第49話 黒竜の役割

 一晩経ち、エルズバーグへ戻る支度を整えたロジオンとアデラは、イゾルテの元へ挨拶に出向いた。


 イゾルテは例の謁見場にいるようで、フレンと言うドレイクと同じ竜の血を持つ青年が案内してくれた。

 イゾルテとドレイクは、二人揃ってある場所にいると言う。


 ──ある場所とは、ロジオンが壊したバルコニーである。


「……やばっ」

 ロジオンが焦った顔を露骨に出し、フレンが含み笑いをしながら言った。

「大丈夫ですよ。魔承師様は優しいお方ですし、よくあることなんです」

「よく物が壊れるってこと?」

 昨日イゾルテが、かなりぼんやり屋さんと知ったせいか、常日頃からよく物を壊すのかと聞いてみた。

 しかし、フレンは違う意味として読んだらしい。


「しょっちゅう壊されるって、いうわけでは無いんですけど。お立場を狙う方が時々現れるんですよ。いつも穏やかな風情でいらっしゃいますから、舐めている方もいるわけで……」

「頂点に立たれる方には、立たれる方のご苦労があるのですね」

 アデラが同情するかのように言った。

「──まあ、大体は魔承師様に辿り着く前に、ドレイク様にえらい目にあわされますけど。逆に容赦無いですから、あの方は」


 半殺しですよ、あははは──と、呑気に笑うフレンは、恐らくその状況に慣れているのだろう。

 飴はイゾルテ

 鞭はドレイク

(ドレイクに鞭を食らうのか……)

 

 溜息をつくロジオンだった。



◇◇◇◇



 謁見場に着いた時、二人はステンドグラスが割れ、ひしゃげた窓枠の前にいた。

 周囲には様々な方向へ飛んでいったステンドグラスが、足の踏み場も無いほどに床に散らばっている。


 三人に気付いたイゾルテとドレイク。

「お二人ともよく眠れました?」

 イゾルテは、にこりと優しげな笑顔を向けた。

「はい……。昨晩はありがとうございます」

 昨晩──と言うのは、意識の中で交わした会話のことで、ドレイクやフレンは魔承師としての彼女との付き合いで分かっていたが……。


(?  昨晩? )

 一晩付き添っていたアデラには理解できないし、ずっと見ていたのに、

(昨晩? え? 二人で何をしていたのだ?)

と、頭を捻った。


「落ち着いていてくれて良かった。外の話が沢山聞けて楽しかったわ。また、来て話を聞かせてくださいね」

 イゾルテ自体が歪みを押さえる形代となっている。ここから離れるわけにはいかなかった。

 一つの塔だけでもかなりの大きさに広さだし、空中庭園や温室もあるようだが、外の空気が吸えないと言うのはつまらないものだろう。

(しかも……付き添ってるのは口の悪いドレイクだしね……)

