第52話 我侭(1)

 雑木林と言っても広場の中だ。

 整備されて、所々に東谷が設置されている。


 ただ、季節が季節なだけに、日陰となるこの場所は肌寒く人気がない。

 ロジオンは、なるべく日が入る東谷を選び、アデラと座った。

「寒くない?」

 アデラに尋ねると、ぽかんとしたまま「平気です」と首を振る。

 自分の台詞が、周囲の笑いを誘ったことに気付いていないようだ。


 自分に向けられた表情は至極真剣で必死だった。

 アデラの性分から言ったら、ああ言う場面でふざけたことは言わないのは、まだ短い付き合いでもロジオンは重々知っている。

(だけど、ミジンコって……)

 嬉しい反面、恥ずかしいし素直に喜べない。

 ──ミジンコに見えるのか?

 確かに彼女より背は低いが、そのうち伸びるだろうし──。


 ぶつぶつ頭の中でぼやいているロジオンにアデラは「あの」と心配そうに声をかけた。

「私、何かおかしな発言をしましたか?」

 やはり、気付いていない。ロジオンは呆れを通り越して笑った。

 一頻り笑うと、眉を潜め複雑な表情でこちらを見ているアデラの手を握る。

 

 先程とは打って変わった神妙な主の顔にアデラは、表情を引き締めた。

「軽々しく口に出せない内容だから……頭に直接送る……」

 目を瞑って──そう言われ、アデラは瞳を閉じた……。



◇◇◇◇


 鳥の鳴く声だけが、ロジオンとアデラのいる東谷に届く。

 握られた手から届く情景と話の内容にアデラの顔色は段々悪くなっていき、全ての告白が済んだ頃には、土気色に変化していた。

 ロジオンの手がアデラから離れると同時、

「これは真実なのですか!?」

と、アデラはロジオンに詰め寄った。

「嘘はないと感じた……ただ……」

 ロジオンの視線がアデラから遠い空に移る。アデラも共に空を眺めた。

「……まだ何かを隠している気がする」

「それは……?」

「僕に関する……何か……」

 二人、空を眺めていたのは長い時間のように思えたし、短い時間のようにも思えた。


「信じられません……」

「うん?」

「こんなに澄んだ、綺麗な空なのに……」

「うん……」

 地上を染める深い赤や黄の秋の彩りが、空に映っているかに錯覚するほどに澄み切った天上。

 異世界の負の遺産が、この世界を飲み込もうとしているとは思えない。

 しかも

 それを維持するために密かに各国が協力し、遠い昔から生き続けている一人の女性が、人柱のような役目を背負っている。


「……魔法の名前は、口に出しても構わないでしょうか?」

「うん」

「ロジオン様の魂の中に眠るイル・マギアの記憶が甦れば、この世界は助かるのですね……?」

「そういうことらしいね……」

「……イル・マギアの記憶が甦ったら、ロジオン様はロジオン様のままでいられるのですか……?」

「……どうだろう……?」

 アデラを見ながら首を傾けたロジオンの表情は、全く無かった。


 イル・マギアの記憶は、マルティンの記憶だ。

 イル・マギアの呪文を思い出すと言うのは、マルティンだった自分を思い出す──と言うことだ。

 マルティンが、どう育ち、どう過ごし、どう生きてきたのか―感情に想い、思考、あらゆる全てを精密に緻密に思い出すのが『無限の魔法』の記憶を甦らす手段だったら──。


「……僕と言う人格は、甦らせるまでの代理……と言うことになる……」

 

 アデラの胸が軋んだ音をたてた。

 膝の上で合わせた手が震え、それを押さえるために強く握る。

 マルティン──名前だけは知っている。

 魔法の元祖。魔導術統率協会の開祖。

 今、知ったのが現魔承師の兄──それだけだ。


 主が彼の魂と記憶を受け継いでいて、それが主に多大な影響を与えようとしてる。

 主の人格を亡くしてまで──。

 主だから

 主だからこそ

 自分は、側にいようと思ったのだ。


「……嫌です。そんなの。イル・マギアを思い出したら、いえ、思い出すのに、ロジオン様がロジオン様でなくなるのは……」

 言葉が続かない。

 それでもアデラは、自分の思いを伝えたくて震える声の中、吐き出した。

「……嫌! 今まで通りイゾルテ様が頑張れば良い! 協力する国をもっと増やして! それでもっともっと魔力を集えば! ロジオン様は今のままで、自分のままでいられるじゃないですか?! そんな不確かな、誰も知らない、マルティンしか知らない魔法が、本当に役に立つか分からないのに!」

 ロジオンに対する想いが、感情を支配した。

「勝手すぎます! イゾルテ様もドレイク殿も! イル・マギアを思い出せないマルティンの生まれ変わりを殺してきて、それで、今だって、今度だって、ロジオン様が思い出さなきゃ同じことを繰り返すつもりなのでしょう?!」

「アデラ……」

「生きてロジオン様でなくなるのは嫌です! ──でも! 殺されてしまうのは……もっと……嫌……」

 涙で視界が揺らぐ中、アデラは怒鳴るように自分の気持ちを吐き出す。


「ロジオン様は、それで良いのですか?! コンラート師だって、きっと知っていたから、知っていたのでしょう? 貴方がマルティンの生まれ変わりだと! だから貴方を利用しようとしたのでは──」

