第53話 我侭(2)

 イゾルテ様もドレイクも最初は、そのつもりだったんだろう。

 イル・マギアの記憶を甦らせた者に魔承師の席を譲る。


 魔承師は元々、マルティンこそその名に相応しかった。

 イゾルテ様は、それまでの臨時で継いでいた。


 あの方は、優しすぎる。

 そして弱い。


 力がある分、不均等が目につく。


「多少、視間違えはあった。だけど、僕がマルティンの魂を受け継いでいるのは間違いない。──どうなるか、なんて、ずっと先だけど……」


 抱えていたアデラの頭から腕を離し、彼女を見据えた。

 じっと自分を見つめるアデラをロジオンも見つめ返す。

 瞳を潤ませ黙ってこちらを見続けるアデラが艶やかで、ロジオンは急に戸惑いを感じた。


「まだまだ、ずっと先だよ? それにイゾルテ様が隠している『何か』も分からないし……」

 自分自身にも語りかけるよう、アデラを慰める。


 アデラの口が開く。

「良いでしょうか……?」

「……え?」

 アデラの手が真っ直ぐに伸び、ロジオンの両手を包んだ。

「身勝手な只人の私が、ロジオン様をお守りするだなんて……。身の程知らずだと……つくづく思い知らされました。でも、私は貴方にお仕えしたい、側にいたいのです」

「……アデラ」

「貴方が貴方らしく生きて、共に歩いていける友が出来て……それまで」

「……」

「私の意思を尊重してくださるなら、今ここで再び忠誠の誓いをさせてください」



◇◇◇◇



 ロジオンはこちらを窺うように見上げる彼女を見つめた。

 口はきつく結ばれ強固な意思を示しているのに、反対に彼女の性格を表しているような、いつもの瞳の輝きは薄れていた。

 眉を下げ、何か切望している表情に見れる。


「……早急に決めることはない……」

「今、誓いを立てたいのです」

 ロジオンの台詞にアデラは首を振る。


 やれやれ──と、ロジオンは息を付いた。

 苦笑混じりの溜息は、強張っていた肩を下げる。

 アデラに手を握られたまま、ロジオンは口を開いた。


「確かに僕が話したことは先のこと……。憶測だから、どうなるか分からない。性急にどうしようとか決めなくても良いかな……」


 だから──と続ける。

「アデラ……君も、この休み中に考えて決めて。……例え側から離れても、宮廷の中で顔を会わす機会もある」

 アデラの瞳が揺らぐ。

 ロジオンの手を包む彼女の手が強くなり、無言のまま俯いた。

「嫌です」

 はっきりそう言う。


 小さな子供が自分の我儘を通す為に拗ねている──そんな仕草に見えた。


 休暇の後、主の側にいられなくなる──アデラはそう感じていた。

 彼は、きっとそうする。

 親や兄弟から一線を引いたように。

 穏やかで呑気な様子で、何も考えていないように見せて。


 遠ざけるつもりなんだ──。


「何があっても手放す気はない、とおっしゃいました。嘘だとおっしゃるんですか? 男なら男らしく貫き通してください」

「しょうがないなあ……」

 ほとほと呆れたような口調にアデラは顔を上げ、ロジオンを見た。

 口角を上げ、笑顔で自分を見ている。

「──確かに言ったよね。あの時はこんな状況になるとは思い付かなかった。状況が変われば考えも変わるんだけど、忠誠心バリバリの騎士精神のアデラには無理な話だね」

「頑固ですから」

 小馬鹿にされたようで、むっとしながら言い返す。


「いいよ」

 徐に言った主をアデラはじっと見つめた。

 ロジオンは繰り返した。

「いいよ……忠誠を……」

 諦めたような表情のロジオンと反対に、アデラの表情は嬉しさに溢れていた。


「ただし……」

 ロジオンはそう言うと、アデラの肩を押し背もたれに付けた。

 そのまま背もたれの縁に手を掛け、アデラを上から見据える形を取る。


「手に口付けじゃなく……唇に誓ってよ……」



 ロジオンの口角は上がり、目を面白そうに細める。

 一瞬呆けたアデラだったが、意図が分かりあっという間に顔が赤くなった。

「そ……そそそそんな忠誠の誓いなぞ、聞いたことありません!」

「もっと西の方では有りだけど……?」

 しらっと答えるロジオン。

「エエエルズバーグ式でお願いします!」

「形にこだわる必要なんて……ないじゃない?」

「いやいやいや! 拘らせてください!」

「──じゃあ、忠誠なんて、形に拘るの止めよう?」

「……うっ」


 すぐ近くにある主の顔が凝視できなく、アデラは視線を反らす。

 確かに最悪、形に拘らないでロジオンが嫌がろうとなんだろうと、くっつき回れば良いのだろうが。

 ──長女気質と言うのか、何事も形式に乗っ取ってやらなければ気が済まないアデラの性格上、それは無理な行いだ。


「……りました」

「えっ? 聞こえない」

 ニヤニヤしながら尋ねてくる主にムカつきなから、

「分かりました! します! すればいいんですね!」

と拗ねるように答えた。



 ──じゃあ、と主の顔がグッと近くなる。

 睫毛濃いなあ、とふっと思っていたら

「目……閉じて」

と囁かれた。


 ──忠誠の誓いに、お互い瞳を閉じては確認できないのに

アデラはどうにも納得できずにいた。

「あの……唇に忠誠の誓いを立てると言うのは、手の甲とはどこか違うのでしょうか?」

 あと少しで唇に触れ合う時に尋ねられたロジオンは、少し戸惑いながら答える。