「はい、暇を見つけてまた……。その時は、悩殺させる美脚を是非ご披露ください」

 ロジオンのこの台詞にドレイクは呆れ、イゾルテは、ふふふ、と笑う。

「貴方の師匠であるコンラートにも、言われたことがあります」

 流石、お弟子ですね──とイゾルテに切り返され、ロジオンは亡き師匠に妙な対抗心が沸いたのだった。




「イゾルテ様、そろそろお願いしたいのですが……」

 ドレイクが促す。

「そうだったわね」

 イゾルテは持っていた杖をドレイクに渡すと、両腕を空に差し伸べた。


 瞬間に空間が変わった。

 ぴん──とした、張りのある静けさ。

 床に散らばったステンドグラスが、ゆっくりと宙に浮く。

 瞬きもしないうちだった。

 何事もなかったように、ひしゃげた窓枠は美しい形容を取り戻し、ステンドグラスは窓に戻り、昨日のように柔らかな豊穣の色を付け、日の光を受けていた。


「失礼」

 ロジオンは驚き、真っ先に窓のステンドグラスに手を付け、間近に見る。

 人が手を加えたような接着の後も無い。

「『再生』だ……。初めて見た」

『物』の完全な『再生』は『治癒』同様に難しく、魔法の中でも特殊な能力を使う一つだ。


「この力は、イゾルテ様のみのお力……。あと、私が知る限りには古代から命を保つ者達」

 再生──

 治癒──

 これは遠い過去には、魔力を持つ者は持ち合わせていた力──。

 ドレイクの言わんとしていることが分ったロジオンは、何とも言えなかった。



◇◇◇◇



 塔を出るとハインが待っていた。

「勝手に帰るから迎えに来なくても良いのに……」

 ロジオンがガッカリした口調で言うが、それは迎えに来たハインにもガッカリさせられた台詞だ。

「ロジオン様は、大国・エルズバーグの王子なんですから! 自覚を持ってくださいよ」

と、ハインに逆ギレされた。


「ロジオン」

ドレイクが見送りに出向いていた。

「何?」

「たまに様子を見に行きますよ」

「心配しなくても思い出したら、すぐに出向くよ?」

「魔承師様の命でもありますから。それに一応は、『代償』で取引していますからね」

「そうでした」

 すっかり忘れていた。師匠の魔法日記は今ドレイクが保持している。

 その代わりに何かあったら、ドレイクに魔法を教えてもらう取引をしたのだった。


「うーん……。僕の攻撃魔法が弱い原因は分かって解決したしな……」

 ロジオンの師であったコンラートは、「わざと」弟子のロジオンの魔法のバランスを崩していた。

 ──それを整えて元の状態に直したのがエクティレスなのだから、皮肉なものだ。

「貴方はまだ成長途中です。出来るなら多くを学んだ方がいいでしょう」

「ドレイクらしくないもっともな意見だね」


 ロジオンとドレイクの間に不穏な空気が流れた。

 あまり仲がよろしくない、とアデラとハインは内心思いながら苦笑いする。 


「それと──」

「?」

 と、ドレイクはアデラに歩み寄り、彼女の手の甲に口付けを落とした。

 驚いたのはアデラだけではなく、ロジオンもだった。

 手の甲に口付けは、相手を敬愛する意味があるが、ドレイクが──あのドレイクが魔力を持たない人の女性に、このような態度を取るのを見たのは初めてだったからだ。

 

 驚いて、ぱくぱくと言葉に出ないアデラとロジオンに気にせずにドレイクは、

「アデラ殿にも会いに行きます……。魔承師様も貴女に興味がお有りな様ですし」

 と告げた。

「わ、わ、私に?」

 はい、と返事するとドレイクは、今までに見せたことが無いほどの笑顔を向ける。

 無表情というより仏頂面に近い彼が見せる笑顔は、女性には効果てき面に間違いはない。

 案の定アデラは全身真っ赤にし俯いてしまい、それでも小さな声で「はい」と返事を返した。


「では……」

 ドレイクはそれだけ言うとアデラから離れ、協会に戻ろうと踵を返し歩く。

 ロジオンの横を通るその時、二人の視線が絡み、ドレイクが笑う。


 意地の悪い笑みで──。


「……!」

 わざとだ。ロジオンは口角を下げた。

「性根の悪い……」

 そう呟いた。

 ドレイクの鞭を、こんな形で食らうなんて──ムカムカと胸元がざわつくロジオンだった。



◇◇◇◇



 イゾルテは直したバルコニーで縫い物をしていた。

 共に直した白塗りの椅子に座り、円卓には裁縫道具が置いてある。


「ドレイク」

 後ろから近付いてくるドレイクに声をかけた。

 針を持つ手は動いたままだ。

「いけないわ……。ロジオンを叱るのに、身近な女性を使うのは……」

「彼女は聡い。 分かるかと思いますが」

「どんなに聡くても敏感でも、あんな風にされれば勘違いしてしまいます。貴方が、普段からああなら平気ですけど……」

 針の動く手が止まった。隣に立つドレイクを睨むイゾルテの瞳には、批難の光がありありと照らされる。

「好きになった人に使うのではなく、あのような時に使うのはやり方が間違っていますよ」


「……今度、会う時にお詫びします」

「必ずですよ」

 そう言うとイゾルテはまた、せっせと針を動かし始めた。

 普段の彼女はいつも穏やかで、怒ることはほとんど無い。

 自分の命を狙う輩にも慈悲を与えてしまう。

 だから、たまにこのように怒りの眼差しを受けると迫力がある。

 ──ドレイクが素直に考え直すほどに。


 ドレイクは柵に腰を掛け、しばらくイゾルテの様子を見ていた。

 彼女は縫い物に集中しているようだ。話しかけづらい。

 ここで声を掛けたら、また注意を受けるだろうか?

 黙っていた方が良いのだろうか?