「アデラ!」

 ロジオンの鋭い制止の声にも、アデラは止めなかった。

「ロジオン様はロジオン様なのに! 誰でもない! そんな運命なんて悲し過ぎます!」

「……悲しいなんて思っていない」

 ロジオンの静かな声が、アデラの耳に届く。

 アデラはゆっくりと顔を上げ、主を窺った。

「……ロジオン様?」


 隣に座っていたはずの彼が、真正面に自分の顔を覗きこむように屈んでいる。

 手はアデラの顔のすぐ横の背もたれの縁を掴み、片膝だけを椅子に乗せていた。

 主の瞳は、怒気も哀傷も何も無かった。波さえ立たない静かな湖畔を見ているようだ。

 アデラは主の顔がすぐ側にある驚きより、妙な落ち着きを見せている方が不思議でまた、怖かった。

 ロジオンは、落ち着いた口調で眈々と話し出す。


「師匠が僕が何者か知っていたのだろう……と言うのは、今になって分かる。だけど、僕を利用しようとしたかどうかは師匠の心の中でしか分からない。でも邪な心だけじゃ無かったと、ずっと一緒にいた僕が一番良く分かっている」

「ロジオン様……」


 ──すみません


 主の師匠に酷い言葉を投げつけてしまった──落ち着きを取り戻したアデラは、心から詫びを入れた。

 ロジオンは微笑むと、涙で濡れたアデラの頬を拭ってやりながら話を続けた。

「憶測だけどね、僕はドレイクに殺されることはないと思ってる。例え、イル・マギアを思い出すことはなくても……」

「──え?」

「今までと違うんだ──魂が。融合を果たしたんだ、マルティンのと。何時、どこで、どうやって……かは知らないけれど」

 そう言いながらロジオンは、片手を自分の胸に当て、目を瞑った。


「……でも、思い出さないと……」

 アデラの緑の瞳が再び揺らぐ。

「記憶が甦ってくれた方が良いのは当然だよね。世界の為にも、イゾルテ様の為にも。僕ら、魔力を扱える者達は元から、この世界の住人だった。それらの人々から見れば、魔力の無い人々は、異世界から厄災を持ってきた忌むべき者なのに何も知らずに平穏に暮らしている……。それも勝手じゃない?」

「……ぁあ……」

 アデラは両手で顔を塞いだ。


 ──そうだ。


 そもそも、異世界の『核兵器』と言うのが原因だ。

 魔力を持たない私達の先祖の──

 それの犠牲になっていたのは、魔力を持つ者達。

 今は絶滅した種族、生物。


 イゾルテやドレイクを『勝手』などと、どの口が言うのか──。


「……勝手なのは、私達。……真実を知って、必死に守っているのに……」

「君を責めたつもりはなかったんだけど……ごめん」

 ロジオンの手が、アデラの形良い頭を撫でる。

 パチン、と音がし、アデラの髪留めが外された。絹糸のような金髪が音もなく下りる。

 ロジオンは、そのままアデラの頭を胸に抱き寄せた。

「このことを知っているのは、魔導術統率協会にいる極一部の魔導師と各大国の支配者に司教くらいだと思う。……もう、それだけ古の事実だから、魔力の持たない者達が知らないのは仕方ない」


 短い命の中で、懸命に生きていかなくてはならない。

 果てない位に長い時を生きる者達のように、遠い未来の先を見る余裕など無いだろう。

 繰り返す生死の舞台を見続け、新しい喜びと悲しみを積み重ね、過去を、過ちを、幸せの中で拒絶し、語り継ぐこと無く封印した。


 ──直視できない弱き者達を、どうして責めることができよう──


 ロジオンの心が、そう語りかけてくる。


 アデラも

 魔力を持たない、短い命の弱き者──。


 諦めなくては……いけないの……?

 彼女は、どんな意味であれ僕を愛していてくれている。

 僕も、彼女に近付く異性に嫉妬を感じている。

 そして、彼女に何処か依存している。

 混乱した意識の中で、アデラに助けを求めた。

 アデラは躊躇いも無く僕の手を握り、抱きしめた。

 あの、強烈な程の清廉な緑色の瞳には迷いなど全く無くて──


「……」

 重くなる。きっと。

 僕にも

 彼女にも

 想うあまり身動きが取れなくなる。


 ──なら、早いうちが良い。


 

 彼女のすべらかな髪に頬を当てる。

「イル・マギアを思い出さなくても、僕が絶頂期を迎えて成長が止まったらその時、マルティンの魔力と相応なら……」

 マルティンが自ら造りあげた『魂』と、輪廻の中で触れて、より完璧に造りあげた『僕』が融合したから──


「二人分のマルティンの魔力を持っている可能性もある。古は、マルティンとイゾルテ様の二人で歪みを押さえていた。今は、一人分を巨大魔法陣で補っている。その必要が無くなるって言うこと」

 ビクッ、と抱き寄せたアデラの頭が不自然に動いた。

 構わず、ロジオンは喋る。



「僕が次世代の魔承師になるのも……方法の一つ……」










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