「手の甲より、より密着出来る──そう、親近感が出て……絆が深くなる……ね」

 目、閉じて──主に少々きつく言われ、ぎゅっと目を瞑る。

 でも、とまた疑問が起き、ギリギリ唇が触れる前尋ねた。

「主に忠誠を誓う儀式であるなら、ロジオン様からでなく私からではないと、主従が逆ではありませんか?」


 ふかーい溜息が、ロジオンの口から漏れた。


「……往生際が悪すぎ」

「──ん」

 ぽそりと呟かれた後、否応無しに唇が合わさった。

 啄むように何度か重ねる。

 主の、自分より薄めの唇の感触を感じる余裕が出来た頃、深い重なりが始まった。

 突如、咥内の中に生暖かいものが入ってきて、それが何か分かったアデラは慌てて主を押し戻そうとした。

 ──だが、簡単に引き剥がせそうなものなのに、根を生やした大木のように離れない。


「ん、ん、んんんー!!」

 唇の向きを変えるためにずらした間に、アデラは必死に抵抗する。

「──これ、ちが……! ううん!」

 流石に忠誠の誓いとは違う、騙されたと鈍いアデラだとて分かった。

 いつもと違う主の強引さと力強さにアデラは頭の中が真っ白になり、ただ何の術も持たない乙女のように肩を押し戻す。


 だがそれも、ぼんやりとした思考と共に抵抗がなくなり、この、年下の主人の口づけにされるがままになっていた。

 生々しい口の中の感触に、ただぼんやりとして、小刻みに動く主の唇の動きにようやく気付いた頃には……。



◇◇◇◇



 目を開けると、見慣れた天井がアデラの視界を覆う。


「……」

 ゆっくり起き上がり周囲を見渡せば、そこは実家の自室だった。

「……ああ」

 寝台から出て、自分の服装を見る。

 ボレロと靴は脱いでいるが、あとはそのままだ。

 窓の外を覗いてみれば、星が瞬いている。


 ──夜?

 訳が分からずに素足のまま部屋から出て階段を降り、台所へ向かった。

 台所ではスープの匂いがし、母の得意料理の一つの豆のシチューだと分かった。


「あら、起きたの?」

 出入り口でぼんやりと立っている娘に、母のジャンナはスープをかき混ぜていた手を止めて近付く。

 アデラの額に手を当てながら、

「熱はないようね。やっぱり王子の言う通り疲れていたのかしらねえ」

と言った。


「──ロジオン様が? 来たの? と言うか、何で私家にいるの?」

「あんた……全く覚えてないの?」

 頷く娘にジャンナは呆れ顔で「座っていなさい」と言いながら台所に戻った。

 埋め込み式のオーブンの蓋を開けると、焼きたてのミートパイの香ばしい匂いが食卓まで漂ってきた。

「昼にあんたをおんぶして送ってきてくれたんだよ。『気分が優れないようなのに、途中で街に寄りたいなんて我儘を言って振り回してしまった』──て、申し訳なさそうな顔して。申し訳ないのはこちらの方なのに……」


「……覚えてない、全く」

 アデラは覇気の無い様子で、いつもの自分の席に座った。

「『休みは三日と言ったけど、体調が戻るまで休むように』と言いつかってるよ」

「う~ん……」

 アデラはのろのろと返事をすると、食卓に突っ伏した。


「……アデラ、部屋に戻って横になってなさい。食事は持っていって上げるから」

 やはり通常の状態ではない娘にジャンナは心配になり、居間にいるアデラの父のヤナムを呼んだ。

 のそのそとヤナムが入ってきて、その後ろからアデラの弟のトニノが付いてきた。

「姉ちゃんが珍しい!」

「腹空かせて夕飯には起きてきたのは当たりだな」


 男二人の呑気なやりとりに、ジャンナは、

「薬師か医師を呼んできて頂戴!」

と厳しく叱る。


「お母さん、いい。大丈夫だから……後でサンザシ酒頂戴……」

と、ゆっくりと起き上がり、緩慢な動作で階段を上がるアデラを見送る家族三人。



 アデラの部屋の扉が閉まる音を確認すると、三人顔を見合わせた。

「……宮廷勤めが辛いのかしらねえ」

「だが今までは、こんなこと無かっただろう?」

「──ほら、アデラがお付きとして就いている王子よ。クセの強いお方だって噂よ?」

「今日、姉ちゃんを送ってきてくれた人だろ? 銀髪以外普通だったけど?」

 あっち行ってなさい、と手で追い払われ、ぶすりとしたまま居間に戻っていくトニノを尻目に、父と母は擦り付ける程顔を近付け話す。


「魔法使い……なんだよな? まあ、でも、大概は世間ずれしてるよ、ああいう職人は」

「だけど……今日のあの子の服装見た?」

「ああ! やっぱ美人だよ。さすが俺の娘だ!」

 ──そういう意味じゃない! とジャンナは、お玉でヤナムの尻を叩く。


 叩かれた部分を擦るヤナムにジャンナは、同性同士の鋭い指摘をした。

「いつものあの子なら、あんな格好しないはず。うちにいる時は、レギンスかパンツでしょ? しかも、花柄なんて小さい時以来だわ」

「だから、それが何なんだ?」

 鈍いわね~とジャンヌは、思いっきり溜息をつく。

「あの服装、思うにロジオン王子の趣味にかなう格好なのよ。五番目だといえ王子だよ? その王子が、自分の好みの服を買って、アデラに着させて街で振り回していたの!」

「うん、それで?」

 丸っきり分かっていないヤナムに、妻と言う前に女として苛立っている中


「普通の男だったら、下心なきゃ買わないよなあ」


と、居間でトニノがぽそりと呟いた。






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