 滅多にされないお叱りを受けて、小さな子供のように萎縮してしまう。

 それは仕方がないことだ。

 ドレイクにとってイゾルテは主人でもあるが、その前に自分を育ててくれた養母でもあり、姉でもある。


 ──彼女と共に自分の人生がある──


 よく人が言う、男女の愛とは違うものだと思っている。

 自分は誰も、仲間とも人とも愛し合うことはないだろう。

 それはイゾルテに対しての恩義でもあり、誓いでもあった。


「ドレイク」

 いつのまにか針仕事を終えたイゾルテがいた。裁縫道具を片付けながらドレイクに言う。

「私のことは気にしなくて良いのですよ……? 好きな方が出来たら、お付き合いなさい」

 自分の決意を見透かす台詞を、この方はたまに吐き出す。

「いえ……。共にいたいと思うのはイゾルテ様お一人です」

 ふう、と溜息のような息を付き、イゾルテは立ち上がる。


 広げられた縫い物を見て、それが何だか分かったドレイクは顎を擦った。

 裾を上げたドレスだ──しかも切る時適当だったのか、左右長さが違うし縫い目が吊っている。

「……お針子に依頼しましょう」

「……そうしてくれるかしら」

 くるくると畳んだドレスを裁縫道具の上に置く。

「裁縫も長くやっているけど、未だに鈕付け位しか上手く出来ないわね……」

「最初は針の穴に糸を通すことさえ出来なかったのですから、上達していますよ」

 ドレイクの励ましの言葉にイゾルテは微笑むと、ドレイクの頬に手が伸びた。


 すっ──と身体を寄せ、ドレイクの頬を自分の頬に寄せる。

「私の事は良いから、貴方は貴方らしく生きなさい」

「私らしく生きております……イゾルテ様は、私の本来の黒竜としての生き方を下さいました」


 黒竜は、他の竜達の騎士的役割を持つ竜。

 単体、あるいは団体の他の竜に忠誠を誓い、守るために戦い続ける。

 それが生きる原動力であり命。

 それ故に、主人である竜の命が尽きると──忠誠を誓った黒竜も、生涯を閉じる……。


 遠い過去、魔力を持たない者達の迷信で竜達が殺され、絶滅と囁かれた同じ時期に、獰猛と言われた黒竜も姿を消した理由であった。

 成人した黒竜は主人を見つけなければ原動力がなく、自然に命が流れていく。

 ドレイクは、自分を育ててくれたイゾルテを選んだのだ。


「イゾルテ様」

「何?」

「ロジオンに、最後まで話さなかったのですね……」

「……聞いていたの? 盗み聞きは良くないわ……」

「私は貴女に忠誠を誓った日から、精神が繋がっております。話すのが躊躇う内容があったのは分かりました」

「……」

 触れた頬から、彼女の悲しみが流れてきてドレイクは彼女を抱き寄せる。

「昨日のこと以上のことが起きそうで……話せなかった……」

「あの子は勘が鋭い。勘付いているかも知れませんよ……?」

「どうしたら良いの……? 兄は何を考えて、このような魔法を考えたのかしら……?」

「目覚めを……待ちましょう……きっと、ロジオンの代で起きましょうから……」


 目を覚まさないで──


 イゾルテのロジオンを思う心の声と葛藤が聞こえ、ドレイクは哀れで抱き寄せた主人の額に口付けを落とした。

 彼女の決定は時に残酷だ。

 冷静に与えられた仕事をこなしているが、特にマルティンの魔法に関しての事がドレイクにとって堪えることだった。


 だが──


 自分に命を下す度に、彼女の心が壊れそうになるのを知っている──それを必死に抑えていることも。

 当たり前だ。マルティンは彼女の兄であり対だから。

 『魔法を使う者達を統治する』である時代の魔承師だったなら、イゾルテは相応しかった。


 ──魔承師と言う意味合いが変わってしまった今──


 それでも必死にその役割を成し、心を保ち、柱となっている。


 疲れてる──この繰り返しに──分かってる

 疲れているのは自分だけじゃない。

 待つのが、もう嫌なのは自分だけじゃない。

 分かっていたのに──ロジオンを見て苛立った。

 分かっていたのに──イゾルテに反抗し、ロジオンを導くと言ってしまった。


 彼女の心の葛藤がまだ聞こえる。

 きっと、自分の迷いも後悔も彼女には聞こえている。


 ──だから

 どんなに永い時でも、私は貴女の側にいます。

 孤独にはさせませんから──


 この、自分の心の声も聞こえることを願って……。











 

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