切無音だ。
「それが……親孝行のつもりなのかね?」
絞り出すような父陛下の言葉に、ロジオンは黙って俯いた。
「……保留だ。この件は今すぐに決められはしない」
「父上。しかし、恨みを晴らす為に攻めてきたら……」
「日常茶飯事だよ、そんなことはね。──何だね? ロジオンは、そんなに弱い魔法使いなのかね?」
「……それは……弱くはないと思っていますが……」
戸惑いながら答えた問いに父陛下は、いつもの穏やかな笑顔を向けた。
そうして拳をつくり、軽くロジオンの胸を叩く。
「では、受けてたちなさい。お前の優しさは自己満足に過ぎない。端から見たら逃げているように見えるね。そういう優しさは、周囲を傷付ける結果に繋がる場合もある」
「……」
「私はお前が何であろうと逃げない。私が傷付くより──ロジオン、お前が傷付く方が辛いからだ」
骨張った父の手が、叩かれた頬の部分を擦る。
ゴツゴツした感触なのに、心地良かった。
──師匠の手に似てる──
自然と笑みが溢れた。
「甘えたいときは甘えて良いのだし、私も甘えて欲しい。年が経っているが、私達の関係はまだまだ始まって間もないのだから」
長年離れていた絆が、少しずつ繋がり太くなっていく。
もう、そんな歳でもないのに。
結局、自分の意向が受け入れられなくても──それでも。
父の言葉で、どんな逆境でも乗りきれるような力が沸いてくるのは、やはりこの人は大きな人なんだなと、改めてその器に頼もしく思い、又、自分の父親なんだと嬉しくも思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます